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江戸時代に巻く白菜→×! 奈良時代にサニーレタス→〇!? 登場時代に要注意な野菜・くだもの5選!

物書きばなし
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歴史小説や時代小説を彩る「食べもの」のシーン。

時代背景を演出したり、独自の風情を醸し出したりと重要な部分ですね。

ところがある時代ではまだ存在していなかったり、あるいは簡単に手に入らなかったりする飲食物もあるため、うっかり登場させると考証が破綻してしまうおそれがあるものも……。

そこで今回は、歴史・時代小説で扱うのに注意が必要な5つの野菜・くだものをご紹介します。
どの時代からなら登場してよさそうかも併せて解説しますので、ご参考にしていただければ幸いです!

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白菜

和食に欠かせないイメージの白菜ですが、実は現在見るような葉が巻くタイプの結球白菜は1916(大正5)年にようやく安定して国産化されました。
こんなに新しい歴史なのですね。

それまでにも巻かないタイプのものは度々渡来したとされ、幕末の1866(慶応元~2)年には結球する品種が栽培されたそうですが、いずれも他のアブラナ科の作物と交雑してしまい種を保持することができなかったといいます。

したがって、例えば徳川吉宗の時代が舞台の小説で「畑一面の白菜がずいぶん巻いてきた」などと書いてしまったら白菜警察の検挙は免れないかもしれません。

ハクサイ - Wikipedia
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じゃがいも

農林水産省によると、日本へのじゃがいもの伝来は17世紀初め頃のこととしています。
じゃがいもの語源については、インドネシアのジャカルタ経由でもたらされたことから「ジャカルタ→じゃがたら」と転訛した説が有名ですね。

江戸期には救荒作物として重宝されたともいい、各地でいわば「地じゃが」なる品種が栽培されてきました。

男爵やメークインは明治期にアメリカから入ってきたとされるため、元禄期の江戸で「男爵一盛りおくんな」などと書いてしまうとじゃがたら警察が出動するでしょう。

ジャガイモ 「どこからきたの?」:農林水産省
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りんご

こんなもの時代小説で書かないよと思うフルーツの一つに、りんごが挙げられるでしょう。
八百八丁を舞台に目明し文吉がりんごをかじっていると違和感があるようなないような、逆に絵になるかのような不思議な光景が醸し出されますね。

ところが、りんごは平安時代中頃の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に「利宇古宇」として収録されており、既に中国からもたらされていました。
この当時のものは小粒で酸っぱい鑑賞用のものともいわれますが、戦国時代には進物として贈られたことが浅井長政や最上義光の書状で確認できます。

また、1787(天明7)年には飢饉に苦しむ人々が京都御所に押し寄せた際、後桜町上皇が3万個のりんごを配ったという記録もあります。

現在見るような大ぶりの西洋りんごは、1854(安政元)年に江戸・板橋の加賀藩下屋敷での収穫例や、1862(文久2)年に松平春嶽によって江戸・巣鴨の福井藩下屋敷で栽培された例が記録されています。

加賀藩下屋敷ではりんごをジャムのように加工したと考えられ、小さなお餅に塗って食べたそうです。

政府による西洋りんご栽培は明治時代初めの北海道においてであり、流通するようになったのは明治20年代(19世紀終わり頃)のことでした。

上記のことから、目明し文吉どころか戦国武将がりんごをかじっていたとしても、歴史小説のシーンとして成立しそうですね。
ただし「小ぶりな」などと和りんごであることをさりげなく描写するとよいかもしれません。

日本における歴史とは【りんごミュージアム】
日本の歴史について。りんごが日本にやってきた時期や場所など、さまざまな面からりんごの歴史を紹介しています。
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レタス

実は日本での歴史が古い野菜として有名なものの一つに、レタスが挙げられます。
古名を「萵苣(ちしゃ/ちさ)」といい、正倉院文書や『延喜式』にその名が見られることから、奈良時代には既に食べられていたことがわかっています。

『延喜式』の施行は967(康保4)年の平安時代ではありますが、その中身は718(養老2)年に修正・撰定が開始されたと考えられている「養老律令」の施行細則であるため、奈良時代の出来事を記す史料としても使われています。

ただしこの当時のレタスは結球しないサニーレタスのようなタイプであり、生ではなく過熱して食していたようです。
玉レタスは第二次大戦後、アメリカからもたらされたといわれています。

レタス - Wikipedia

「『延喜式』に見える古代の漬物の復元」『東京医療保健大学紀要 第 11 巻 第 1 号』土山寛子・峰村貴央・五百藏良・三舟隆之 2016

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みかん

これは確実に歴史小説に出してもよさそう! と思いますよね。
ところが現在イメージする「温州(うんしゅう)みかん」は明治期以降に一般化したものとされ、それまでは「小みかん(紀州蜜柑)」なる品種が大勢を占めていました。
各地でみかんは栽培されていたようで、現在のものより小粒で酸味が強く、種のあるタイプが主流だったと考えられています。

みかんといえば江戸時代に紀州からの輸送で一財を築いた「紀伊国屋文左衛門」が有名ですが、一大産地の紀伊・有田では室町時代にはすでに在来種のみかんが栽培されていたといいます。

戦国時代の1574(天正2)年、肥後(熊本)八代から良質な小みかんの苗を導入し、在来のものに接ぎ木していったことが『紀州蜜柑傳來記』に記録されています。
江戸期に入ると国を挙げての産業としてみかん栽培が奨励され、やがて江戸へと回漕されるようになりました。

しかし当初は非常に高額で、1634(寛永11)年には1かご半(約22.5㎏)のみかんが1両で売れたというではありませんか。
江戸初期の1両をざっくり10万円ほどとするとキロあたり約4400円に相当し、現在の有田みかんの最高級銘柄のキロ約3000円と比べても随分高値ですね。

したがって、小説シーンでは戦国でも江戸でもみかんを出して問題はなさそうですが、江戸時代の初めごろに庶民が気軽に紀州みかんを口にできる状況ではなかったと考えられますね。

有田みかんの歴史~日本一のみかんの産地はどのように形成されたか
温州みかんの生産量日本一を誇る和歌山県。和歌山県でのみかんの栽培は約450年前に始まりました。平地が少なかった有田地方では、その地形を活かして石垣積みの段々畑でのみかん栽培に古くから取り組んでいました。紀州藩主徳川頼宣による栽培の奨励、大型船を使用した江戸への輸送などにより名を知られ現在まで続く産地となりました。
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まとめ

こうしてみると、日本における野菜・くだものの意外な歴史がわかりますね。
歴史小説や時代小説などの創作で登場させるためには様々な技法があるため、一概に史実との整合性を取る必要があるとは断言できません。

しかしこれらの流入や定着に関してある程度の時期を把握しておけば、作品のシーンにさらなる奥行きを持たせることができるかもしれませんね。

まだまだ知らない事実が眠っているはずですので、我々取材班は調査を続行いたします。

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