ちいさな洋食屋さんを舞台にした、それぞれの「選択」の物語
自分の人生を決めるため、誰もが幾度も「選択」の岐路に立たされます。
目の前の道を、右に行くか左に行くか。
ほんとうは右に行きたいけれども、どうしても左を選ばなくてはならない理由がある……。
大ごとだけではなく、ごくささいなことでもそんな選択を強いられることは日常茶飯事です。
でも、それがたとえば恋に関することだったら。
それが結婚という大きな問題にも直結していたら。
それが自分自身のよって立つ、家族そのものの在り処と天秤にかけなくてはならなかったら。
この『金沢 洋食屋ななかまど物語』(上田 聡子)は、そんな「選択」に直面する3人の男女のお話です。
金沢の洋食屋さん「ななかまど」の看板娘「千夏」は、美術史専攻の大学院生「丹羽」にひそかに思いを寄せていました。
でも、コックの父と亡き母とが築いてきたお店を守ることが、千夏の心からの願い。
折しも体調を崩し厨房に立つことが難しくなった千夏の父は、後継者候補として若いコック「紺堂」を連れてきます。
それはすなわち、千夏の将来の夫候補でもあるのでした。
丹羽は学位取得後は金沢を離れる可能性が高く、千夏が自身の恋を貫けば店を自分が守ることはできません。
一方で店の存続を選ぶことは、丹羽への思いを切り捨てることを意味します。
丹羽も紺堂もそれぞれに千夏への思いを抱えつつ、3人は「選択」を迫られます。
この作品は恋愛小説と呼ばれていますが、二人の王子さまのどちらを選ぶかという単純なお話ではありません。
自分が自分であることを、自ら決めることの葛藤に背を向けなかった若者たちの物語だと私は思っています。
恋する人ばかりではなく、選択に悩むすべての人にこそ全力でおすすめしたい、『金沢 洋食屋ななかまど物語』のご紹介です!
主な登場人物
「ななかまど」に関わるどの人物も魅力的なのですが、主人公の3人に加えて特に重要と思ったキャラクターをご紹介します。
かんたんなプロフィールに加えて、少し本編の内容に触れる部分もありますのでネタバレしたくない方は、このまま作品をお読みくださいませ(*´ω`)
神谷 千夏(かみや ちなつ)
ななかまどの一人娘で、大学4回生の22歳。
店ではホールとマネージメントもこなし、コックの父と亡き母の思い出が詰まったななかまどを守ることを決めている。
常連でもある大学院生の「丹羽」にひそかな恋心をよせており、自身の思いがどこにあるのかについて苦悩することになる。
丹羽 悠人(にわ ゆうと)
日本美術史を専攻し、浮世絵美人画を研究する大学院修士課程の2回生。24歳。
論文や研究発表資料の作成で根を詰めることが多々あり、度々ななかまどに出前を頼み千夏にとってはそれが楽しみともなっている。
学芸員という狭き門を目指しているため、学位取得後は金沢に残れるとは限らないが、彼も千夏に特別な思いを寄せている。
紺堂 直哉(こんどう なおや)
体調を崩して厨房に立つのが難しくなった千夏の父が、「後継者候補」として連れてきたコック。25歳。
実家は料理旅館であり、料理人の一家に育った。直前までホテルの洋食部門で働いており、将来を嘱望されていた。
後継者とはすなわち千夏の夫候補でもあることを理解しており、不器用ながらも彼女への思いをストレートに表現する。
数年前、父とともにななかまどに来店したことがある。
高瀬 凛(たかせ りん)
スタッフ募集に応じてななかまどで働きだした32歳の女性。一人で幼い息子を育てている。
当初は不器用さから千夏に厳しい態度で接せられるが、いちはやく彼女の恋心に気づき陰に陽に応援する。
辛い人生経験を乗り越えてきたため人の心の動きに敏感であり、「大人の女の子」として千夏のよき味方・理解者となる。
千夏の父
ななかまどのシェフ。早くに妻を亡くしたが厨房に立ち続け、男手ひとつで千夏を育ててきた。
長年の無理から腰を傷め、自身の後継者と千夏の婿候補として、調理師学校時代の同期の息子である紺堂を連れてきた。
男親の不器用さからか千夏の丹羽への恋心にはしばらく気付かず、そのことで娘を呪縛していたのではないかと心を痛める。
豪放な職人気質の雰囲気だが店の存続は最優先ではなく、あくまでも子の幸せを願う実直な人物。
どの道を選んでも、その幸せには「悔い」が残る
