裏九鬼船団
いま、生まれてはじめてクルーザーというものに乗っている。
青というよりは銀鼠に横たわる海面をかき分け、白い航跡をひいて船はひたすら南へと下っていた。
広大な山地を抱く紀伊は「木の国」と例えられることがあるが、同時に長大な海岸線をもつ「海の国」でもあった。
県の北部から東部一帯にかけては山の結界がメインだけど、この海に対しても強力な防御が施されてきたという。
それを司るのが、いまクルーザーを操っている「九鬼さん」。赤茶に潮焼けした髪がまさしく船乗りといった風情のナイスミドルで、紀伊における海の結界守である「裏九鬼船団」の長だ。
紀伊にはかつて「熊野水軍」と呼ばれる海の勢力があった。源平合戦では源氏に合力したことで戦の趨勢が覆ったといわれ、戦国時代にはその流れを汲むという九鬼嘉隆が水軍大将として活躍したことが知られている。
九鬼氏は三重県志摩が本拠地とされるが水軍の活動範囲は広く、現在も紀伊には「九鬼」姓が多く伝わっている。
「あさとおから船乗せられて、ずつないことないかい」
九鬼さんが人懐っこい笑顔で白い歯を見せ、わたしに向かって何か気遣ってくれている。
けれど、ほとんど言葉がわからない。
紀伊に赴任してきてからもう1年近く経つのでだいぶ方言に慣れたと思っていたけど、同じ県内でも土地が変わると言葉も結構違うことに気付かされる。
「“朝早くから船に乗せられて、苦しくないかい?”」
ユラさんが耳元で標準語に訳してくれて、やっと意味がわかる。
「ぜんぜん大丈夫です。ありがとうございます!」
波を切るエンジンの音に負けないよう大きな声で返事をすると、九鬼さんがビッとサムズアップで応えた。
「ほやけどお日いさん照ってってよかったかしてなあ」
「ほんによ」
九鬼さんと懇意なのか、同乗しているオサカベさんがのんびりした大声で方言トークを繰り広げ、船縁ではコロちゃんとマロくんが動物姿で海を眺めている。
県北西部の和歌山港を発したこの船は、紀伊半島をぐるっと半周して新宮という町まで走り、海上の結界を更新するのが目的だ。
ところどころでユラさんが祝詞をあげて祈りを捧げ、海の鎮壇が存在することが実感される。
和歌山といえばどちらかというと南国や海のイメージが強くて、目の前に広がる光景は最初に思い描いた紀伊の姿そのものだ。
が、その分もちろん海の怪異についての伝説も豊富だ。
ただでさえ船に乗って海に出ることは命懸けだけど、そこにはおそろしいあやかし達との知られざるせめぎ合いがいまだにあるのだという。
船は思いのほかおだやかに紀伊の海を南へと下り、途中で幾艘もの同じ裏九鬼船団の人たちとも行き合ったようだ。
時折トビウオやイルカの群れが海面に姿を見せることもあり、わたしはすっかり時を忘れてその光景に見入ってしまった。
が、どれくらい航行した頃だろうか。
岬を巡ったその先に、沿岸から少し離れた大きな島が横たわるのが見えてきた。
「あれが紀伊大島や」
九鬼さんの言葉に、紀伊の地図を思い出してみる。
本州最南端の地、串本から橋でつながっている文字通りの大島だったはずだ。
それに、わたしはその島名を以前から知っていた。
1890(明治23)年、オスマン帝国の軍艦”エルトゥールル号”が紀伊半島沖で台風のため大破。
紀伊大島に漂着した生存者たちを、島民らが総力をあげて手厚く救護するという出来事があった。
このことからトルコは日本への好印象を強めたといわれており、それは後年思いがけない形でも示されることとなった。
1985年のイラン・イラク戦争の際、脱出できなかった215名の在留邦人がイランに取り残されるということがあった。
イラク側は48時間後、イラン上空を飛行する航空機に無差別攻撃を実施することを宣言し、当時唯一の国際線を運航していた国内航空会社は救援機を出せずにいた。
そして動いたのは、日本の窮状を知ったトルコの人々だった。
トルコ航空は日本人救援のための特別機を編成。
危険な任務への志願者を募ったところ、集まったすべてのパイロットが手を挙げ立ち上がったという。
彼らは口々に叫んだ。
今こそ、エルトゥールル号の恩を――。
かくして邦人は無事に救出され、紀伊大島では現在に至るまでトルコとの交流とエルトゥールル号クルーの慰霊祭を続けているのだ。
そんな歴史を題材にした小説と映画を知っていたわたしは、眼前の島影にいいしれぬ感銘を覚えていた。
思わず頭を垂れて黙祷を捧げたけれど、島のさらに向こう側の海には何やら妖気のようなものが漂っている。
耳の奥にきんっ、と鍵のかかるような音がして、やはり濃厚なあやかしの気配が感じられる。
「そろそろや。ちってくさかい、すこけりなや!」
スピード上げるから、ずり落ちるなって!
ユラさんが同時通訳してくれた直後、船は加速して妖気の凝る海域へと突っ込んでいった。
いつの間にか海には薄く霧が立ち、周囲はうつし世とかくり世の境を示す間の黒い膜で覆われていた。
しばらくそのまま不気味な海を走り、やがてすっかり悪くなった視界の先に何かの残骸のようなものが海面から突き出しているのが見えた。
「名勝、“橋杭岩”や」
それは名の通り、いくつもの橋桁のように屹立する奇岩の群れだった。
海から見るそれは長大で、立ち込める暗く妖しげな気配と相まってこの世ならぬ光景に感じられる。
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