賛否ある『最後のジェダイ』
いわずと知れたSF映画の金字塔『スター・ウォーズ』。
全9作のスカイウォーカーサーガがついに完結したことは記憶に新しいですね。
エピソードⅦ~Ⅸの続三部作では新たな設定が盛り込まれ、多くの支持と同時にまた批判も多かったことが知られています。
なかでもエピソードⅧ『最後のジェダイ』では、伝説のジェダイマスター「ルーク・スカイウォーカー」と、ダークサイドに転向したかつての弟子「カイロ・レン」との決戦が描かれ、賛否を巻き起こしました。
しかし、この時のマスター・ルークの戦い方は、武道や剣術における戦略という観点から実に合理的なものだったのではないかと感じました。
そこで本コラムでは、ルークがとった戦法を武道の理合に照らし合わせて分析し、その強さと巧みさを改めて讃えたいと思います!
※以下、ネタバレ注意
ルークvsカイロ・レンのおさらい(ネタバレ注意)
最初にルークとレンの戦いの様子をざっとおさらいしておきましょう。
重要なネタバレを含みますので、まだご覧になっていない方はお気を付けください。
レジスタンスが立てこもる惑星の洞窟基地に、カイロ・レンたちが迫ります。
そこにルークが現れ、単身で巨大兵器の前に立ちふさがります。
レンはルークに向けて激しい砲撃を命じますが、執拗な攻撃のあと砲煙が晴れるとそこには無傷のルークが。肩のホコリを払う仕草で挑発します。
一騎打ちで決着をつけるべくルークと対峙するレン。
レンは猛攻を繰り出しますが、ルークはそのすべてをかわして一太刀もかすらせません。
互いの心情を吐露しながら向かい合う二人ですが、やがてルークは剣を収め仁王立ちになります。
絶叫と共にセイバーを振るうレン。
しかし、両断したはずのルークは何事もなかったかのようにそこに立っています。
ルークの姿は、かなたの惑星からフォースで遠隔操作していたホログラムだったのです。
ルークの本体は激しい消耗で寿命が尽き、ホログラムも消えていきますが、このことでレジスタンスが脱出する時間を稼ぐことができたのでした……。
「構え」にみる、ルークとレンの剣術形の違い
では次にルークとレンの「構え」から、対照的な二人の剣術スタイルを分析してみましょう。
スター・ウォーズのライトセイバー操法には大きく7つのフォームのあることが知られていますが、それとは別に日本剣術のセオリーに照らし合わせてみましょう。
まず、赤いセイバーのレンの構えです。
大きく前傾して真っすぐ相手を突くように切っ先を向け、殺気を込めてジリっと間合いを詰めます。
攻撃時にはセイバーを大きく振りかぶって走り込み、力任せにも見える連撃を繰り出していました。
対してルークは自然体で、セイバーは体の中心に立てるように保持して「構え」というよりも「持っているだけ」といったような雰囲気です。
この両者の構えは、明確な心理的違いがあります。
レンの相手に突き出すような構えは一見攻撃的ではありますが、実際には少しでも相手との間合いを剣で結界したいという「恐れ」の表れとも考えられます。
大きく前傾して身を縮めるのも、本能的に自身が攻撃される範囲を限定して身を守ろうという動作に見えます。
実際に、多くの古流剣術では前傾姿勢が基本的なフォームになっている例が見受けられます。
一方、ルークは先述の通り積極的な攻撃の意思を感じさせないフォームであり、防御に徹するかのような印象を受けます。
これは剣術でいう「金剛の構え」に類するものともいえるでしょう。
ふんわりと剣を保持して「どこからでも斬ってこい」と、受けて立つ余裕すら感じさせます。
現に、レンから初太刀が繰り出される直前には片手だけで構え、相手の攻撃を誘い出すかのような動きをみせています。
このように、「相手を動かす」という戦術は新陰流の「活人剣」の極意に通じるところでもあり、ルークの高度な剣技の一端を垣間見ることができます。
ルークが選んだ「一寸の見切り」
レンの猛攻を、ルークはセイバーで受けることなくすべてかわします。
その間には、その気になれば反撃できるチャンスがあるように見受けられますが、あくまで空振りを誘発させるにとどめています。
最大の見せ場はレンの水平斬りを反り身でかわす局面ですが、よく見るとここにも高度な攻防があります。
実はこの時、レンはただの水平斬りではなく、ルークに刃が当たろうかという瞬間もう一段低い軌道へと太刀筋を変化させています。
ルークはそのフェイントも含めて、まさにギリギリのところで攻撃をかわしているのです。
剣術では「一寸の見切り」ということがいわれ、一寸(約3㎝)というわずかな距離でも届かなければ傷つかないわけで、相手との距離(間合い)の大切さを教えています。
新当流では相手の太刀が自分より一寸以上離れていれば取り合わず、その半分の五分以内であればこちらから踏み込んで斬る、と教えているといいます。
ルークが使ったのはまさしくこの「見切り」の技であり、「間(ま)」と「間合い」を制する高度な空間認識能力を発揮したといえるでしょう。
