「……具合はどうですか?ユラさん」
瀬乃神宮ご用達である東堂医院の病室で、わたしはおそるおそる彼女に声をかけた。
白い浴衣のような療養着姿のユラさんはベッドに身を起こし、窓の向こうの紀ノ川を眺めている。
長い髪を結ばずに垂らした様子は、初めて目にする髪型かもしれない。
激しくも優雅な龍弦演奏の裏で、ユラさんの身体には言語に絶する負荷がかかっていた。
剣術を通じて厳しい鍛錬を積んでいるユラさんでも、霊力の籠もった特殊な楽器演奏には肉体そのものがついていけなかったのだ。
左手の爪はすべて割れてしまい、指の屈筋腱をはじめとしたほぼ全身におよぶ筋が損傷しているという。
歴代由良の魂を身に宿し、その技を顕現させることのリスクを改めて思い知らされる。
「ありがとう。もうだいぶええんよ」
そう答えた彼女の言葉は弱々しく、“だいぶええ”わけがないことは嫌でもわかる。
「すごい演奏でした……。けど、死んじゃいますよ…これじゃあ」
言うまい言うまいと思っていたのに、こらえ性もなく口にしてしまった。
自身の体を異なる魂に預けること、その技で強制的に肉体を酷使すること。
そして何よりこれまで見てきた歴代の由良たちは、いずれも間違いなく若者だった。
それはつまり、歴代たちがみな短命だったことを示しているのではないか。
このことに思い至ったとき、わたしは背筋が凍るような思いにさいなまれた。
ユラさんが負う運命の過酷さを、近くでただ見ているだけではないか。
「…それはもちろん、みんないつかは死ぬさかい」
死んじゃいますよ、と言ったわたしにユラさんは表情を緩めた。
「でも、こないだのキユラ様の演奏で楽譜は復元できるから、あとは琉璃らがなんとかしてくれるやろうし。無陣流の技もあとちょっとで…」
「そういう意味じゃありません!」
思わず大きな声を出したわたしに、最初びっくりした表情をみせたユラさんだったけど、やがて困ったように微笑んだ。
「“務め”なんよ、これが。当代の由良としての。あやかし達と戦う術、折り合いをつけて鎮める術、それらのすべてを受け継ぐには、今のとここうして歴代の魂を伝えるしかないの。それでも、私が宿せたのは陰の数…偶数代の由良だけ。もちろん、もう消滅した魂も多い。陽の数、奇数代の魂は白良が継いでたんやけど、もはや失われたといえるやろう。私の役目は、少しでも多く歴代の技を身につけて“次の由良”に託すこと。ヒトとあやかしとが同じ天地に住まう以上、結界守の務めは終わらへんと思う。あやかし絡みで危険な目に遭う人を助けたいんはもちろんやけど、過去の由良にも未来の由良にも、ちょっとでも楽させたいんよ」
淡々とそう言うユラさんに、わたしがかけられる言葉はなにもなかった。
「まあ、もうちょっとしたら紀伊の再地鎮は済むさかい。後のことは他の結界守も一緒やってくれらよ。“一ツ蹈鞴講”への対策もトクブンが練ってるから、それが一息ついたらちょっとお休みとってゆっくりしよ」
「……ほんと?約束ですよ」
ユラさんの言葉が気休めなのはわかっていたけど、それでもそんなささやかな未来を考えるのは楽しかった。
今度はまったくの行楽で、ユラさんと温泉にでも浸かりたい。
でも、この約束は、ついに果たされることはなかったのだった。
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