居酒屋 in 中世ヨーロッパ風異世界
今回は料理を題材にした、ちょっと変わった漫画をご紹介します。
料理に関する小説を書く身として、大好きな作品。
蝉川夏哉さん原作、ヴァージニア二等兵さん画の『異世界居酒屋 のぶ』です。
ライトノベルといえば「異世界もの」といえるほど、異世界と名のつかない作品を探すのが難しいほどの昨今。
はじめはタイトルから、てっきりギャグ漫画かと思ったのですが、さにあらず。
中世ヨーロッパ風の異世界に、なぜか日本の正しい「居酒屋」が時空を超えて出店されるというお話で、実に丹念に食と人との関わりが描かれているのです。
異世界ものとはいえ、派手な魔法や巨竜を屠る剣戟などは登場しません。
中世ヨーロッパの城塞都市を思わせる古都・アイテーリアで、不思議な店の温もりに魅入られて酒肴を求めにくる人々のお話です。
みんなすごくおいしそうに食べる!
わたしはコミック版しか読んだことがないのですが、もっとも目を引くのは登場人物たちの「食べ方」です。
口から湯気をふきながら熱いものをほおばる、よく冷えたビールをごきゅごきゅと一息に流し込む、焼き物のタレの香りに鼻孔をふくらませる……。
アイテーリアの人たちの、そんな様子があまりにも「おいしそう」で、夜中に読むとまず間違いなく食欲を刺激されてしまいます。
中世の雰囲気をもった世界のため、現代日本の私たちからすると見慣れた酒肴も、彼らにはどれも不思議で面白く、ミステリアスな魅力に満ちています。
莢つきの枝豆を「手抜きだ!」と怒りながらも、剥きながら食べる楽しさとほどよい塩気にすっかり夢中になってしまったり。
普段から食べ飽きているはずのジャガイモも、辛子添えのおでんですっかり好物になってしまったり。
コミカルながらも、体も心も温まる小さな晩酌の喜びが、丁寧に描かれているのです。
冷たいビールと温かい食べ物、おもてなしの原点
アイテーリアの人たちは、「のぶ」で出されるビールのことを「トリアエズナマ」という名前のお酒だと思っています。
もちろん、私たちも「何はともあれ、一杯目は生ビールで」という意味で「とりあえず、生」と言ってしまいますよね。
アイテーリアで一般的なのは、現代の私たちになじみ深い「ラガー(ピルスナー)」ではなく「エール」というお酒。
その味の違いと、キンキンに冷やされたのど越しのよさに驚嘆するシーンが幾度も出てきます。
また、寒い戸外から店内に入り、おでんや豚汁などの温かい肴で身も心も暖をとれるようなひと時は、現代の働くわたしたちと何ら変わらない人間味を感じさせます。
居酒屋のぶは、初期ではホールの「しのぶちゃん」と板場の「大将」の二人で切り盛りしています。
板前出身の大将は生粋の職人肌で、口数も少なく決して愛想がいいわけでもありません。
ところが、お客さんの欲している料理を的確に見抜いて、細やかな一皿を供する達人でもあるのです。
まさしくおもてなしの原点。
こんな行きつけのお店がほしい! そう思ってしまうような居心地のよさを感じさせます。
食べることの喜びと驚き、そして安らぎがここに
居酒屋のぶには、実にもうさまざまな立場の人が入れ替わり立ち替わり訪れます。
古都の衛兵や旅の商人、聖職者に貴族、はては王族までが「トリアエズナマ」と旨い肴を目当てにやってくるのです。
いずれも、アイテーリアにない調理法でつくられた料理であり、一皿を前にしたとき、そして口に含んだ時の純粋な喜びと驚きが爽やかなまでに胸に迫ります。
わたしのなかで印象的だったエピソードを、ほんの少しだけ紹介します。
ある時貴族とおぼしき男性が、姪の少女を連れて来店します。
幼い頃に両親を亡くし、叔父のもとで育った彼女はたいへんな偏食で、制約の多すぎるオーダーで料理人たちを困らせていたのです。
ところが、しのぶちゃんからそれを聞いた大将はにっこり笑い、こともなげに料理の支度を始めます。
供されたのは「あんかけ湯豆腐」。
目の前でお湯が沸くのを初めて見た少女は、不思議な料理に子供らしさを取り戻して夢中になります。
そして、次々に見たことのない「居酒屋メニュー」がテーブルに並び、嬉しそうに味わう姪の姿を叔父さんは微笑ましく見守ります。
少女は間もなく、嫁がねばならない身だったのです。
異世界+居酒屋、という意表をつく舞台ですが、そこには料理を通じて「心の安らぎ」を得る尊さが描かれています。
それはきっと、明日へと向かうための小さな力となって、人々の胸に刻まれるのでしょう。
書いていて「トリアエズナマ」と「エダマメ」がほしくなってきました。
とっても大事なことを思い出すような、そんな気持ちにさせてくれる素敵な作品です。
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