「見切られた側」はどうなるか
それでは、ルークによってすべての攻撃を見切られたレンの側は、どういう反応を起こしたのでしょうか。
武道でもまったく同じですが攻撃が当たる寸前でかわされると、大きく空振りして予想以上に体力を消耗します。
また、一方向へと向かった力の流れを外されるので、瞬間的に身体がこわばる「居着き」の状態を招きます。
すると自身の体勢が崩れ、防御反応から焦って不十分な二撃目を無理やり繰り出すというパターンが多くなり、レンの場合がこれに当てはまります。
「当たった」と確信した攻撃をかわされたという心理的なプレッシャーも大きく、迂闊な攻撃は致命傷になるという教訓から果敢な動作を躊躇するようになります。
こうなれば既に相手の術中にはまって優位に戦いを進めることができなくなり、剣技でも戦術でも、また精神面でもルークがはるかに格上であることを強く印象付ける結果となっています。
ルークの正体を暗示した、4つの状況証拠
この時のルークが実体ではないフォースのホログラムだったということは最後にわかりますが、劇中では巧妙にそれを暗示させる描写がありました。
後から考えればそうか、と思いますが、他の理由付けもある程度考えられそうな事柄ばかりだったので、物語のスピードがうまく考える時間を与えないようになっていました。
以下に3点を挙げてみましょう。
1.距離的に到着できるはずがない
これは劇中でも明言されていたように、ルークが暮らす惑星とレジスタンスの基地は離れていたため、本来なら彼が助けに来るのは不可能なはずです。
ただし未知の方法の設定は十分考えられるため、その時点でそれ以上の詮索はできなかったでしょう。
2.ルークの姿が若すぎる
隠遁生活をしていたルークは髪も髭も真っ白で、ずいぶんと老いを感じさせる要望でした。
ところが、救援に現れた彼は髪・髭とも黒々として若々しく、身なりもきれいに整っていました。
これはレンを心理的に動揺させるために最後に別れた時の姿で現れたという設定があるそうですが、映画鑑賞時は不思議に思いつつも、堂々とした姿に圧倒されて深く考えるゆとりがなかった人も多いのではないでしょうか。
3.ルークのセイバーがブルー
ルークのセイバーといえば、エピソードⅣで披露した自作の緑色の光刃のものが印象的かと思います。
その父であるアナキン(ダース・ヴェイダー)が用いたブルーのセイバーはレイの手にわたり、しかも壊れていたはずです。
ルークが手にしていたのはそのセイバーのように見えましたが、後年に自分用に新たに造ったものかもしれないという推測もできます。
しかしあのブルーのセイバーが、ルークの正体についての違和感として観る者に作用したことは間違いないでしょう。
4.ルークだけ足跡がつかない
レンがジリっと歩を進めると、地表が削れて赤い大地がむき出しになりくっきりと足跡がつきます。
対して、ルークがすっと足を前に出しても地表は削れず白いままです。
わたしはこれを、剣の技量の差による足さばきの対比として捉えました。
それほどにルークには無駄な力みがなく、この一点でも師弟のレベルの差を描写しているものとミスリードしたのです。
実体のないホログラムのため足跡がつきようもなかったというのが真実でしたが、とてもうまい描写だったと感じ入りました。
大きな目的のために最適な戦法をとったルークの凄さ
『最後のジェダイ』の批判ポイントとして、これらルークvsレンの決闘シーンの物足りなさが挙げられたと耳にします。
いわく、一度もセイバーを打ち合わせることなく防戦に回ったルークに期待が外れたというものです。
もちろん、ホログラムだったことからそもそも剣戟は不可能だったのでしょうが、それ以上にわたしはルークの戦い方が物足りないとは決して感じませんでした。
見切りによって彼我の実力差を印象付け、レンの焦りを誘って対話とレジスタンス脱出の時間を作ったルーク。
言い訳ではなく、自身の過ちを認めつつも決して二度と見放さないという大切なメッセージを伝えました。
もし実体として戦っていたとしても、見切りによってレンを傷つけることなく「防御」の剣を遣ったのではないでしょうか。
残念ながらルークのホログラムは、生命が燃え尽きるような激しい消耗を伴うものでした。
しかし最後の最後で「仲間たちを逃がす」という、大きな目的のために最適な戦術を選んだルークは、やはり偉大なジェダイマスターだったのだという敬意を禁じえません。
それには「見切り」という、極意に到達した剣士としての勇姿があったのです。
帯刀 コロク・記
〈主要参考文献〉
『剣客禅話』 加藤咄堂 1916 丙午出版社
「剣道の間合いに関する一考察(第2報)」『武道学研究 10-2』 袴田大蔵・中野八十二・檜山暢尚 1977 日本武道学会
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