さあ、揚げるわよ。
ようございますね。
ようございますね。
では。
入ります。
長い黒髪を後ろできりりと引き結び、真っ白な割烹着に身を包んだ伊緒さんが油鍋と対峙している。
祓えに臨む神職のようにも、はたまた立合いに赴く剣士のようにも見えるその佇まい。
おいそれと声をかけるのもはばかられるほど、真剣そのものの気魄に満ちている。
この状態の伊緒さんを、ぼくは「真の本当の本気」と勝手に呼んでいる。
難しくて手間のかかるお料理でも、いつもならこともなげに飄々とつくってくれるけど、この時ばかりは勝負師の顔を隠そうとしない。
いま伊緒さんがつくろうとしてくれているのは、世界に7つ君臨するという”おかずの王”の一角、「とんかつ」だ。
どうしておかずの王が7つなのかというと、つまりは1週間分の晩ごはんとして割り振っただけという説、または「陰と陽」に「木・火・土・金・水」の五行を加えた数だという説などがあるけれど定かではない。
どのおかずをもって7つの王とするか、という点も実は曖昧で、古代より星の数ほどの聖人賢者たちが議論を重ねてきたがいまだ結論は出ていない。
僭越ながら私見を述べると、ハンバーグ・からあげ・さばの味噌煮・豚のしょうが焼き・ぎょうざ、そしてこれにあえてカレーライスを加えたものを“6大王”と考えたい。
……あっ!ホラ!もうすでに反対意見や別の主張がマシンガンのように寄せられている!
いくつか読み上げてみましょう。
「なぜエビチリがない」
「ブリの照り焼き入れろ」
「明太子やろ」
「カレーは“おかず”じゃねえだろ」
「“カレーライス”ではなく“ライスカレー”だ」
「安定の生たまご」
キリがないのでもうこの辺でやめますけど、これは未来永劫決着がつかないかもしれません。
さて、メンバーの入れ替えはあるとしても、上記の6大王に続く最後にして永遠のおかずの王が「とんかつ」だ。
これだけはもう、どんな圧力にも屈せずに主張し続ける所存なのだ。
「とんかつ」といえば、やっぱり紛れもなく大ごちそうだと思う。
多くの洋食がそうであるように、とんかつも明治の頃に開発された新時代の味だったのだ。
原型は牛肉などを揚げ焼きにする「コトレット」というフランス料理で、もちろん「カツレツ」のことだ。
これを豚肉でつくったのがとんかつの始まりで、明治の半ばにはすでにそのレシピが紹介されていたという。
文明開化の味、としてよく知られるのは牛鍋なんかに代表される肉料理だ。
明治天皇が公式に肉食を解禁したことにより、日本でもお肉を食べる習慣が広まっていったと言われている。
けれど、実際には「薬食い」などと称してお肉を食べる文化があったわけだし、ぼたん鍋で有名な猪肉は大昔から口にされていたはずだ。
だから案外、豚肉のほうがすんなりと一般に受け入れられたのではないかと想像している。
豚肉はビタミンB群を多く含み、滋養の高い食材であることが知られている。
”壬生の狼”と恐れられた幕末京都の武装警察、かの新撰組も隊士たちの滋養強壮を目的として、食べるために豚を飼っていたというから驚きだ。
ボリュームがあるのに意外なほどあっさりしている豚肉は、クセも少なくて食べやすい。
そこに衣をまとわせて油で揚げるというとんかつは、天ぷらという調理法に慣れ親しんだ日本人には抵抗なく口にすることができたんじゃないだろうか。
ここでわざわざ「おかずの王」なんて言ってしまっているくらいに、とんかつはとにかくご飯が進む料理のひとつだと思う。
ソースを何にするかという問題でさらにひと悶着あるものの、「とんかつソース」なるドロリとした専用調味料のあることはつとに名高い。
エビフライソースでもなければコロッケソースでもない。重要なソースにあえて「とんかつ」の名を冠することこそ、王たる証でありましょう。
