同じ原料からつくるのに、お酒ってどうしてこうも味わいが違うのだろうと、いつも不思議で仕方ない。
いや、正確に言うと原料が同じというのは使う素材の種類のことで、品種や銘柄によって特徴が違うことはわかる気がする。
ただ、単に「麦」といってもそれからビールやウイスキー、焼酎など全然風情の異なるお酒ができる、というのがとっても面白いのだ。
「酒」といえば日本語ではつまり日本酒のことを指す場合も多いけど、ぼくはこの日本酒が一番ファンタスティックに感じてしまう。
普段から主食として口にしているお米から醸される、伝統のアルコール。
もちろん酒造りに適したお米を使っているのだけれど、お茶碗によそったご飯があの日本酒になるのだと思うと、
「自然すげえぇぇぇ」
と、何やら玄妙な気持ちにならざるを得ない。
元々アルコールにあまり強くないぼくは、一人で晩酌するという習慣がなかった。
でも結婚してからというもの、少ーしずつお休みの前夜なんかに、色んなお酒を味見するのがちょっとした楽しみになっていった。
なぜか「東北の女性はお酒に強い」というイメージがあるが、お嫁さんの伊緒さんは北国育ちで、やっぱりお酒にはたいへん強いのだった。
結婚前、かつて同じ職場だった頃の飲み会では、顔色ひとつ変わったところを見たことがない。
でもそういうのは彼女いわく、
「気合」
だそうで、お家で安心して飲むときは気分よく酔ってしまうという。たいへんかわいくていいと思う。
さてさて、そんなある日の家飲みでのできごと。
「……あまい…!すっごくおいしい」
伊緒さんが目を丸くして、感嘆の声をあげた。
手元には小さなおちょこ。今日はとてもめずらしいことに、一緒に日本酒をたしなんでいる。
「ええから飲んでみ。口に合えへんだら、煮物にでもつこたらええやん」
伊緒さんの歴史ライター仲間の女性が、そう言って持たせてくれた銘柄だそうだ。
彼女はお酒の記事の専門家で、趣味と実益を兼ねて全国の酒蔵を巡っている人で、なんだか羨ましい素敵な生き方だといつも思う。
伊緒さんが普段あまり日本酒を飲まない、という話を聞いて、
「そら、あかん」
と選んでくれたのがこの一本で、仕事で久しぶりに会ったとき、待ち合わせ場所に一升瓶をぶら下げて飄々と現れたのだという。
「それになんだろう、香りが……。りんご…?とか、まるで果物みたいだわ」
伊緒さんが甘さに加えて、そのフルーティーな香りにもびっくりしている。
ぼくもいただきながらまったく同じ「りんご香」を感じていたので、間違いないだろう。
そういえば日本酒好きな知り合いが、醸造香には実に様々なものがあって、熟れたフルーツに例える表現がたくさんあるとのことだ。
今まさに感じている「りんご香」をはじめとして、「メロン香」「バナナ香」「ぶどう香」「桃香」「ライチ香」等々、本当に果物を思わせるような香りのオンパレードだ。
ほかにも花やお菓子、他の洋酒などあらゆる表現があるそうだけど、まずは目の前の甘い日本酒だ。
「日本酒って、なんだか独特のアルコール香がとっつき辛かったというか……」
おちょこを傾けて、違う角度の光にお酒を透かしながら、伊緒さんがしみじみと語りだす。
「わかります、わかります。侘びたというか、ひねたというか、なんとなく垢抜けない匂いのイメージでしたねえ」
お互いの意見が一致して、おおいに盛り上がる。
「なんの香り、って表現するのはむずかしいけれど……。そう、たとえば”よく晴れた早春の朝に、おじいさんが火鉢の炭を熾しているような”……?」
ぶふっ、ワインの例え風できましたか。
ちょっとウケてしまったけれど、確かに特定の何かに例えるよりは「老婆がラベンダー畑を歩むような」とか、「焼けたアスファルトのような」とか、「図書館に積まれた古い本のような」みたいな共感覚を呼び起こす表現のほうが、しっくりくるのかもしれない。
日本酒の甘い・辛い、という印象は「日本酒度」という数値によって表されるそうだ。
数値のプラスが大きいほど辛口、逆にマイナスが大きいほど甘口になる。
さらには、アルコール度数や酸度との関係で口当たりが変わるので一概にはいえないけれど、これが日本酒の甘口辛口の一応の目安となっている。
