「お店の味」、というものが確かに存在する。
作る量だったりかけられる時間だったり、あるいは調理設備の問題だったりと要因はさまざまだけど、なかなか家庭では再現が難しい料理の数々だ。
でも、料理技術の発展や情報開示の進捗、そしてたゆまぬ創意工夫と研究の成果によって、限りなくプロの味に肉迫してきた家庭料理もある。
その最たるもののひとつが「チャーハン」であろう。
ぼくがまだ学生だった頃、何度目かの「料理ブーム」とも呼べる潮流が巻き起こって、特にただ食べるだけではなくて家庭で自ら作ってみる、ということが流行した時期があった。
貧乏学生の中でもその最下層に位置していたぼくは、少しでもおいしいものを食べたくて必死で調理法の研究を行ったものだった。
その時期の料理番組や特集などで特に印象に残っているメニューが「チャーハン」だ。
なぜかあの頃は世の中すべてが家庭用の調理設備で、本格中華料理店に優るとも劣らないチャーハンを作ることに血道をあげていた(ような気がする)。
たしかに、お店で食べる出来立てのチャーハンのおいしさといったらこたえられない。
アツアツの脂をまとったお米は一粒ずつが独立しており、しこしことした歯ごたえが実に楽しい。
がつん、とパンチのある風味は旨味調味料を上手に使ったものだったりするけれど、これもまた妙にクセになってしまうのだ。
チャーハンのおいしさに関するキーワードはただ、「パラパラ」の一言に尽きるだろう。
大火力の中華用熱源と、使いこまれた巨大な中華鍋が織り成す炎の強さが、あのパラパラしこしこな独特の食感を生み出すのだ。
家庭用のガスコンロの火力では到底太刀打ちできないものと思われていたが、涙ぐましい努力の数々によって色々な方策が編み出されてきた。
ひとつ、冷凍ご飯を半解凍し、ぱらぱらにほぐした状態でチャーハンにすること。
ふたつ、あらかじめ溶き卵をご飯によくからめて、それを炒めるいわゆる「黄金チャーハン」。
みっつ、低火力を補うためにじっくり時間をかけてご飯の水分を飛ばすこと。
この辺りが代表的なテクニックとして著名だと思うのだけど、やはりどれも「コレジャナイ感」は拭いきれない。
もちろんどれも十分においしいけれど、「パラパラ」というよりは「ぽろぽろ」といった食感で、どうしてもしっとりした口当たりからは脱却できない。
今思うとどうしてあんなにパラパラチャーハンにこだわったのかよく分からないのだけど、人間の業とはやはり深いものだ。
どうか、誰か家庭でパラパラのチャーハンを作って、この永劫の呪縛から解き放ってください。
そう祈り続けたままぼくは社会人になって、伊緒さんと出会い、結婚した。
そしてこの飽くなきテーマに終止符を打ってくれたのも、やっぱり伊緒さんその人だったのだ。
「今日は余りもの一掃フェアよ。チャーハンにしていい?」
ある休日のお昼、伊緒さんがいつものようにさりげなくメニューの是非をヒアリングしてくれた。
いいも何も、彼女が作ってくれるものならなんだって喜んでいただくのだけど、「チャーハン」という単語にぼくは激しく反応した。
伊緒さんのチャーハン!