この物語で千夏が直面する選択肢は、大きく分けると以下の3つになるかと思います。
1.丹羽との恋を選ぶ(ななかまどを継がない)
2.紺堂と結ばれ、ななかまどを継ぐ
3.上記のいずれも選ばず第3の道を探る
いずれも厳しい選択ですが、問題は「ななかまど」が千夏にとってアイデンティティといってもよい程の比重を占めていることです。
亡き母との思い出、家族がそこで生きて自身の直接のルーツとなる「よるべ」となる場所。
長きにわたってたくさんの人がおいしい笑顔を見せてくれた、これからもなくしてはいけない場所。
千夏にとってななかまどとはただの店舗ではなく、そんな大切な時空が積み重なった宝物なのです。
自身の恋を貫いて丹羽を追うことはできても、そこには大切な場所を後にしたという悔いが残る。
よき夫となる確信のある人と店を継ぐことはできても、あきらめた恋は必ず心の棘となる。
そのどれも選ばなかったとしても、悔いからは逃れられない。
したがって、この時点で”千夏自身”が選べる道は、たとえ幸せであったとしてもいずれも悔いの残る予感をはらんでいます。
そして、千夏にとってはやはり「ななかまど」こそがいちばんの心のありかなのでした。
私はこの葛藤に、激しく感情移入してしまったのです。
千夏・丹羽・紺堂の3人。それぞれの葛藤についての考察(若干のネタバレ注意!)
さて、次に主人公3人について、それぞれが抱える葛藤のありかを勝手に考察してみたいと思います。
いち読者として私の感じたところが大きいので、個人的な意見として読んでいただければ幸いです。
千夏の抱えるジレンマ
彼女のことを見ていて、その根本にあるのはもしかして「自分が料理人ではない」ことへのジレンマなのかな?と感じることがありました。
もし千夏が自分で父の料理を、ななかまどの味を受け継ぐ立場であれば、一緒に店をやることはできなくても丹羽を引き留める手立てを提案できたかもしれません。
もちろん、「後継者候補」や「夫候補」といった話も出てこなかった可能性も高いでしょう。
でも千夏の立ち位置はコックではなくてマネージャー、どちらかというと経営者の視点のように思います。
もしかしたら、彼女自身が父の料理を継ぐことを真剣に考えた時期もあったのかもしれません。
しかし、おそらくはそうしなかったのではなく「できないことを認識した」のではないかと拝察しています。
厨房に立つ父の姿は、家庭で見せるそれとは異なる厳しい「闘う姿」だったはずです。
職人仕事は繊細で過酷で、しかも人の口に入る食べ物を扱うという点でも、重大な責任を負っています。
刃物や火を扱うことから、具体的な危険にも満ちています。
千夏の父が腰を傷めたのは長い立ち仕事という特性もあるでしょうが、常に神経を張り詰めてきたことのダメージのようにも思えて仕方ありません。
そんな父のサポートをしてきたのが母の陽子だっため、いつしかそれを代わりに支えていくことが千夏にとって使命のようになっていったのかもしれません。
職人としての修行を行うには、決意とタイミングが必要です。
母の死という大きな喪失のなか、ななかまどをオープンし続けるためにはマネージャーとしての千夏の役割が不可欠だったはずです。
そこには、これから自身が料理人として訓練を受ける余裕はあり得なかったでしょう。
千夏の父が、来たばかりの紺堂に店のレシピ帳を渡すシーンがあります。
千夏はそれを見て、うらやましいような複雑な心境に陥ります。
自分は、ななかまどの味を継いでいく者ではない――。
そこにこそ、千夏が抱えるジレンマの根があるように思えてなりませんでした。
丹羽の孤独な戦い
千夏が思いを寄せる丹羽は、浮世絵の美人画を研究する大学院生。
没頭するとしばらく食事も忘れるような集中力を発揮するため、たびたび千夏が出前を届けます。
彼が大学や学会でどのように振る舞っているのか具体的な描写はほとんどありませんが、千夏からすれば好きなことをとことん追求するオタクで、ちょっと浮世離れした人というイメージでしょうか。
たしかに何かの専門家にはそういうタイプの人も多いのですが、実は丹羽は研究者としての孤独な戦いに挑み続けていました。
研究者といっても色々なルートがありますが、大学の教員・文化財等専門職としての公務員・学芸員などが現実的な職といえます。
