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そのレビューは適切な“批判”? それともただの“悪口”? 創作に対する評と中傷を見分けるヒントについて

物書きばなし
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小説などの作品レビューに見られる厳しい批判

どんな作品でもそうですが、評価する人とそうでない人に分かれるのは当然のことです。
好き・嫌いの問題がありますし、作品の価値をどのように味わうかは個人の資質によるためです。

ところが、オープンなレビューの中にはとても激しい調子で非難するものも散見され、問題視する声もあがっています。

もちろんそれとて個人の自由な見解であるため、是非にはグレーな部分も多いでしょう。
しかし、レビューとはあくまで「評」であると私は考えます。

評である以上は批判的な意見であるほど、論理的かつ適切な記述によるレビューが必要でしょう。
「厳しい意見」のつもりで書いたとしても、それが十分な意味を持って伝わらなかったとしたら単なる「誹謗中傷」になってしまうおそれすらあります。

以下は小説作品を想定したお話ですが、読者が思っている以上に書き手はナイーブに受け止め、筆を折るほどの精神的ダメージを受ける例も耳にします。

強調したいのは、批判そのものがダメなのではなく、評が適切であるかどうかが問題と考えている点です。

以下に自身も書き手として、読み手として、レビューに関して気を付けていることや私見を述べたいと思います。

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「ただの悪口」になりやすいレビューとは?

思ったことや感じたことを自由に書く権利がレビュアーにはあります。
「批判」もそのうちのひとつで、貴重な意見であり実は的確にそれを行うのは高評価を下すよりはるかに難しいとされています。
が、そこにも一定の礼節やマナーがあるはずです。

以下は自分自身が適切な批判ではないと感じる、レビューのパターンです。

個人の好みによる批判

まず、意外と多いものに個人的な好き・嫌いを前面に出したレビューが挙げられます。
嫌いである理由を論理的に述べる場合はまだしも、単に好みではないというだけで低い評価を行って非難するのは建設的ではありません。

キャラクター造形やストーリー展開など、あらゆる面においてそうですが、わざわざレビューの手間を割くとしたら好きではないと感じる理由を論理的に述べたいものです。

作品の意図を汲もうとした痕跡がみられない批判

なかには「本当にきちんと読んでくれたのだろうか」と思うような評が寄せられていることもあります。
これは読み手がどのように作品を味わってくれたのかは作者にはわかりませんが、少なくとも熟読したうえでの評かそうでないかはよく分かるためです。

物語をどこまで深く解釈するかは人それぞれですので一概にはいえませんが、ストーリーには表層の出来事だけではなく多くの理由や仕掛けが施されています。

それらを考えるのも読書の楽しみの一つだと思いますので、ぜひ物語の奥へと思いを馳せたうえでレビューに取り組んで頂きたいです。

強い言葉や汚い言葉を使った批判

レビューの中には、かなり攻撃的な言葉で非難するものも見受けられます。

あきらかな瑕疵や問題点があれば致し方ない部分もありますが、それはレビューではなくクレームとして適切に販売者などへ届けるべき事柄です。

強い言葉・汚い言葉は残念ながら一定の共感性をもって増幅されやすいものです。

そうしたものはレビューとは言いがたいものと考えます。

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料理にたとえて考えると、適切な批判の仕方をイメージしやすい

上記を踏まえてまったく否定的な意見を述べてはいけないのかというと、答えは絶対に否だと考えます。
完璧な作品が存在しないように、どのような創作物も前向きにブラッシュアップしていってこそ完成度が高まるためです。
したがって、小説作品にとっても「正しい批判」は実はとても貴重なアドバイスなのです。

ではどのような批判が適切であるかということは、私は料理に例えるとわかりやすいのでは思っています。

たとえば揚物の温度が低くて衣がべたべたしているとか、食材が中まで火が通っていないとか、こうしたことは明らかな料理人の不備であるためこれを伝えることは適切です。

小説でいえばキャラAの行動原理が1章と終章で理由もわからないまま明らかに違うなど、作家が読者に伝えることを怠った描写があれば批判を甘んじて受けるべきでしょう。

ただし、料理の例えに戻すとそれが的外れな指摘であれば適切な評にはなりません。

「動物性たんぱくが一切なく物足りない」と精進料理を非難する。
「全体に辛すぎるのでもっとまろやかにした方がよい」と四川料理を非難する。
「味が薄いので塩分を足すべき」と関西風の料理を非難する。

これらは適切といえるでしょうか。
先述した「好み」の問題に関わると同時に、それぞれの「ジャンル」と「味わい方」を無視した主観のように感じられます。

つまりは個人的な好き嫌いに帰結することで、論理的な批判とはいえない部類の感想にすぎないものです。
これも各人の自由ですが、それを受けて対象がそのように「改善」される性質のものではなく、個人はより自身の嗜好に合うものを探すべきでしょう。

しかし残念ながら、低評価のレビュー内容にはこうしたパターンのものが多いように感じられます。

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「いいところ」と「残念なところ」に置き換えて表現してみる

レビューを書くという作業は、する方にとっても非常なエネルギーが必要です。
「悪意ある書き込み」は皆無ではないとしても、わざわざ時間と手間を割いてそれを行うほどの「思い」があるからといえるでしょう。

肯定的な意見や高い評価は書きやすいですが、できれば角が立たないように伝えたいネガティブな部分もある・・・という場合もありますね。
そうした時はそれを「残念に思った部分」として表現してはいかがでしょうか。

もちろん好みの問題であれば対応しづらい部分もありますが、建設的で適切な批判とイコールになる場合も多いです。

「もう少しこの章を掘り下げてほしかった」「このキャラの○○章での心変わりが得心しにくかった」など、具体的な説明があればなお有意義です。

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作者は受け止めるべき評をしっかり見極める作業を

最後に、自身も書き手の一人として経験のあることを。

読者の方から頂く評やレビューは、本当にありがたく貴重なものです。
それらがもたらす執筆へのモチベーションははかりしれないものがあり、プロでもアマでも関係なく同じ思いではないでしょうか。

しかし、それらを尊重することといわれのない非難を受け止めることとは別の問題です。

否定的な意見や「嫌い」だという感想は必ずあります。100人が読んで全員がよいと思う物語はありません。

それでも、上記のような適切ではないと感じる意見でも大きな精神的ダメージを受ける場合があります。
ですので、自分の中でレビューに対して受け止めるべきかそうでないかを判断する基準をもっておくことをおすすめします。

実際には、論理的に瑕疵や不備を指摘してくれる読者はほとんどいないといえるでしょう。文芸はそもそもが情感に訴える性質の作品であるため、受け取り方も極論すれば「好きか嫌いか」しかないのかもしれません。

レビューというのは自身が想像するよりはるかに多くの人が目にするものであり、一定の技術が必要な「ジャンル」の一種だと考えています。

作者にとっても重要なものであるため、「単なる悪口」なのか「適切な批判」であるかの見極めが必要ではないでしょうか。

帯刀 古禄・記

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