もしかしたら、今日ついに長い呪縛から解き放たれるかもしれない。
胸の古傷(?)が疼くようだ。
「は、は、はいぃっ!チャ、チャーハン大しゅきです!あ、あ、あの、作るのを見学してもよろしいでしょうかっ?」
冷静なつもりでも心の動揺は隠しおおせるものではなかった。
すっかり動転したぼくはチャーハンへの屈折した思いを伊緒さんに見破られたのでは、と冷や汗をかいた。
「・・・?もちろんいいわよ?そんなにチャーハンが好きだったのね」
きょとんとして、でもぼくの不可解な反応をさして気にする風でもなく、伊緒さんが快諾してくれる。
「はい、らいしゅき」
と、ぼくは怪しいロレツで返事をする。
彼女はいったいどんな手際でチャーハンを作るのだろう。
ぼくは武術の達人の演武を拝見するかのような厳粛な気持ちで、伊緒さんの作業を見守った。
”余りもの一掃フェア”という通り、伊緒さんは冷蔵庫にあったタマネギとかにんじんとかエノキダケなんかの野菜の端切れや、ちょっとだけ残ったちくわにソーセージ等々の食材を次々と粗みじんに刻んでいった。
そうしてそれらを塩コショウで軽く炒めてお皿にとり、下ごしらえを完成させた。
さあ、いよいよチャーハン本体(?)との勝負だ。
ぼくは固唾を呑んでその様子を見守る。
伊緒さんはフライパンに気持ち多めにサラダ油をたらし、全開の強火にかけた。
あらかじめ常温に戻しておいた卵をボウルに割りいれ、ざっとときほぐす。
フライパンを回しながら全体に油をなじませ、やがてうっすら煙がたつ程にまで温度が上がってきたのが分かる。
炊飯器に入っていたほかほかのご飯を傍らに待機させ、伊緒さんは溶き卵を一気にフライパンに流し入れた。
じょわあっ、と卵が大きな音を立てたのものつかの間、木ベラでざくっとかき回すとまだほとんど生のままの卵の上にご飯を放り込んだ。
なんと、ここでもうご飯を入れるんですね。
即座に卵ごとご飯をひっくり返し、フライパンを巧みに操って全体を混ぜ合わせていく。
これだ。このフライパン捌きがプロと一般人との違いだ。
中華の料理人は重い中華鍋を華麗に振りながら、食材を高火力で調理していた。
それには鍛錬とコツと、筋力が必要なのだろう。
でも伊緒さんの細腕は白くてやわらかくて、まるでお菓子のようだ。
こんな腕でどうやって・・・、と思っていたら驚いた。
彼女はフライパンを縦に振るのではなく、横方向に回転させるようにして中の食材をかき回し、それを木ベラで切るように撹拌して全体を混ぜ合わせていたのだ。
まだ生のままだった卵はご飯を絡めながらふんわりと火が通ってゆき、それにともなって見るからにお米がパラパラになっていく。
その間にも伊緒さんはフライパンを操る手を止めない。
やがて十分にご飯と卵が炒められた頃を見計らって別皿の具を投入し、塩コショウ、そして昆布茶を振り入れて味を決めた。
味見をして、うん、と頷いた伊緒さんは最後に鍋肌にそって醤油を回し入れ、再びフライパンを振って全体に味をなじませた。
醤油が焦げながら蒸発する香りに、ぼくのお腹がグウ、と鳴った。
「はい、一丁あがり!」
大皿にチャーハンを盛り付けて、額にうっすら汗を浮かべた伊緒さんがにっこりと笑う。
フライパンには一片の米粒すら付いていない。
ぼくは思わず盛大な拍手とともに、
「ブラボーッ!!」
と叫んでいた。
伊緒さんのチャーハンはまぎれもなくパラパラ・しこしこ、それでいてふんわりとした絶品だった。
旨味調味料ではなく昆布茶を使ったことで、お店のものよりやさしい風味になってどんどん匙が進んでしまう。
「おいひい!おいひいれふ!」
行儀もへったくれもなくぼくが叫ぶ。
「そう、よかった」
伊緒さんがいつものように笑顔で相槌を打ってくれる。
でも、いかに技があるといっても彼女の細腕ではやはり結構しんどいのではないかと思う。
ぼくのために、一生懸命作ってくれたことに胸がいっぱいになってしまう。
急にはできなくても、ぼくも伊緒さんに習って今度作ってみよう。
フライパンを振る係りだけでもできるようになったら、少しは彼女の助けになるだろうか。
お家でこんなにおいしいチャーハンを食べさせてもらえるなんて夢のようだと思いながら、中華鍋を振れるようにこっそり筋トレをしておこうと心に決めた。
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