葛城修験
「課外授業、ですか」
なるほどそれはいいことだと、わたしはハタと膝を打った。
授業を受け持っている私学の一校で、地域の歴史学習に関する恒例行事があるという。
土地の史跡などを実地に訪ねて、その息吹を肌身に感じるというものだ。
毎年行く所は何か所か決まっているとのことだけど、そのうちのひとつはちょっと山深いところだそうだ。
その学校の歴史科の先生方はみんな定年間近で、去年までは頑張って引率していたものの、今年は新入りのわたしにお鉢が回ってきた次第だ。
「いやあ。雑賀先生みたいな若い人来てくれて、ほんまに助かるわあ」
「せやなあ、あっこはもうねえ。階段がえらいんやしてなあ」
等々、その史跡への道のりの険しさが口の端にのぼっている。
なんでも、600段を越す急階段の果てに鎮座する磐座なのだという。
わたしは一も二もなく引き受けた。
学生時代を通じて運動部ではなく、体力にもさほど自信があるわけではないけれど、だって面白そうなのだもの。
というわけで、生徒たちを引率する日に備えて、その史跡の下見に出かけることにした。
ところが案の定、そこも紀伊の重要な結界の一部らしい。
どういうネットワークなものか、わたしが課外授業を引き受けたその日にトクブンのオサカベさんから電話がかかってきた。
「雑賀せんせい、こんばんはあ。トクブンのオサカベですう。こないだはえらいことやって、ほんまに。ほんで、あっこの山登らはるん?若いさかい色々頼られるけど、かんにんしたってくださいねえ。ユラさんがいてはれへんから、護法童子さんについてってもろて。それと、あの辺専門の結界守に声かけたさかい、現地で合流してくれますう。まだ学生さんやそうやけど、間違いない人らあやで。ほんまに。あ、それと動きやすい服装で。そやね、塩飴とかもあったしか――」
オサカベさんの説明はしばらく続き、いつのまにかおすすめの和歌山ラーメンのお店の話になってから長電話は終わった。
これらを要約すると、つまりは軽登山装で行くようにということだった。
わたしは裏高野以来の山ガール支度をして、わくわくと当日に備えた。
“不動山の巨石”と、現地案内板にはそう書かれている。
瀬乃神宮のある伊都見台から少し南へ下ると、和歌山と大阪の境を東西に区切る雄大な山に突き当たる。
金剛山地の一角を成す山系で、登山客にも人気のルートの一つだそうだ。
その中腹に杉尾という村があり、そこから金剛山地の尾根へと至る山道の途中に山岳信仰の巨石群が鎮座しているのだ。
これはかつて、修験道開祖“役小角”が葛城山の神である“一言主”に命じて集めさせたものという伝説がある。
それは奈良吉野の金峯山へと直通する橋を架けようとしたためで、頓挫した工事の部材がそのまま残されていると伝わっている。
そしてこれらの行場で今も祈りを捧げているのが、はじまりの修験道とも言われる“葛城修験”の行者たちなのだ。
修験道といえば古来の山岳信仰をベースに、密教や神道、道教や陰陽道など様々な要素を吸収しながら成立した独特の信仰体系だ。
その修行者は修験者あるいは山伏などと呼ばれ、その名の通り山に登って祈りを捧げることに特色がある。
葛城修験では和歌山市加太沖の虎島という島を発し、和歌山と大阪の境である和泉山脈、ついで奈良を含む府県境の金剛山地を縦走していく。
そこにはかつて役小角が法華経二十八品を一巻ずつ埋めたという経塚があり、これを“二十八宿”と呼んでいる。
この行場をめぐり、葛城修験の山伏たちは和歌山・大阪・奈良に至る実に約112kmの山を走破するのだ。
そしてこのルートは紀伊の結界としても機能しており、それを守るのが“裏葛城修験”の行者なのだという。
635段の階段と聞いて「ふーん、そうなのね」くらいに思っていたわたしは、さっそくその洗礼に後悔していた。
杉尾の里から不動山の巨石へと至る山口の鳥居。
そこから先はとんでもない角度の階段が立ちはだかり、文字通り先が全然見えない。
階段は一歩一歩が結構高くって、強制的な連続もも上げにすぐさま身体が悲鳴をあげる。
コロちゃんとマロくんは猫とカワウソという本来の姿に戻って、わたしのデイパックの上で「わーい」と景色を眺めている。
が、正直そのかわいらしい重量ですら、苦痛を感じるほどの負荷となっている。
そういえば、登山家は持ち物の軽量化に心血を注ぐと何かのテレビ番組でみたことがあったっけ。
冒険家の植村直己さんはボールペンの軸を半分に切り詰め、その上でそれを持っていくべきかどうか真剣に検討したという……。
運動不足の我が身と伝説の冒険者を比べる不遜には頭が回らず、休憩しいしい這いつくばるようにして一歩を運ぶ。
もう500段くらい来たのではと顔を上げると、「中間地点」と書かれた看板にヘンな声が出た。
ふとももの前側の筋繊維がカニカマみたいな形になっているのをはっきり感じ、ああこれは今夜からおそろしい筋肉痛になるぞと確信してしまう。
「あかりん、ゴールだよう」
「がんばって登ったわね」
わたしが生まれたてのアルパカみたいな状態でふるふるとたどり着いた先は、ちょっとした広場になっていた。
屋根のある休憩小屋が建ち、その前には「大楠公腰掛ノ石」と表示されたまさにスツールのような岩がある。
動物姿のコロちゃんとマロくんはその上にぴょいっと飛び乗り、
「正成さんが確かに座ってたねえ」
「ええ。あの人も健脚だったわね」
などと南北朝時代の思い出話をしつつ、ゴロゴロきゅるきゅると毛づくろいを始めた。
すぐそばのベンチに倒れ込むようにして腰掛け、ようやく呼吸を整えて顔を上げたわたしは、息を呑んだ。
山中に巨大な岩石群が並び、その根元にはいくつかの祠がある。
“不動山の巨石”だ。
パワースポット、という言葉は必ずしも好みではないのだけれど、なるほどこれは神なる依代というにふさわしい威容だ。
手前の岩にはソフトボール大の穴が開いており、耳を当てると遠く紀ノ川の音がするともいわれているそうだ。
と、巨石の上の方から、しゃりんっしゃりんっと涼やかな音が下りてきた。
裏高野で聞いた錫杖の音のようだ。
「来たかなあ」
「来たわね」
マロくんとコロちゃんが同時に耳をぴんと立てる。
「裏葛城修験の行者さんが」
と、巨石の間を縫って白衣の山伏が2人、すごい速さで駆け下りてきた。
その顔を見たわたしは、思わずあっと声を上げてしまった。
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