丹羽が目指しているのは「学芸員」。美術館や浮世絵専門の博物館などが主な就職先になるものと思われます。
しかし、学芸員は非常に狭き門として知られる茨の道でもあります。
2008年度のデータではありますが、文部科学省生涯学習局社会教育課の調査によると、学芸員の資格取得者は毎年1万名を超えるものの学部卒での就職率は1%に満たないとされています。
業務の性質上、館が毎年のように補充人員を必要としないこと、そして長らくの文化財行政での費用削減等々、いまなお逆風が続いています。
したがって、希望した館に必ずポストがあるわけではなく、仮に募集がかかったとしてもとてつもない競争率になるため、上記のような数字となるのです。
それに、学芸員の募集には試験で満点をとれば採用されるかといえばそうではありません。
重要な役目であるため、応募者の人柄や能力まで査定対象であるといってよく、学会での論文発表など目に見える形での研究活動や、直接のコネクションも大切です。
はたから見れば部屋にこもって古い美人画を眺めて過ごしているように思われる丹羽ですが、「学芸員に絞って」と言っているとおり、とてつもない努力をしているといえるでしょう。
飄々としてやわらかな雰囲気を感じる丹羽は、おそらくコミュニケーション能力がとても高い人なのでしょう。
老若男女に好かれ、海外旅行客ともなんなく意思疎通ができる語学力をもっています。
一方で、恋愛に関してはむしろ臆病な面も見受けられます。
高2の頃に7歳年上の社会人の女性と付き合い、半年で振られて以来は恋愛経験なし。
一言でいえば、よい意味で「かわいい男」なのかもしれない、と想像します。
しかしそれだけに恋愛においては少々子供っぽいところもあり、千夏をやきもきさせることもしばしば。
そんな丹羽ですが、知られざる学問の戦いに身を投じる強さをもった人物であることが伝わってきます。
夢と目標に懸けている似た者同士として、痛いほどに千夏の気持ちが理解できるのでしょう。
丹羽が葛藤と弛まぬ研鑽の末、最後にたどり着く答えを見守ってあげてください。
紺堂の矜持
紺堂が料理人としての修行を始めたのは17歳の頃。高校を中退してその道に入るという、不退転の姿勢でした。
父が和食の料理人で、兄もその道に進んでいるのですが紺堂が選んだのは洋食。
それがななかまどと千夏との縁につながりました。
実は数年前に父とともにななかまどに来店したことがあり、彼は千夏のことを覚えていました。
私は、紺堂の千夏への思いは冗談ではなく本当にこの時から始まっているものと感じました。
”数年前”を仮に5年ほど前とすれば、紺堂はまだ修行を始めて3年ばかりの駆け出し。
対して千夏は高校生で、その時には店に立っておりもしかすると母を亡くして間もなかったかもしれません。
職人としてまだ自身が何者でもない紺堂にとって、その姿はさぞや眩しかったのだと思います。
だからこそ、ななかまどでのコック就任の話が出た時、「縁」を感じずにはいられなかったのではないでしょうか。
あの時とは違う、職人として成長した自分がもう一度あの少女と会える――。
紺堂の一途さは、そんな思いにも裏打ちされているのではないかと感じました。
彼は丹羽と違ってちょっと近寄りがたいような雰囲気をもった男のようですが、実は細やかで心の温かい人物です。
腕のいい洋食の職人でありつつ、デートの時には和風のお弁当を用意するなど、割烹旅館の気風をしっかりと受け継いでいます。
また、千夏の料理の特訓に付き合ったり、すばらしいタイミングでさりげなく欲している料理をすすめるなど、相手の「今」を思いやるという料理人に不可欠な心配りを身につけています。
紺堂の人間としての魅力はまさにそういったやさしい心配りにあり、不器用でストレートな愛情表現にもとても好感がもてました。
紺堂はその腕をかわれ、引き抜きを持ちかけるほど彼の料理にほれ込んだ人物もいました。
しかし彼自身には大きな店で働きたいとか、有名になりたいといった野心はありません。
ななかまどで働くことを決意したのも、千夏とのことが大きく影響しています。
それだけに、もし千夏が自分を選ばないのならば、ななかまどでコックをする意味はないとはっきり考えています。
