ゴウライボーシ
和歌山県田辺市――。
紀伊の中南部に位置し、1,000平方kmという広大な面積は近畿地方の市としては最大にあたる。
民俗学・博物学の奇才として知られる南方熊楠が後半生を過ごし、合気道を創始した植芝盛平や源義経の郎党として名高い武蔵坊弁慶の出身地ともされている。
そんな田辺は熊野参詣の重要なルートのひとつでもあり、現在も多くの人々がこの地を訪れる。
かつて「蟻の熊野詣で」と例えられるほど、熊野参詣は隆盛を極めた。
熊野という霊場は「甦りの地」といわれるように、強力な霊験をもつと信じられたこともあるが、何よりもその懐の深さがあらゆる階層の人々を虜にしたといわれている。
貴族だけではなく庶民も、そして老若男女を問わない参詣者を分け隔てなく受け入れてきた。
寺社では血を忌むことが多いため女性は月の障りに参拝を諦めることがあったというが、熊野の神は託宣でそれが問題ないことを和泉式部に伝えたという故事は有名だ。
そんな田辺は市街地は賑やかだけど、一歩山手の方に足を踏み入れると古代からの神々の息吹を如実に感じられる風情を醸し出している。
「ゼロ神宮さん、遠いとこようお詣り。今日はよろしゅう頼みます。ほな、行こら」
現地で合流したこの方は“玉置さん”。
よく日焼けした中年男性で、熊野古道のボランティアガイドをされている。
けれど実は結界守の一人で、特別に”古道守”とも呼ぶのだという。
ユラさんとは地の言葉で会話しているのだけど、わたしが普段聞いている県北東の方言とはちょっと違う。
紀伊もけっこう広いので、やはり言葉にも相当な違いがあるとのことだ。
「ここがねえ、近露大橋いうんよ」
玉置さんが案内してくれたのは、日置川という美しい川にかかる橋。
よく見ると欄干にかわいらしいカッパのオブジェが乗っかっている。
「ここいらでは昔、河童……“ゴウラ”とか“ゴウライボーシ”とか言うんでけどね。そいつがごっつう悪さしやって。せやけどおまん、馬を川に引きずり込もうとしたら逆に引っ張られて捕まってしもたんよ。ほいで、“松の木淵の松が天に届くまで、橋谷の枝垂れ松が地に届くまで、下宮の狛犬が腐るまで”はもう悪戯せえへんちゅうて、封印されたんやして」
両方の松の木はもうないらしいけど、「下宮の狛犬」は明治の初め頃に現在の近野神社というところに移設されたそうだ。
かつて子どもたちは川へ遊びに出かける前、狛犬が腐って再び河童が復活しないか必ず確認したのだという。
そういえば裏高野で空海の大蛇封じの話を聞いたとき、「再び竹ぼうきを使う時代になるまで」という期限で妖異を封じたとのことだった。
こうした時限式の封印が、紀伊ではひとつの呪のスタイルになっているのかもしれない。
「紀伊では河童が冬の間は山に籠もって“カシャンボ”とかって呼ばれることありますよね。土地によってはそれが猿のようやったり童のようやったり、あるいは一本足の一ツ蹈鞴とおんなしような姿やったりて言われますけど、どないに繋がるんやろか」
ユラさんの問いかけに玉置さんは、
「さあよ」
と言って考え込んだ。
「あやかし達のことら、いまだにわかってへんこと多いしな。せやけど、動物かって季節によって住むとこ変えらして。連中もある意味生き物なんやとしたら、そういう生態もあるんかしらん」
そう言って、川原へと下りる道へと先導していってくれる。
川はきれいだけれどもさほどに広いわけではなく、水深も浅い部分が多いので一見なんの変哲もない。
とても、水辺のあやかしが出現しそうな雰囲気ではない。
が、今までわたしのバックパックの中でおとなしくしていた動物姿のコロちゃんとマロくんが目を覚まし、ぴょいっと肩に乗ってきた。
左に猫のコロちゃん、右にカワウソのマロくんという楽しげな構図。
けれど2人は先頃の一ツ蹈鞴のコピーたちとの激闘でかなりの霊力を消耗したらしく、普段はこうして眠っていることが多くなった。
人の姿でいるのはとてもエネルギーがいるそうで、したがってcafe暦のお手伝いはそれ以来、裏葛城修験のギャルちゃんとハカセくんがしてくれている。
「あかりん、念のため」
「少し離れていて」
2大精霊がそう言うのを受けてユラさんと玉置さんは頷き、川原に鎮座する岩を中心に持参した注連縄を円形に張り巡らせた。
結界を施しているということは、この場で何かの祭式か術式を執り行うのだろう。
「玉置さん、ゴウラさまには言葉が通じるやろか」
ふいにユラさんが発した質問に、玉置さんは驚いたように聞き返す。
「そら、大昔に悪戯せえへんことを人間と約束したいうくらいやさかい、通じんことないんやろけど……。どないしたん」
「私な、できることならゴウラさまに聞きたいことあるねん。話せるかどうかわからへんけど結界内で安全は確保するさかい、再地鎮の前にちょっとだけ時間ほしいんよ」
ユラさんの真剣な声に、一瞬考え込んだ玉置さんだったけどやがて頷いた。
「ゼロ神宮さん、やにこいこと考えとるなあ。わかった。せやけど危険やと思たら俺の判断で止めさせてもらうからよ」
そして2人は結界の外から祝詞のようなものをあげ始めた。
さらさらと川の流れる音に乗って、唱和する声が水面を渡っていく。
と、耳の奥できんっ、と鍵のかかるような音がして周囲に黒い膜のようなものが次々に立っていった。
その端は上空でひとつにまとまり、わたしたちは半円形のドームのようなものに包まれた。
うつし世とかくり世の境界、“間”だ。
正面に目を戻すと、さっきまで無人だった岩の上に何かが座っている。
それは、紛うことなき河童だった。
頭の皿、背の甲羅、嘴のような口に水掻きのある手。伝承のイメージと寸分違わぬ姿をしている。
ただし皮膚は緑とも茶色ともつかぬ複雑な色で、擬態中の蛙の表皮を思わせる生々しさだ。
が、何やら初めて見るわたしにもそうとわかるほど、歳経たような佇まいを感じる。
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