読者さんから「古本で読んだよ!」「図書館で借りて読んだよ!」といわれること
小説でもその他の本でも、精魂込めて書いた自著はできれば多くの方に手に取っていただきたいものです。
そんな中で「読んだよ!」と声をかけていただくのは本当に嬉しいもので、報われる瞬間でもありさらなる執筆への励みにもなる魔法の言葉といえるでしょう。
ですが以前にSNSで、「古本で読んだとか図書館で借りて読んだとかは著者にわざわざ言わないでほしい」といった趣旨の投稿を目にしました。
これには多くの賛同の声もあり、実際に出版する側にとっては切実かつ繊細な問題であることがうかがえます。
しかし結論からいうと、個人的にもマーケティングの基本に照らし合わせても、この発言は悪手以外の何物でもないと考えています。
以下になぜそう思うのか、自分なりにまとめてみました。
上記のコメントは読者さんが「買っていない」ことへの苛立ち?
まずは、なぜ著者にとって読者さんから古本や図書館で作品を読んだといわれることが厭われるのでしょうか。
答えは実に単純で、その閲読行動が著者の印税収入にならないからであろうと考えます。
仮に「古本で読んだ」や「借りて読んだ」ではなくて「書店で買って読んだ」といわれたらどうでしょうか。これを聞きたくないと思う著者はおそらくいないでしょう。
つまりその読者さんが著者の直接の利益になる購買行動をとっているかどうかによって、感情や態度が左右されていると断言できます。
それは目の前の相手が自著を「買っていない」ことへの苛立ちとも言い換えられ、これが冒頭の問題の根っこであると考えています。
読書体験の否定はぜったいに悪手であると考える理由
著者からすれば、有体に言うと儲けにならないことをわざわざ伝えてくることに対してデリカシーがない、と思ってしまう心理もわからないではありません。
しかしそれをさらにわざわざ読者さんに言われて不快であると表明するのは、どう考えても悪手でしかありません。
どれだけ言葉を取り繕おうと、買っていないことについて読者さんを「責めている」ことにしかならないからです。
読者さんが仮に「古本」「図書館」「借りて」などといった言葉を使ったとしても、それは単に読書体験を伝えたいだけと考えるのが自然ではないでしょうか。
その中には「すごい掘り出し物に出会えた!」「公共の場ですばらしい作品を借りられた!」といった体験としての価値までが含まれているはずです。
それに何より、作品を「読む」という最大のハードルをクリアして感想を述べてくれていることは非常に重要な点といえるでしょう。
古本であろうと図書館の本であろうと、以前に誰かが購入してくれたものであることに変わりはありません。それを短絡的に相手の購買ではないことを非難するかのような言説はプロとして適切なのでしょうか。
仮に本以外の何らかの製品をイメージした場合、「レンタルで使ったがよかった!」とか「実家のやつ借りたら気に入った」などのコメントに「いちいちそんなこと言うな」とメーカーが公式回答したとしたらどうでしょう。
私なら二度とそのメーカーの製品は使いたくないくらいに心証が悪くなります。
それまでどんなに好感をもっていたとしても、です。
これは小説などの本においても同じだと考えるものです。
どうあれ一度読んでくれた方は「超優良顧客候補」
では、古本で読んだとか借りて読んだとか読者さんから面と向かっていわれたとしたら、黙ってニコニコしながら「えらいおおきにさんです」と頭を下げていればよいのでしょうか。
正直なところそれでも充分だとは思いますが、「売りたい」と念じて「買ってもらう」ことをコンバージョンの一つに据えるのならば、プロとしてできることはいくらでもあります。
その一つが自ら行うプロモーションで、いくつかシチュエーションを想定してみましょう。
読者さん「古本屋で買うて読んだけどおもろかったわ!」
著者本人「そらえらいおおきにさんです。もう売らんとお手元置いたってくれたら嬉しおす」
読者さん「あんたの本まだあるんかまた古本屋みてみるわ~」
著者本人「また頑張って書きますさかい、新刊も読んだっておくれやす」
ですとか、
読者さん「あんたの本、図書館で借りて読んだわ!」
著者本人「そらえらいおおきにさんです。他のんも入れてくれって図書館に頼んでおくれやす」
読者さん「おもろかったわ~」
著者本人「ご家族ご友人にもえらいおもろかったいうてすすめてくれはったら嬉しおす」
等々、さほど上手くはいかないとしても次の、あるいは他の作品も読んでもらえるように宣伝することや、口コミを広げてもらうような働きかけはできるはずです。
なぜならたとえその読者さんがその時は新品を買ってくれたわけではないとしても、今後も読んでくれる可能性の高い超優良顧客候補であると考えられるからです。
商売として割り切った考え方に寄せた例えではありますが、書籍は読み切るまで評価が難しいため手に取ってもらった後の閲読状況は大きなハードルとなります。
どんな形であろうとも実際に読んでくれた方は、気に入ってくれたのであればその後も続いて読者になってくれる可能性が高いといえるでしょう。
作家というブランドへの期待がある
全身全霊をかけた一世一代の作品であろうと、本に限っただけでも読者さんにとっては無限とも思える選択肢の一つでしかありません。さらにいえば選択肢にすら上らないこともざらでしょう。
一説には1日に200点ほどの書籍が刊行されるといい、しかも過去の名作も一生かけても読み切れないほどラインナップされています。
そんな競合のなかで自分の作品を手に取ってもらうのがどれほど重大なことであるか、おそらくビジネスに関わるほとんどすべての人が容易にイメージできるのではないでしょうか。
読者さんは無限にある娯楽のなかから、奇跡ともいえる縁によって一つの作品を手に取ります。
そしてもう一作に手を伸ばしてくれるということは、作家というブランドに対する期待による行動ともいえるでしょう。
したがってもし自著を「古本で読んだ」「借りて読んだ」といわれた場合、するべきことは不快感の表明ではなくマーケティングとして次の一手を打つことです。
「買ってほしい」というのが本音であるならば、それはなおさらのことであろうと考えます。
帯刀古禄・記



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