一大ジャンル「異世界もの」
特にライトノベルの分野で、「異世界もの」と呼ばれるタイプの作品が席巻しているのはよく知られています。
「異世界」とタイトルにつくものはもちろん、そうでなくとも基本的に何らかの形でファンタジー世界に迷い込んで活躍するという流れは、ひとつの様式になったともいえるでしょう。
ある種の「お約束」として共有される物語展開は「大喜利」とも例えられ、多くの読者に愛されているテーマであることは間違いありません。
では、なぜこれほどまでに「異世界もの」が人気なのでしょうか。
数ある説の中には、「現在への不満」や「ここではないどこかへの願望」、または「現代社会の心の隙間」等々、ポジティブではない論調のものも存在します。
しかし、本コラムではむしろ異世界ものは日本人にとって古くから馴染み深い、鉄板のジャンルではないかと考えます。
古典をひもとくとそこには異世界やチート能力、そして成り上がり等々、現代のライトノベルで多用される設定がすでに用いられていることがわかります。
そこで、古典の「異世界っぽさ」を中心に、私たちが大好きな異世界ものの人気の根源を探ってみることにしましょう!
異世界への「転移」と「転生」
はじめに、単に異世界ものといってもそこへと至る過程には大きく二つの流れがあることをおさらいしておきましょう。
1つめは「異世界転移」。
何らかの理由で、主人公が現代社会などから異世界へとそのまま移動してしまうというもの。
使命を帯びて異世界人から召喚された、魔法の力による事故、超自然的な現象etc.
理由は様々ですが、ほぼ本人の人格を保って生身のまま、というのが基本でしょうか。
もちろん、転移時に特殊能力を得たり、現世では当たり前だったことが特別な技能となったりといった展開はありますね。
2つめが「異世界転生」。
これは現世で死亡した主人公が、技能と記憶を保ったまま違う世界に別人として生を受けるというもので、近年増加しているパターンです。
人種や性別まで変わることも珍しくなく、中年サラリーマンが金髪の美少女に生まれ変わる、などといった斜め上の作品も有名ですね。
どちらも結局は異世界に行くという点では同じですが、この「転移」と「転生」の違いは古典の異世界ものを読み解くうえでも、とっても重要だと思うのでぜひ心に留めておいてくださいね。
多くの古典文学が「異世界もの」だったりする
さて、古典文学というとちょっと取っ付きづらい響きですが、平たくいうと「昔ばなし」のことであります。
桃太郎しかり、かぐや姫しかり、浦島太郎しかり。
誰しも聞いたり読んだりしたことがあるはずの「むかーし、むかし」の物語は、いずれも古典文学が源流となっています。
そんな大昔の小説ともいえるお話の数々には、鬼や妖怪、神々や仏尊、天上界や死後の世界、超能力を持った僧侶や仙人等々、現実を超えた「モノ」が登場します。
これらは例えば寺社仏閣の起源譚であったり、教訓的な話であったりもするわけですが、純粋に物語として「面白い!」と感じてしまいます。
冒頭の『桃太郎』にしても、普通ではない生まれ方をしたヒロイックな主人公が、旅の途上で仲間を増やしながらやがて鬼の本拠地に乗り込んで鬼を調伏し、財宝と共に凱旋する……。
どうでしょう。めっちゃ「RPG」っぽくないでしょうか。
むしろそのまんまドラクエだと思うのですが、いかがでしょうか。
最近では桃太郎もマイルドになって、鬼が絶対悪として描かれるわけではないようですが、大筋としてはどの世代もご存じの通りですね。
かぐや姫も竹から生まれた美少女が、なんだかんだで最後は月世界に帰るというSFファンタジーですし、浦島太郎も海中異世界で楽しく過ごすうちに数百年過ぎてしまうというタイムトリップものと言い換えられます。
このように、昔ばなしにおいて既に「異世界もの」の要素を満たす物語設定が行われていたのでした。
『霊異記(りょういき)』
「異世界だなあ」と思う古典文学で、古事記など神話性の伝承を別にして最も古いと思うのが『霊異記』です。
正確には『日本国現報善悪霊異記』といい、平安時代の初め頃に書かれたものと考えられています。
「説話集」というジャンルの物語で、「因果応報」を主なテーマとした仏教色の強いものです。
が、決してお説教じみたお話とは限りません。
第1話は「電を捉へし縁」。
つまりなんと、「雷神を捕まえた男のはなし」なのです。
これは「少子部栖軽(ちいさこべのすがる)」という人が天皇の命で雷神を招きに行き、途中に落ちていたので輿に乗せてお連れした、という豪快なお話。
実は天皇が后と同衾してるところに誤って入っていき、気まずくなった天皇がちょうど鳴り出した雷の話題としてスガルに命じたもの。
空気読んで早く出ていってね、ということなのでしょうがスガルはほんとに連れてきちゃいます。
しかもスガルの死後、このことを恨みに思っていた雷神は彼の墓碑を踏み砕きますが、そこに挟まってしまうという後日談つき。
ちなみに、『日本書紀』でのスガルは天皇から「蚕(こ)」を全国から集めよと命じられ、間違えて「児(こ)」、つまり赤ちゃんをたくさん集めてきたといううっかりさんでもあります。
大ウケした時の「雄略天皇」に命じられ、その子たちを育てたことから「少子部」の姓を賜ったとも。
これらは、歴史的には実は深い意味のあるトピックのようですが、それはまた別の機会に。
どうです、面白そうですよね?
