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第三十九椀 土曜のお昼の「ソース焼きそば」。かつて土曜は半ドンでした

小説
nikuQさんによる写真ACからの写真
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 ”半ドン”という言葉が通じるのは、もしかしてぼくたちの世代が最後なのかもしれない―――。
 そう思ったのは会社に数年振りに新卒の人たちが入社してきて、研修の一部をぼくが担当したことに由来する。
「まあ、比較的年齢が近いだろう」くらいの理由で白羽の矢が立ったのだけど、どうしてなかなか、世代の違いを感じざるを得ない。
 イチバンの要素はやっぱり言葉だ。
 彼ら彼女らの言っていることが分からないのではなくて、こちらが使う言葉がすでに死語になっているのだ。
 そういえばぼくも社会人になりたての頃、年配の上司が気を遣っていろいろと飛ばしてくれるギャグの数々がピンとこず、途方に暮れた覚えがある。

「あ!”夕焼けニャンニャン”始まるから早く帰れよ!」
「あたりまえだのクラッカー」
「がちょーん」
「ヘイ!かわいこちゃん!ワン冷コーね!」

 いま思うと絶対ワザとだという時系列のネタも含まれているので、その人なりに若者との距離感に苦悩した痕跡が垣間見られる。
 何が困るって、そもそも真面目に言っているのか冗談なのかすら分からないあたりがリアクションしづらい。
 あの頃よりすこうし大人になったはずの今だったら、
「なんすか?ねえ、なんすか夕焼けニャンニャンって!AKB総選挙みたいなのですか!?」
 などと当たってるような当たってないような質問で会話をつなぐことができるだろう。
 でも、当時はとりあえず苦笑に近い愛想笑いで「ぁはい」などと曖昧な返事をするのが精一杯だった。
 ごめんなさい。
 さて、そういった類いのお話であれば、流行り廃りのネタを研究してインターセプトすることも可能だけれど、「すでに存在しないシステムや機器」に関する話題には細心の注意が必要だ。
 たとえば、ぼくが高校生の頃はまだ「ポケベル」が普通に使われていて、公衆電話にこもってポチポチとボタンを押す光景がそこかしこで見られた。
 しかしその後、急速な勢いで携帯電話が普及し、凄まじい速さで高機能化していったのは周知のとおりだ。
 いまやかつてのハイテクケータイすら「ガラケー」などと呼ばれ、老いも若きもそろってタップ、スワイプの時代なのだから結構未来っぽい。
 新入社員研修での出来事にお話を戻すと、ぼくが担当したその日は、新卒の皆さんにとって入社2週目の金曜日。
 新社会人としての気疲れもあるだろうからと、会社の粋な計らいでその日の研修は午前中で終了、ということになった。
 とはいえ、実際には急遽の案件で人手が足りず、やむなく切り上げたのだけど。
「はい、皆さんお疲れさまでした。今日は半ドンということですので、週末ゆっくり休んで鋭気を養い、また来週から頑張りましょう」
 と、それっぽいことを宣言して研修を締めくくった。
 初々しい皆さんは神妙な顔で返事をし、これで解散と思われたその時、
「秋山主任、質問をよろしいでしょうか」
 と、ひときわ真面目そうな子がきっぱり挙手をして発言した。
 秋山主任、とはもちろんぼくのことなのだけど、会社でそう呼ばれたのはたぶんじゃなくて初めてだ。
 ちょっと嬉しい。
 はい、どうぞ、と背筋を伸ばして続きを促すと、
「”半ドン”とは、いかなるものでしょうか?」
 真剣な、キラキラの目でそう尋ねてきた。
 ささっ!と、他の皆さんがメモをとる準備をする。
 ……ああ、そうか……。
 なんか……ごめんね。
 ぼくはこの瞬間、ジェネレーションギャップを「感じさせる」側へと至ったのだった。

 学校では完全に土曜が休みになって、一般企業の多くも週休2日制へと移行していく、その過渡期にぼくは学生時代を送っていたのだった。
 確かその合間に「第二・第四土曜休み」があって、段階的に完全週休2日制になったのではなかったか。
 子どもの頃は当然、日曜祝日以外は学校に行くのが当たり前で、
「今日は土曜日だから昼で終わりだぜ!ヒャッハー!」
 みたいなノリだったのをようく覚えている。
 もうすぐ定年を迎える会社の上司に聞いてみたら、やっぱり「ヒャッハー!」と叫んでいたそうだ。
「”サタデーナイトフィーバー”っていうじゃないか」
 とも、真顔でおっしゃっていた。
 ヒャッハー。

