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【紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート】第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

小説
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無陣流・相剋の太刀

わたしはいま、道場の冷たい床に正座して、固唾を呑んで目の前の光景に見入っている。

向かって右側には、白一色の胴衣と袴姿のユラさん。
3~4m程の間合いを隔てて、左側には同じ道着の若い男性。
両者とも、左手には木刀を提げている。

向かって正面奥は神棚になっており、その手前にはやはり白い道着姿のすらりとした老紳士が佇んでいる。

相剋そうこくの太刀、つかまつそうらえ」

老紳士がそう言うと、ユラさんと男性は木刀を身体の正面で右手に持ち替え、それを斜めにかざして互いに浅く礼を交わした。

二人同時に木刀を帯に差し、すうっと両手を下げる。

水剋火すいこくか水分みくまり――!」

老紳士が張りのある声で宣言すると二人は柄に手をかけ、斜めに切りつけるように抜刀すると剣道で見るような中段に構えた。

ユラさんはその場で大きく木刀を振りかぶり、綺麗な弧を描いてゆっくりと振り下ろす。

そして木刀を再び中段に構え直すと、左側の男性に向けてするすると間合いを詰めていった。
歩みは徐々に加速していき、互いの切っ先が今にも触れようかというその刹那――。

「いぃえぇぇぇぇぇっ!!」

裂帛の気合もろとも、ユラさんは先程と同じ動作で――、ただし比べ物にならない速さと強さで木刀を振り下ろした。

ボッ、と空気を割く太刀鳴りの直後、カアン!と鋭い衝突音が響き渡る。
左側の男性が、面上にユラさんの打ち込みが届く寸前、木刀を横にして受けたのだ。

二人は呼吸を切らさないようにその場でまた中段に構え、ユラさんが後退して再び元の間合いへと戻った。

「水剋火、あまごい――!」

またも老紳士の声がかかり、今度はユラさんの木刀が右・左・正面の順に間断なく振り下ろされる。

そしてさっきのように間合いを詰めると、凄まじい速度で三連撃の面打ちが繰り出される。
腹の底から振り絞るような気合は道場の壁を震わせ、その打ち込みを受ける側もまた、ただならぬ技量であることをうかがわせる。

わたしは、この光景にほとんど息をするのも忘れて圧倒されていた。

これはユラさんが妖刀に魅入られた凶漢を圧倒した時、彼女の中に眠る「六代目由良」が遣った“無陣流”という古流武術だ。

今稽古しているのは剣術だが、小太刀や居合術、槍や薙刀などの長物からはては素手での組み討ちまで、あらゆる格技を伝える流派なのだという。

ユラさんは幼い頃からこれらの技を訓練しており、六代目の力を十全に引き出すためさらなる修行を志願してこの道場に戻ってきたのだ。

そう、歴代最強のあやかし狩りと称される六代目由良を輩出した、“裏天野”の地へ。

そしてここは、ユラさん自身が幼少期を過ごした、紛うことなき故郷でもあるのだった。

天野――。

高野山の南、標高約450mに位置し、かの白洲正子が「高天原たかまがはら」になぞらえたという里。

そこに鎮座する紀伊国一之宮・丹生都比売神社にうつひめじんじゃは、弘法大師空海に神領を寄進したという伝説から、高野山の守護神としても名高い。

この地で無陣流を伝えるのは”裏天野”と呼ばれるあやかし狩りの末裔で、結界守と呼ばないのは戦闘を専門とする実動部隊だったためだという。

ユラさんたちのような結界守も人知れず紀伊を守ってきたのだけれど、裏天野の人たちはさらなる影からそれを支えてきたといえる。

あの夜、ユラさんに大見得を切って自分も修行すると断言したものの、正直なところ何のあてもあるわけではなかった。

ただcafe暦の営業については不思議なご縁があって、しばらくユラさんが不在でもオープンできることになり、これはまた別のお話だ。

わたしはほとんどなし崩し的にユラさんにくっついて天野の里へ来たのだけど、担当していたクラスが修学旅行中で授業がない7日間だけという条件で無陣流の道場に厄介になることとなった。

それでどうなるものでもないのは重々承知だけれども、案に相違してユラさんの“お師匠さま”は、そんなわたしを暖かく迎えてくれたのだった。

無陣流第三十六代宗家・信太清月しのだせいげつ師範――。

剣術稽古の時、神棚の前で立ち会いとして見守っていた細身の老紳士その人だ。

ユラさんの相手をして太刀を受けていたのは、そのお孫さんにあたる清苑せいえん師範代。
子どもの頃からユラさんとともに無陣流を学んだ、弟弟子おとうとでしにあたる人だという。

「お師さん、ご無沙汰してます」

長い坂道を延々車で上がって天野の里へたどりつき、最初にユラさんが清月師範に挨拶したのは柿畑の中だった。

「おお、おお」

作業着姿でなにか柿の枝から蕾を落す仕事をしていた師範は、孫の帰省に相好を崩すお祖父ちゃんそのものだった。

“あやかし狩り”という語感と、あの六代目の剣術からおそろしい人を想像していたわたしは、その穏やかな風貌に逆に驚いてしまった。
挨拶をすると、

「雑賀先生のことは、由良からよう聞いとったんよ。まあなんもない所やけど温泉かて湧いちゃあるさかい、ゆっくりしてってください」

と、にこにこしながら言ってくれたのだった。

けど、お孫さんの清苑師範代は、全然態度がちがった。
清月師範が40年ほど若ければこうだろうというすらりとした男前だけど、眼光が鋭くぴりぴりとした緊張感の漲る人だ。

「姉さ……由良さん、ご無沙汰しとります」

そう言って姉弟子のユラさんには頭を下げたけど、わたしには目もくれない。

けど、それは当たり前のことだ。
どこの馬の骨ともわからない小娘が急にやってきて、秘伝の武術道場に転がり込むなんて迷惑でしかない。

だから清苑さんは、清月師範からもっとも基本となる技をわたしへと教授するよう命じられたとき、それはもうあからさまに嫌そうに、

「……受けたもう」

と答えたのだった。

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