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【紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート】第3章 血縄の主の大鯰と、裏隅田一族の大宴会

小説
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血縄の淵

いつしかオフ(?)の時にはわたしの膝や肩で丸くなってゴロゴロいうようにまでなった二人だけど、今日はいよいよ次の結界更新に同行する日だ。

瀬乃神宮に集合してユラさんを待っている間、ポカポカした陽気に誘われて三人ともつい、うとうとしていたのだった。

ユラさんは珍しく、というより初めて見る濃紺のパンツスーツ姿だった。
ファーストコンタクトでの伝統的なバーテンダーの衣装や、ふだんのカフェで見る白ブラウスに黒いエプロン姿、そして戦うときの緋袴の装束。

どれもはまっているけれど、改めてスーツ姿を見るとすらりとした長身に長い黒髪をきりりと結んだ佇まいが、本当にハンサムだ。

「よし、おまたせ。ほいたら行こら」

ユラさんが声をかけるとコロちゃんとマロくんはぴょいっとわたしから飛び降り、いつの間にか人間の姿になって白い軽バンに荷物を積み込んだ。

「さて、今日は“血縄の淵”の結界を張り直すんやけど」

ハンドルを握ったユラさんが、運転しながら説明してくれたところによるとこうだ。

奈良に水源を発する吉野川。和歌山に入ると「紀ノ川」と名を変え、県北を東西に貫流して海へと注いでいる。

これから向かう血縄の淵は、大和との境に接する隅田という土地の河岸からうかがえる。
ここには13世紀半ば頃の鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が来訪したという伝説が残り、これをもてなしたのが在地の武士団「隅田党」だった。

隅田党は『太平記』にも登場することが知られており、その末裔の方々がいまも隅田町に多く暮らしているそうだ。

北条時頼が紀伊を訪れて隅田党の氏寺・利生護国寺を復興したことにより、一族は返礼のもてなしの場を設けた。

所望されたのは紀ノ川での鮎狩りだったが、そこには主たる大鯰がいて人を襲うといわれていた。

時頼を囲み、警戒しながら幾艘もの舟を漕ぎ出す隅田党の面々。
漁の首尾は上々で、鮎をはじめ多くの川の幸に恵まれる。しかし、そこでにわかに水面が高く盛り上がり、巨大な鯰が姿を現し幾人もの武士たちがその口に飲み込まれていった。

時頼と隅田党は大鯰へと次々に槍や銛を打ち込み、主と人との激しい戦いが繰り広げられた。

やがて動きを弱めた大鯰はゆっくりと川下へ流れていき、その血があたかも縄のように水面を赤く彩ったことから、”血縄”の名がついたという――。

「紀ノ川の主の大鯰は、国境の川を守る結界でもあったんや。せやからあやかし、いうよりは神さんやんな。やけど荒ぶる神さんやさかい、自分の力を尽くして戦える相手を常に求めてはる。その魂を一度満たしたんが、隅田党と北条時頼やったんや」

ユラさんが言うには紀ノ川の大鯰は現在も結界を守り続けており、その神霊を祀る儀式が瀬乃神宮の務めなのだという。

車は瀬乃神宮のある伊都見台を北に向けて下っていき、やがて「恋野」という地区を過ぎて紀ノ川にかかる橋を渡った。

国境の結界を司る大鯰がいるという川は青くたおやかで、両岸が高く切り立った見事な景観だ。

橋を渡りきってほどなくするとユラさんはハンドルを左に切り、水田と古民家が並ぶ細い路地をするすると走り抜けていく。

わたしが育った北海道では見ることのない古い家並に、子どものように窓から身を乗り出して見入ってしまう。

「あかりん、お家が珍しいの?」

いまはショートカットの女の子姿となったコロちゃんが、楽しそうに問いかける。

「うん、すごく珍しいよ!瓦屋根とか、木の雨戸とか、大きな竹とか、ぜんぶ珍しい!」

これらはすべて、和歌山に赴任してきてから初めて目にしたものだった。豪雪の北海道ではほとんど瓦は見ないし、背の高い大きな竹も実に内地らしい光景だ。

「あかりんは紀伊よりずっと北の国から来たんだよねえ。そんなとこではぼくはきっと、凍えて寝てばかりいるなあ」

丸顔の男の子姿で、マロくんがのんびりと応答する。

車はさらに細い道を危なげなく縫って曲がり、突然左手に果樹園のような空間を見下ろす場所に出た。
右手には祠のある小丘があると思ったら、「血縄古墳」と書かれた木の看板が立っている。

「ここが“血縄遺跡”。この柿畑のすぐ南側が紀ノ川で、主さんのおる“血縄の淵”なんよ」

ユラさんの説明に、わたしは郷土資料館で見た考古遺物を思い出した。
血縄遺跡――。弥生時代の集落跡で、多数の土器や石器が出土した大遺跡だ。
さっき見た血縄古墳のほうは未調査らしいけど、血縄遺跡はたしか7次くらいまで調査されたのではなかったか。

古墳と弥生遺跡と川の主の大鯰がいっぺんに存在するこの地域に、わたしはすっかり興奮してしまった。
果樹園沿いに坂を下って道なりにしばらく行くと、これまた古い立派なお屋敷が建っている。

なんでもここにはかつて北条時頼とともに大鯰と戦った、隅田党の末裔の方が住んでいらっしゃるそうだ。
ただ、結界守の秘密を知るのは一族の限られた人たちで、彼らは特に「裏隅田一族」と呼ばれている。

今日の儀式にはその裏隅田さん方も列席するとのことで、わたしもスーツ姿というドレスコードの指示があったのだった。

挨拶をして裏隅田さんのお屋敷に伺うと、思いの外多くの方がいてびっくりした。
ほとんどがお爺ちゃんお婆ちゃんだけどみんな矍鑠としていて、礼服や羽織袴、黒留袖などといった正装でなんだか結婚式でも始まりそうな雰囲気だ。

若夫婦とお子さんたちも何組かいて、子どもたちはさっそくわたしにまつわりついてくる。
めちゃくちゃかわいい。

準備と着替えのために奥の座敷へと通されたユラさんと二人の護法さんを、子どたちと遊びながら待つことにする。

ほどなくして出てきたユラさんたちの格好を見て、わたしは思わず歓声をあげてしまった。

三人とも高烏帽子に狩衣という、あたかも平安絵巻から抜け出てきたかのような衣装に身を包んでいたのだ。

やばい、なまらかっこいいぞ……!

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