「そう。とうとう”半ドン”を知らない世代に突入したのね」
 伊緒さんに以上のことを話すと、意外にも淡々とした反応だ。
 歴史家は常に、時代を冷徹な眼で俯瞰する習慣がついているのだろう。
「ねえ晃くん、ところで半ドン時代の土曜って、なんだかお昼ごはんが特別な感じしなかった?」
 おお、そういえばそうだったぞ。
 ぼくも小学校低学年くらいの頃だったら、土曜日は母が家にいてお昼を用意してくれていたのだ。
 そしてなぜか、その日に限って無性に食べたくなるメニューがあったんだった。
 まったく奇遇なことに、伊緒さんも同じ料理を土曜のお昼に楽しみにしていたという。
 それは「ソース焼きそば」。
 人によってはカレーだったりラーメンだったりという場合もあるらしいけど、ぼくらは断然ソース焼きそばに郷愁を覚える派だ。
「きょうのお昼は、ソース焼きそばにします」
 伊緒さんが重々しく宣言する。
 すっかり焼きそばの口になってしまったぼくは、喜んでシッポを振り回す。
 さっそく一緒に焼きそばの麺を買いに行き、具材を用意する。
 家庭によってさまざまだと思うけど、キャベツ・豚肉・たまねぎ・にんじん、という組成で二人のイメージが一致した。
 さて、問題はソースだ。
 これについても語りだせば限りなく、人によっては激論のすえ殴り合いになることも珍しくないという。
 伊緒さんの故郷では少し甘めでさっぱりした味、ぼくのお国では割とこってりしたものが好まれる。
 そして、いまぼくたちが暮らしているところではすっきりと辛めな感じのソースがポピュラーみたいだ。
 ぼくたちはこんなこともあろうかと、お互いの故郷の秘伝のソース(市販品)を常備していた。
 フライものなんかに、とんかつソースの代わりにつけていたのだけど、焼きそばに使うのは初めてだ。
 ぼくたちは協議の結果、お互いのソースを半々に混ぜるという条約を締結した。
 ぼくも一人暮らしをしていたときに、インスタントではない焼きそばを食べたくなって何度か試みたことがあるけれど、単純なようでいて意外と難しい。
 問題は火加減がよくないと麺がフライパンにくっついてしまうことと、ソースがきちんと混ざりきらないことだ。
 そこで伊緒さんの手際を、ようく見学させていただくことにした。
 彼女はまず、具材だけを先に炒めて完全に火を通し、軽くソースも絡めておおまかに味付けまで済ませた状態で別皿に移した。
 おお、これだけでもう立派なおかずだ。
 そして麺はというと、油を引いて熱したフライパンに投入すると、ダシを加えてすかさずフタを閉じた。
 なるほど!まずは蒸し焼きにするんだ。
 しばらくすると麺がきれいにほぐれ、充分に温まったところでソースとさっきの具材を加え、最後にもういちどソースをかけ回して味を決めたらできあがり。
 いつもながら、本当にお見事な手際だ。
 ああ、夜店の匂いがする!
 そして、土曜半ドンの記憶がよみがえる!
 北国風にスープをつけるべきか、または白飯と一緒に食べるのは是か否か、といった議論は置いといて、伊緒さんの焼きそばはやっぱりとってもおいしかった。
 麺を先に蒸したのでモチモチの食感となり、半分ずつお互いの故郷の味がするソースもしっかり全体に馴染んでいる。
 ぼくがつくったのでは、とてもこうはならない。
 もふもふと懐かしい土曜のお昼気分に浸っていると、伊緒さんが大事なことを思い出したとばかりに居ずまいをただした。
「そうそう、”半ドン”の語源なのだけど。一説ではオランダ語で日曜とか祝日っていう意味の”ゾンターク”が”ドンタク”となまって、半分お休みの半ドンタクになったそうよ」
 ははあ、なるほど。
「博多どんたく」っていうお祭りがあるけれど、あれと同じ語源説ですね。
 とりあえず週が明けたら、新入の皆さんにも情報共有していただくことにしましょうか。

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