新聞奨学生とは
新聞少年、という言葉はもうあまり聞かなくなってしまったかもしれません。
しかしかつては勤労学生の代表的なシステムとして、新聞社から返済不要の奨学金を受けて新聞配達などの業務を行う、「新聞奨学生」がたくさん働いていました。
かくいうわたしも20年あまり前、高校卒業後すぐに大阪で1年間住み込みの新聞奨学生として働き、進学費用を貯めた経験があります。
いまとなってはやはり貴重な体験だったなあ、と懐かしく思い出されるようになり、創作のヒントにもなるかもしれないという思いから当時のことを記事にしてみます。
奨学生の待遇とシステム
新聞奨学生とは、新聞社が勤労学生に対して返済不要の奨学金を支給し、それを学費として就学あるいは受験勉強をするというものです。
奨学生は各新聞販売店において朝・夕刊配達を中心に、チラシ折り込み・集金・ポスティング等々の付随業務を行います。
この労働の対価として販売店から賃金が支払われ、奨学金と合わせた収入で生活して学費をまかないます。
付随業務の内容は新聞社によっていくつかのコースがあり、わたしが選んだ会社では朝・夕刊の配達と新聞チラシの折り込みを含むものでした。
賃金はざっくりとですが、販売店から月額約10万円。
奨学金は新聞社から月額約7万円。
住居は新聞販売店の2階以上が部屋になっており、わたしを含めて4名が暮らしていました。
住居費は無料でしたが水道・光熱費の一部が給与天引き、食事はまかないが出るという話でしたがわたしの販売店では出ず、代わりに月々1万円の食費補助が支給されていました。
わたしが選んだ新聞社では、希望すれば毎月奨学金が振り込まれるシステムでした。
もっとも予備校生として申し込んだため、予備校の学費が相殺された後からの支給ではありました。
これも新聞社によっては毎月支給方式ではない場合もあります。
奨学生の研修から配属まで
高校卒業後まもなく、新聞社が主催するオリエンテーションが大阪で開かれました。
2泊3日の研修で、この最終日には各新聞販売店の責任者が迎えに来てくれ、そのまま配属先へ直行するという流れでした。
実際の業務について
配達・付随業務にかかる時間
当時の奨学生募集のパンフレットには、作業時間の目安として確か「朝刊2時間程度、夕刊1.5時間程度、チラシ折り込み30分程度」などと書いてありました。
しかしこれはあくまで目安であり、配慮はしてもらえるものの基本的には配属先販売店の配達区域によって大きく異なるのが現実です。
わたしが担当した区域は範囲が広く、もっとも慣れた状態で「朝刊3.5時間、夕刊2.5時間」が必要でした。
また、チラシ折り込みは従業員同士での交代制で対応していたので毎日ではありませんでしたが、週末セールに向けて最もチラシ量が多くなる金曜夜は1.5時間ほどもかかる作業となっていました。
チラシが多くなるとその分積み込む新聞も重くなり、古い自転車での走行は大変だったのをよく覚えています。
配達するもの
また、「本紙」と呼ばれる「〇〇新聞」そのものだけではなく、各銘柄のスポーツ紙や「鉄鋼・油脂・保険」などの業界新聞も一緒に配らなくてはなりません。
配達の道のりは「順路帳」という横長の帳面に特殊な記号で書きつけていますが、道は身体で覚えるので一か月ほどで必要なくなります。
朝刊の方がボリュームがあり、配るべき銘柄も多岐にわたりますが夕刊は薄くてずいぶん楽に感じたものです。
夕刊のみのタブロイド版もありましたが、私の区域ではほとんど配っていませんでした。
ただし、道行く人が「一部ちょうだい」と声をかけてくることもあるため、その場で売れるように余分に用意していたものです。
新聞の「中継」
わたしの担当区域での朝刊配達件数は300件程度でしたが、範囲が広いためすべての新聞を積み込まず、あらかじめ決めた場所に補給ポイントのような形で販売店の人が残りを置いてくれていました。
これを「逓送(ていそう)」や「中継」と呼んでいます。
雨の日
雨の日には、新聞一部ずつをビニールでラッピングする場合が多いかと思いますが、わたしのお店にはその機械はありませんでした。
そこで専用のビニールでできた大判の雨除けを使います。
これは自転車の前カゴ周りに巻き付けたタイヤチューブに挟んで、積み込んだ新聞全体を覆うというものです。
それでも隙間から風雨が吹き込んでくるので、荷受けした時に新聞を包んでいた薄いビニールを各所に巻き付けて防護します。
いま思うと、よくあれで濡れずに済んだものだという感じですが、どんな土砂降りの日でもそれで対処していたので結構強力だったのでしょう。
以下、私の場合の一年間
住み込みでの新聞配達は、前任者からの引継ぎで始まりました。
一応個室が用意されるということでしたが、引継ぎ完了までの12日間は当然仮住まい。
約2畳の物置で暮らしていました。
毎朝午前3時には店舗1階に降りて待機。配送業者から新聞を荷受けし、間に前夜仕込んだチラシをセットして必要部数を確保。
それが済み次第、自転車の前カゴと後ろ荷台に積み込みます。
前カゴにはたくさん新聞が載るよう、左右からタケノコの皮のような形に積み上げていきます。