紺堂の葛藤はそこにあり、千夏の本心が自分に向いていないことを知りながらも辛抱強く彼女に寄り添おうとし続けます。
彼が最後に出す答えは、なんだったのか。
ぜひそれを見届けてあげてほしいと思います。
余談ですが、私が個人的にもっとも好きな人物がこの紺堂シェフです。
ぜひ一緒に酒でも飲んでみたい……(笑)
とにかく料理がおいしそう!身近にあって「ちょっと特別」なごちそう洋食
恋愛模様を中心に語ってきたこの作品ですが、ななかまどは長年愛されてきた洋食屋さん。
とってもおいしそうな料理の数々が目を喜ばせてくれます。
洋食、ってなんだかちょっと特別な感じがしませんか。
肩がこらないけれど、なんだか心が浮き立つような。
ちょっといいことがあったときのお祝いとか、恋人と付き合い始めたばかりの時のお食事デートとか。仕事のときのランチでも、ようし午後からもがんばろう!という力をくれるような気がしますね。
ななかまどでは、そんなお料理が目白押しです。
実は各章のタイトルに料理名が入っていて、それが物語のキーにもなっています。
以下に、書き出してみましょう。
一皿目 二人の出会いのオムライス
二皿目 噂の彼のビーフカレー
三皿目 火花散るフルーツパフェ
四皿目 告白のミックスフライ
五皿目 東京デートの親子丼
六皿目 涙味のクリームシチュー
七皿目 苦くて甘いチョコブラウニー
八皿目 お別れの柚子サイダー
デザート 桜色のパウンドケーキ
もう見ただけでおいしそうですねえ(*´ω`)
サブタイトルからも推察できるとおり、千夏の恋は波乱含みです。
でもこういったちょっと特別なご飯を、丹羽は息抜きの時間に自分へのご褒美として、次の研究への活力にしたのだろうなあと思ってしまいますね。
古都「金沢」という秀逸な舞台装置
もうひとつ大事なことを述べさせてください。
この物語はタイトルにあるとおり、金沢の街が舞台となっています。
金沢といえば「古都」「加賀百万石」「空から謡(うたい)が降ってくる」などといわれる、歴史ある土地。
そんな風情ある街の様子が、すばらしい舞台装置として機能しています。
本にはななかまど周辺の地図も載っており、その中からいくつかのリンクを載せておきましょう。
私はまだ金沢に行ったことがないのですが、この作品を読んで「行きたいところリスト」の最上位に浮上しました(笑)
千夏が、丹羽が、紺堂が、それぞれの思いを抱えて暮らした金沢の町。
ななかまどの聖地巡礼にぜひ!
note版のオリジナル、『洋食屋ななかまど物語』もぜひ!
最後になりましたが、作者の上田聡子先生とななかまどについて少し補足を(もうご存知ですよね)。
この作品はもともと「note」で連載されたもので、原題は『洋食屋ななかまど物語』です。
上田先生は児童文学や短歌などでも活躍され、「meiji×note」のハッシュタグ企画「#ヨーグルトのある食卓」では『朝、一緒にヨーグルトを』が「入賞」5作のひとつに選ばれています。
noteからの商業出版デビューという経緯であり、本当に力のある作家がきちんと評価された好例として、多くの文筆家に勇気を与えたと思っています。
ななかまど物語は文庫化にあたり、大幅に加筆され人物造形もさらに掘り下げられています。
そこでファンの皆様には、こちらオリジナル版のななかまどとぜひ読み比べて頂きたいと切に願います。
文庫版とはまた異なる魅力に引き込まれ、双方にあらたな楽しさを見つけていけること請け合いです。
最後の最後に、お店の名になった「ななかまど」という樹について。
冷涼な土地に生える樹で、札幌には街路樹としてたくさん植えられているのが有名です。
秋には小さな赤い実をたわわにつけ、越冬する鳥たちの貴重な食べ物となっています。
「七竈」とも書くように、その語源は材が燃えにくいためという説が一般的のようですが、実際には高い火力を生み出す良質な樹とされています。
炭として焼くのに七日のあいだ竈にくべることから、という説もあるようですね。
いずれにしろ、料理の象徴である「竈」の名を冠するこの樹は、ずっと愛される食べ物屋さんに相応しいのではないでしょうか。
花言葉は、「私はあなたを見守る」――。
全力でおすすめしたい小説です。
三條 すずしろ・記
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