甘口と辛口に大別され、各地域各メーカーでさまざまなものがあるので個人のこだわりにお任せするとして、その特徴は共通しているようだ。
野菜や果物の甘味がしっかり出て、スパイスがぴりりときいていること。
豚肉はそもそもフルーツととても相性がよく、パインやりんごを付け合わせたりソースに使ったりというのがセオリーになっている。
明治時代のとんかつレシピにも、りんごソースを合わせると書かれたものがあるそうだ。
専門店だと小さなすり鉢と炒り胡麻が添えられていて、自分でぞごりぞごりとすり胡麻にしてソースと混ぜるのが楽しかったりする。
ほかにも「しょうゆとカラシ」「おろしポン酢」「ウスターソースのみ」等々、無限のたのしみ方があるので調味料の問題はこの辺りにしておきましょう。
とんかつは自身が主役でありながらも、ほかの料理と合流することでさらなるパワーアップを実現する「強化武装」の役割もはたしてしまう。
カツサンド・かつラーメン・カツとじなどをはじめ、カツカレーに至ってはもはや神をも恐れぬ所業といえる。
愛されるというのも王の脂質、じゃなかった、資質であるため、その点においてもとんかつは申し分なく条件を満たしているだろう。
伊緒さんがつくってくれたとんかつを初めていただいたとき、その「香ばしさ」と「やわらかさ」に驚愕したのを覚えている。
ザクッと歯を立てた瞬間の、鼻に抜ける香りそのものにコクがあり、箸でも切れるんじゃないかと思うほどお肉がやわらかかったのだ。
そのまま噛みしめると、香ばしい衣としっとりしたお肉の旨みが口のなかで溶け合って、もう箸が止まらなくなってしまった。
もちろん、白ご飯にも背中を預けて、一蓮托生の名コンビとなっている。
どうしてこんなにおいしいのだろう。
「揚げ油にね、ほんの少しだけゴマ油を加えるの。あんまり多いとこってりし過ぎちゃうけど、コクが出てわたしは好きよ。パン粉は市販のものに、生のパン耳を細かくして混ぜてあるわ。衣の粒が大きくなって食べごたえあるし、水分のおかげでお肉のパサつき防止になるのよ。あとはそう、やっぱり……火加減かなあ」
たくさんの細やかな工夫に加えて、伊緒さんのとんかつは何よりも火加減が重要なのだという。
普通、揚げ物といえばだいたい180℃の油というのが定番だ。
だけどとんかつの場合は160℃、少し低めの温度が重要なのだという。
たんぱく質は60℃で凝固を始めるため、あまり温度が高いと固まり過ぎてパサパサになってしまうのだ。
そして最大のポイントは、油の中で100%火を通してしまうのではなく、最後の余熱をうまく利用することだそうだ。
油から引き上げた直後はまだ高温のため、あえてしばらく置くことでお肉の中心までじんわりと火が通る。
こうすることでしっとりジューシーな食感に仕上げていたのだ。
そのために、本当に細心の注意を払って火の番をしなくてはならない。
そこで冒頭の鉄火場風な構えになるそうだ。
「余熱でもちゃんと火が通らないと、生と同じになっちゃうから。いちばんおいしい状態で食べてほしいもの」
割烹着姿の伊緒さんが真剣にそう言ったのを聞いて、ぼくは感動してしまった。
ただ一心に、全力でおいしいご飯を調えようとしてくれる彼女の思いに、胸がいっぱいになる。
いままさに揚げてくれているとんかつも、絶対においしいやつだ。
ぼくはきっと、
「ほいひいれふ」
とか、
「やぁらかあい……」
とか、アホみたいなコメントを自然に発してしまうのだろう。
けれど伊緒さんは、
「そう、よかった」
と、いつものようににっこり笑って、ドヤァ!と胸を張るだろう。
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