後ろの荷台には平積みし、自転車のタイヤチューブで結束します。
夕刊は午後3時くらいから同じ要領で対応。
わたしは予備校生でしたので、朝刊配達が済んだら講義を受けて夕刊までに店舗に戻るという生活でした。
もっとも、早い段階で推薦入学が決まったので3か月ほどで予備校には行かなくなってしまいましたが……。
規定では4週に4日の休日を与えられるということでしたが、人手不足もあり丸一日の休みというのは月に一度の「休刊日」と1月2日の正月休み以外ありませんでした。
日曜と祝日は夕刊がないため朝刊配達以降はゆっくりでき、わたしは予備校の講義のため毎週一日だけは夕刊配達が免除となっていました。
他の先輩たちもそれぞれ専門学校生でしたが、超夕刊配達を休みなくこなす代わりに店舗から皆勤手当てが支給されていたようです。
食事は共同キッチンで、基本的に自炊。
これがもっともお金のかからない方法で、さまざまに工夫して少しでも安くおいしいものを食べたいと思っていました。
思えば料理の基礎的な部分はこの時代に実践して身についたものでした。
一方、集金や営業などはしなかったため、その点では楽だったかもしれません。
辛かったこと
実をいうと、新聞配達の生活そのものが辛いと思ったことはほとんどありませんでした。
家が貧しかったので自分で稼げることが嬉しく、人生初の個室での暮らしも気兼ねがなくて気に入っていました。
配達ではよく雨が辛いと聞きますが、わたしは雨の日は空気がきれいになる気がして嫌いではありませんでした。
それよりも、「風」の強い日が非常に辛かったのを覚えています。
逆風になった際は本当に自転車が進まず、激しく体力を消耗します。
また、気を付けて駐輪しておかないと自転車が倒れたり積み込んだ新聞が飛ばされたりして、悲惨な目にあいます。
あと、学生とおぼしき同年代の少年少女が楽しそうに街を歩いているのとすれ違うのは、正直言って少しうらやましかったです。
しかしそれも仕方のないこと。あきらめるよりほかありません。
もうひとつ、体調を崩した時は本当にしんどかったです。
急に配達の穴を開けると代わりの人はいないため、大変なことになってしまいます。
熱が39℃あったときもフラフラになりながら配達。若かったからできたことですね。
楽しかったこと
自分自身でお金を稼いで、仕事以外は自由にできるのでその点ですでに楽しくやっていました。
それに、同居の先輩方や配達先の人々、そして他の新聞社の社員さんや奨学生の人たち等々、とにかく周囲の人によくしてもらいました。
「新聞社同士はライバルかもしれへんが、わしらは仲間や」
そう言ってくれた他社の老社員の方の言葉は今でも忘れられません。
わたしは18歳まで携帯の電波も届かないような山奥で育ったので、大阪という大都会での暮らしも目新しいことばかりで楽しかったです。
メリット
先述したように、自助で生活費と学費を十分に稼げるという点が最大のメリットでしょう。
現在でも、これ以上の勤労学生のための制度はないと考えています。
新聞奨学生を終了したという経歴も、当時は大きなステータスでした。
わたしは1年間だけだったので大した武功ではありませんでしたが、奨学生として専門学校や大学を卒業した人たちは就職でも高く評価されることが多かったように思います。
住居費がタダというだけでも計り知れない恩恵で、もしかすると実収入という点では一番豊かな時期だったかもしれません(笑)
デメリット
デメリットとしては、途中でやめると違約金が発生すること、そして配属先の環境に大きく左右されることです。
わたしが働いた店舗はましな方でしたが、実際にいじめや過重労働の問題は漏れ聞こえていました。
店舗側への直接交渉は難しいので、もし心身を脅かすようであれば所属する新聞社の奨学会に相談しましょう。
親身に対応してくれ、必要な場合は配属先を変更するなどの措置を講じてくれるでしょう。
また、生活リズムが崩れやすくなるため、夜型になって体調をおかしくする学生も少なくありませんでした。
同僚や友人がいないと人との接触も少なくなるため、メンタル面でも落ち込んでしまうケースが見受けられます。
わたしも大学が決まった後はすっかり気が抜けてしまったのか、昼間はほとんど眠って夕刊配達前からずっと起きているという生活が続いた時期がありました。
心身の健康を保つ工夫が、ぜったいに必要です。
まとめ:奨学生のケースは人それぞれ
以上はわたしが経験した1年間の、新聞奨学生生活についてのあらましです。
20年たったいまでも時おり懐かしく思い出す、実に貴重な体験だったと思っています。
しかし、状況はひとそれぞれでまったく異なるため、いい思い出を語る方ばかりではありません。
新聞そのものの発行部数が減少し、少子化の影響を受けている現在ではどのような様子かはわかりませんが、制度としてはやはり夢のあるシステムではないかと思っています。
もしいま進学と費用の問題で悩んでいる方がおられたら、何かの参考にしていただけると幸甚です。
三條すずしろ・記
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