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第三椀 伊緒さんのハンバーグは子どもはおろか、大人だって小躍りして喜ぶのだ

小説
きぬさらさんによる写真ACからの写真
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 およそ「子どもが喜ぶ」といわれるメニューには洋食が多い。
 カレー、スパゲティ、オムライス、エビフライ等々、どれも食べやすくて味付けもきっぱりと分かりやすく、何よりそこはかとない華やぎのようなものがある。
 子どもの頃の僕は、こういったメニューに喜んでみせることを、とても恥ずかしいことだと思っていた。
 子どもだからエビフライが好きだろう、オムライスがいいんじゃないか、とたまに会う親戚の大人たちが気遣ってくれたりするのを、なんとも居心地の悪い思いでいたものだ。
 もちろん、これらの料理が嫌いなわけではなかった。ただ、普段は家族みんなで食卓を囲むということがほとんどなかったので、「今夜はカレーだ!」と楽しみにするようなシチュエーションは、自分とは関係のない世界の出来事だと思っていたのだ。

 大人になった僕は好きな人ができて、お願いしてお嫁さんになってもらった。
 その人はすごく料理が上手で、僕が子どもの頃に憧れた「一緒に食卓を囲む家庭」という夢を叶えてくれたのだ。
 今日もいそいそと仕事を終えてオンボロアパートに帰ってきた僕は、階段下に漂ってくる夕食の香りに胸をときめかせる。
 脂と野菜が甘く焦げるような独特の匂いは、大人になってからはばかることなく喜べるようになった、僕の大好物に違いない。
 
「今夜はハンバーグだよ!」
 ドアを開けるなり、伊緒さんが元気よく宣言する。
 うわあーい! と、僕も元気よく喜ぶ。いや、実に楽しい。大人、楽しい。
 伊緒さんのハンバーグは、中くらいの大きさのものを二つ盛ってくれるのがいつもの流儀だ。
 デミソースでちょっと煮込むようにして、必ずじゃがいもとにんじんを付け合せてくれる。そして最後に、
「目玉焼きのっけてあげるね!」
 と言って、目の前でフライパンから目玉焼きをすくいあげ、最後の仕上げとばかりにハンバーグにのせてくれるのだ。
 ああ、嬉しい。大人、嬉しい。
 もう恥ずかしいのを振り切って、まともに嬉しいハンバーグの目玉焼き乗せが、僕にとっての家庭の味になった。
 二人同時にいただきます、と唱えて箸をとるのももどかしく、目玉焼きの白身とともにハンバーグの端を割りとった。
 透明な肉汁が、とても小さな渦を巻くようにしてあふれ出し、デミソースの海に流れ込んだ。
 口に運ぶとぷるんとした白身の感触に次いで、甘いソースと肉汁が絡まる挽肉の旨みがどっと押し寄せてくる。さらに、よく炒められた玉ねぎの甘みが舌のあちこちでアクセントとなって跳ね回り、口いっぱいの幸せをもたらした。
 ハンバーグとは肉塊という名の暴力である、と有識者は言うそうだが、それはあながち間違いではない。
 問答無用の怒涛の口福を運ぶこの料理は、まぎれもなく食卓に君臨する絶対君主にほかならない。
 子どもも大人も、圧倒的なその威力の前にただ跪き、そっとご飯のお代わりを乞うのみだ。

「よく嚙んで食べるのよ」
 夢中でハンバーグをほおばる僕に、伊緒さんがニコニコしながら釘をさす。
 口の中がほとんどハンバーグになっている僕は、「まい」としか返事をできなかった。
 さる研究機関の発表によると、ハンバーグほどご飯が進むおかずは他に類を見ないという。
 また、あるシンクタンクの報告によるとハンバーグ一に対して七、もしくは八という驚異的な比率でご飯を消費するとしており、さらにこれを一:一〇とシビアに見積もる研究者もいるのだという。
 さて、食べるのは簡単だが作るのはとっても大変なのだ。
 僕も一人暮らしのときにどうしてもハンバーグを食べたくなって、幾度か試みてみたけどすごく手間がかかる。
 伊緒さんもきっと、時間をかけて作ってくれているのだろう。
 でも、そんなようなことを思ってしみじみお礼を言うと、
「全然たいへんじゃないよ!」
 伊緒さんはいつものように、元気よくそう言ってくれた。
「あめ色玉ねぎは最初にバターをからめてレンジでチンしておくの。そしたら長く炒めなくてもあまーくなるのよ。タネはミンチだけだと脂が多いから、赤身のお肉を包丁でたたいて足すようにしてるの。あ、でも半凍りの状態でやるから簡単かんたん! あらびきミンチになっておいしいのよねえ。あとはパン粉とか玉子とかいれて、少しのミルクでのばして、塩コショウにナツメグとかニンニクとか加えてよおく練ります。小判型にして強火で両面に焼き目をつけたら赤ワインで蒸し焼きにして、適当なところでソースを加えたらあとは晃くんの帰りを待つだけ!」
 さも楽しそうに、すらすらと説明してくれるがやっぱり僕には簡単にできそうにない。
 これだけの手間をかけて、魔法のようにおいしい料理を作ってくれることに改めて感謝の思いでいっぱいになる。
「ハンバーグって、その起源はいろいろ言われてるみたいなのだけど」
 お、いつもの歴史トリビアが始まるのかな、と思ったがそうではなかった。
「あまったお肉とか、骨の間に残ったお肉とか、ぜーんぶかき集めてミンチにして、ひとかけらも残さないように感謝して食べたのが始まりじゃないのかなあ」
 伊緒さんはそう言って、はにかんだように微笑んだ。
 そうか、そんな風に考えたことはなかった。そうか、なるほど。
 料理を作ることや食べることで、それを生み出してきた先人たちの知恵や食材に感謝の気持ちを抱くのって、とても大事なことだと思った。
 伊緒さん、貴女はやっぱりすごい人です。本当にいつもありがとう。
 でも、その一方で僕はしきりに懸念していた。
 このままだと、ご飯があと五合あっても足りないかもしれないことを。

前のお話:
第二椀 「君の味噌汁を毎日飲みたい」と言われても、実はすごくたいへんなのでは

次のお話:
第四椀 「副菜」と呼ばれる小鉢には、伊緒さんの愛があふれていました

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