織田信長を「第六天魔王」の異名で呼ぶのはあまりにも有名ですね。
イメージにぴったりというかちょっと中二っぽい感じも風情というか、ともかく他に「魔王」とまでの二つ名が付く戦国武将は思いつきません。
これはポルトガルの宣教師「ルイス・フロイス」がイエズス会への報告書簡に記したことで、武田信玄への返信書状における信長の署名とされています。
信玄の書状は元亀2(1571)年の比叡山焼討を受けてのことで、そこには「テンダイノ・ザスシャモン・シンゲン(天台座主沙門信玄)」とあったと報告されています。
対する信長の署名が「ドイロク・テンノマウオ・ノブナガ」で、日本語にするとこれが「第六天魔王信長」の意と考えられています。
比叡山を、仏法を守護するという信玄の宣言に対抗し、魔王として信長が立ちはだかるといった解釈がよく知られていますが、そもそも「第六天魔王」とはどのような存在なのでしょうか。
解説記事は豊富にありますが個別の説明に正確ではない点も多々あり、少し混乱を招くかもしれません。
そこで本記事では、第六天魔王とは一体何なのかということを中心に、詳しい位置付けを解説します。
第六天=天界の階層の一つ
そもそも第六天魔王の「第六」とはどういう意味なのでしょうか。
魔王という言葉からはイメージしにくいですが、これは仏教の世界観に関連した用語です。
仏教では天界も階層構造になっていると考えられており、人間界に近い下層天界のうち未だ欲望に囚われている6つの階層を「六欲天」と呼んでいます。
その六欲天の最上階を「第六天」といい、その主が第六天魔王なのです。
第六天は別名を「他化自在天(たけじざいてん)」といい、この世界の住人を指してそういうこともあると説明されています。
よく混同されるのは第六天魔王の異名として他化自在天があるというものですが、正確には第六天のことであって主の魔王を指す言葉ではありません。
第六天魔王=伊舎那天=大自在天=シヴァ?
さて、この第六天魔王が仏教では天界の一部を司ることがわかりましたが、いわば「仏尊」の一種でもあります。
『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によるとこの仏を「伊舎那天(いざなてん:又はいしゃなてん)」としており、「欲界第六天の主」と説明しています。
そして伊舎那天の別名は「大自在天(だいじざいてん)」で、これこそヒンドゥーの破壊神として著名な「シヴァ」と同一であると述べているのです。
なお、『縮刷版 密教大辞典』(法藏館)では「伊舎那天」の項目の説明として「破壊を主る溼婆(Civa)神と同一視せられ、大自在天の化身とせらるる」と記述。
また同書「大自在天」の項目では「大自在天に千名ありと云ふ」と記しており、無数の姿や別名があることを示しています。
このことから、信長が名乗った第六天魔王とは「シヴァ神」のことといっても差し支えないでしょう。
第六天魔王はほんとうに単なる仏敵?
以上のことから比叡山や仏教勢力を守護する信玄に、破壊神シヴァを象徴する署名で信長が対抗したとする解釈が一般によく知られています。
しかし、信長はほんとうに単なる「仏敵」と自身を位置付けたのでしょうか。
もう少し詳しく第六天魔王の位置付けを見ていきましょう。
第六天魔王にはさまざまな別名があり、そのうち「波旬」という呼び名があります。
これは釈迦が悟りを開く際に妨害を行った悪魔「マーラ」のことで、その点ではまさしく仏敵といえるでしょう。
ところがこの波旬、最終的には釈迦に帰依して『大般涅槃経』によると釈迦涅槃の際に供養に参列しているのです。
古代インドの神々は主に「天部」として仏教に取り入れられ、仏法を守護する存在と位置付けられました。
シヴァは大自在天だけではなく「大黒天」にも化身し、同じくインドラは「帝釈天」、ブラフマンは「梵天」として知られています。
また日蓮も第六天魔王を仏道修行の妨げとしつつ、強い祈りによって味方となることを説いています。
このようなことから、信長が単純に仏教勢力への対抗という意味で「第六天魔王」を名乗ったというには疑問があり、もう少し深いメッセージが隠されているとは考えられないでしょうか。
魔王と称されながらも第六天魔王はあくまでも仏教世界での位置付けであり、仏尊の一角を成す存在です。
ですのであえて「天台座主」を名乗った信玄への当てつけやジョークではなく、「仏敵として仇なすのみならず適切な関係性ができれば仏法の守護者ともなる」との深読みもしたくなってしまいますね。
信長がそもそも仏教そのものを否定したわけではないことからも、「仏敵」という一元論には再考の余地があるのではないでしょうか。
「第六天魔王」の信長の時代での用例は?
信長が第六天魔王と署名した実際の書状は残っておらず、先に述べたルイス・フロイスの書簡から推し量れるのみです。
ですが信長が生きた当時、第六天魔王という言葉はメジャーなものだったのでしょうか?
最後に同時代頃までの資料で「第六天魔王」あるいは同様の語句が記された例を見ておきましょう。
・『平家物語』〔13C前〕一〇・維盛入水 ❝第六天の魔王といふ外道は、欲界の六天をわがものと領じて❞
・『太平記』〔14C後〕一二・千種殿并文観僧正奢侈 ❝甲の真向に、第六天の魔王と金字に銘を打たる者座中に進み出で❞
・『大観本謡曲』「第六天」〔室町末〕 ❝そもそも是は仏法を破却する第六天の魔王とはわが事なり❞
平家物語や太平記は信長をはじめ、戦国武将であればおそらく基礎的な教養として目を通していたのではないかと想像されます。
このことから「第六天(の)魔王」というキーワードは決して特異なものではなかったのではないでしょうか。
戦闘が起こるかもしれない重要な外交文書に「第六天魔王」と署名することには、信長なりの深謀遠慮があったのかもしれないと想像をたくましくしてしまいますね。
帯刀コロク・記
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