ほかにも狐を妻にした男の話や、秘法によって空を飛ぶ力を得た仙人の話等々、たいへんファンタスティックなエピソードが目白押しです。
「本地物(ほんじもの)」
本地物とは、神社などの起源譚を記したお話のジャンルのことで、『〇〇の本地』などのタイトルがつけられます。
「本地垂迹説」という、神と仏を同一視する理論に基づいて構成されていることが名の由来だそうです。
こちらも宗教的な話かと思いきや、なかなかに異世界ファンタジー感があふれたものがあるのです。
ここでは室町時代後期には成立していたと考えられる、京都・貴船神社の縁起を語る『貴船の本地』をご紹介しましょう。
都の中将は扇に描かれた美女に恋をしますが、鬼の国に彼女より美しい姫がいると聞いて会いに行きます。
見事、鬼の姫と恋仲になった中将でしたがそれを知った鬼の王は激怒し、姫を殺してしまいます。
なんとか元の世界に戻った中将は、生まれ変わって再び出会った姫と結ばれます。
しかしそこに鬼の王が襲来、中将と姫は陰陽師の助言で鬼を撃退し、やがて恋人たちを守護する貴船の神になりました……。
と、いうお話なのですが相当ラノベ感満載ではないでしょうか。
・扇絵に恋(二次元萌え)
・鬼の姫と恋(異種族恋愛)
・鬼の姫生まれ変わり(異世界転生)
・陰陽師と鬼の王を撃退(術式バトル)
・夫婦で神に(超絶レベルアップ)
この要素だけですでに異世界ファンタジーだと思うのですが、いかがでしょうか。
ちなみに、この時陰陽師のアドバイスで炒り大豆を鬼祓いに使ったのが「豆まき」の起源ともいわれています。
『御伽草子(おとぎぞうし)』
いわずと知れた物語文学の金字塔が『御伽草子』です。
室町時代から江戸時代初期にかけて蓄積された約500もの掌編の集合体ですが、なかでも有名な23編を指していう場合もあります。
『一寸法師』や『浦島太郎』、『物くさ太郎』等々の超メジャーなお話も、ここに含まれています。
御伽草子は恋愛ものや英雄譚など多岐にわたるジャンルがありますが、竜宮や天上界、蓬莱の国など異世界もしばしば登場します。
また、社会からつまはじきにされたり、不当な評価を受けていた者がやがて真実の力を発揮する、という現代ラノベでも馴染み深い展開もよく見かけます。
『物くさ太郎』などは寝てばかりの怠け者、つまりニート的な人物がチャンスをつかみ、都で美女と結婚したうえ実は帝の実子だったことがわかり超出世するというお話。
『都に出たら本気出す』的な感じですよね。
『一寸法師』も最初は一人前と扱われなかった小さな剣士が、やがて姫を守って鬼を倒し、打ち出の小槌(魔法)で立派な男になって成功するという筋書き。
ちょっと違うかもしれませんが、なんとなく「転スラ」なんかを思い出してしまいます。
極めつけといってもいいのが『鉢かづき』で、頭にかぶった大きな鉢がとれずに屋敷で冷遇されている娘が貴公子の目に留まり、鉢の封印が解けたら超絶美少女だったというお話です。
鉢かづきはもちろん気立てがよく、実務能力も教養も高い立派な人物なのですが、やはり「仮面の下の美貌」タイプは鉄板ですね。
こういったキャラクター造詣が日本古来のものだということに、改めて驚かされる思いです。
「輪廻転生」というアジア的死生観
さて、古典文学のなかでは頻繁に「生まれ変わり」という現象が取り上げられますが、ここで最初の「異世界転移」と「異世界転生」の違いを思い出してください。
浦島太郎でいえば竜宮に行くのが「異世界転移」、貴船の本地なら鬼の姫が人間として生まれ変わるのが「異世界転生」といえるでしょう。
特に転生については、仏教的な「輪廻転生」という死生観が古くからあり、昨今のラノベで様式化ている異世界転生というテーマも、実は古くから日本人にとって親しまれたものといえないでしょうか。
このアジア的ともいえる観念が物語に与えてきた歴史的な影響から、「一度死んで違う世界に生まれ変わる」という展開をすんなり受け入れる文化的な土壌が出来あがっていたと考えます。
「御伽草子の系譜に連なる」といえば言い過ぎかもしれませんが、少なくとも異世界もののラノベも現代のおとぎ話と例えるのに差し支えはないでしょう。
数多の良作が並ぶ今だからこそ、あえて古典文学にさかのぼってみるのも面白いのでは。
お気に入りのラノベと目を通した御伽草子とがそっくりだった、なんて楽しい経験ができる可能性も大いにあり!ですよね。
三條 すずしろ・記
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