基準ではプラス6〜が「大辛口」、マイナス6〜が「大甘口」とされ、糖分の多いものがマイナス、つまり甘口とされている。
さて、伊緒さんもすっかり気に入ったフルーティーな甘口の日本酒だけど、どうやらおつまみ選びが難しいということに気がついた。
備蓄のナッツを一緒につまんでいたのだけれど、
「うーん。塩気のあるものだと、辛さとお酒の甘さが際立っちゃうのね」
と、伊緒さんが困った顔をしている。
そうなのです。甘い日本酒にしょっぱい肴を合わせると、甘いものはより甘く、辛いものはより辛く感じてしまい、それがすぐに気になってくるのがよくわかった。
そういえば日本酒については辛口なら塩気や辛さのあるもの、甘口なら甘みのあるものをおつまみに選ぶといいと聞いたことがある。
つまり、お互いに風味を打ち消し合わないような組み合わせがいいということはだろう。
「甘いおつまみ、ありましたっけ」
辛口の酒に塩、みたいな感じで、砂糖というのもおかしいか。
「あっ!いいことかんがえた!ちょっと待ってて!」
伊緒さんのあたまの上にぺかーっ、と豆電球が灯り、何か素敵なアイディアが浮かんだようだ。
お酒の瓶はしっかりフタをしておいて、ぱたぱたぱた、と小走りにキッチンへと向かっていく。
もちろんぼくも、伊緒さんの後をついていく。
「あった!ようし、あまくち日本酒に合うおつまみつくるからね!」
冷蔵庫をゴソゴソあらためていた伊緒さんが取り出したのは、たまごとはんぺん。
おっ!これはもしや。
伊緒さんはフライパンに薄く油をひいて熱しておき、たまごとはんぺん、お砂糖に塩、ほんの少しのお醤油、そして飲みかけていたお酒を手早くミキサーにかけた。
たまごとはんぺんはほどなく十分に混ざり合い、とろとろのペースト状になっていく。
熱したフライパンは一度火から下ろし、濡れふきんの上にジュッ、と音を立てて押し付ける。
コンロの火は微弱にし、再びフライパンを置いて、さっきのたまごはんぺんペーストを一気に流し込んだ。
「わあ、まるでホットケーキみたいですねえ」
「そう!まるっきりおんなじ手順よ」
フライパンにフタをかぶせ、平和な会話をかわしながら待つことしばし。
なにやらもう、ふんわり甘くてほのかに香ばしい匂いが立ち込めてきて、いやがおうにも期待が膨らんでしまう。
ごくごく弱火で、なんだかんだと15分ほどは熱したろうか。
伊緒さんがそおっとフタをとると、中にはぷくぷくに膨れ上がったはんぺんたまごが鎮座している。
「おいしそう!」
思わず顔を見合わせて、ふたり同時に叫んでしまう。まるで『ぐりとぐら』に出てくるホットケーキのようだ。
表面をつっついても卵液が付かないのを確認して、伊緒さんはアルミホイルを敷き詰めた上にそのままフライパンの中身をあけた。
焼き目が上になり、きれいなきつね色が食欲をそそる。
「あちあちあち」
とアルミホイルの端っこをもって、くるくるくるっと焼けたたまごを巻いていく。最後まで巻いたらぎゅっとホイルの端を絞り、巻き終わりを下にしてきれいな円筒形のまま、しばし置く。
「ほんとは冷ますのだけど、いいや。食べちゃいましょう!」
またまた「あちあちあち」と言いながら、ホイルを開いて中身を切り分けていく。
ぽろっ、とたおれたその断面を見て、
「わあ!」
とふたり同時に歓声をあげてしまう。
みごとなまでの渦巻き模様。
これはもう、まごうかたなき「伊達巻き」。
「ああ、これこれ! こういうおつまみが合うんだねえ!」
「ほんとだ、お酒の甘さにちょうどいい感じです!」
甘くてあったかい伊達巻きはふかふかとやわらかく、 あまくちの日本酒にぴったり寄り添うやさしい酒菜となってくれた。
これは、めちゃくちゃおいしい。
そういえば伊達巻きって、どういうわけかお正月の時くらいしか食べないけれど、これならもう毎週でも食べたいくらいだ。
それをちゃんとお願いしておこうと思って、ぼくは伊緒さんのおちょこにもう一杯、甘いお酒を注ぐのだった。
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