北国で育った伊緒さんと、西の方で育ったぼくとは、しばしば文化的な差でお互いに困惑することがある。
たとえば二人ともあんまり方言を使わないように(本当によく分からないから)しているのだけど、たまにはぽろっと出てしまう。
何かの折にぼくが伊緒さんに、
「あんじょうしたってな」
と言って、不思議そうな顔で見つめ返されたことがある。
よきに計らってくださいネ、というニュアンスはすぐ説明できたけど、「あんじょう」の意味はぼくも考えたことがなかった。
またある時は、家の近くで子猫を見つけた伊緒さんが興奮気味に、
「さっきねこのコッコちょしてたっけ、スイッチ入ったみたいでなんまかっちゃかれちゃったさ!」
と、嬉しそうに報告してきたこともある。
言葉の意味はだいたいしか分からなかったけど、思いは十分伝わった。
それでいいのだ。
あとは、
「もう、いけずしいなや!」
「じょっぴんかったかい?」
「ありゃあ、いちびりやさかい」
「たいへん!ぺったらこくなった!」
「そら、あかなしてよ」
「ガリッとまかなって行くのよ」
等々、言ってる本人たちにとってもクラシカルな方言が飛び交うことがあるのだが、伊緒さんが使うとすごくかわいい。
できればもうちょっと解禁してほしいんやけど。
さて、風習の違いは食文化にもダイレクトにあらわれるもので、そのギャップはたいへん楽しいものでもある。
今日は二人して夕食の買い出しに来たのだけど、寒くなってきたし「おでん」にしようということで意見が一致した。
ところが。
「晃くん、なんだろこれ。…ちくわぶ…?」
さあ…、とぼくも首を傾げるしかない。
そういえば就職でこの土地に来てから、おでんを食べた記憶がほとんどない。
ましてや自分で作るはずもなく、結婚してからも食卓におでんを並べようというのは初めてだ。
つまり、この地域のおでん事情には二人とも不案内で、それぞれのイメージする具材にももしやギャップがあるのでは、とこの時ようやく気が付いた。
「ねえ晃くん、いまさらなんだけど…。わたしたち、おでんについてすれ違ってない?」
もしそうだとしたら、深刻な事態だ。
ぼくらはにわかに緊迫した。
そこで、お互いが思うおでんに適切な具材を、とりあえず買い物かごに入れていこう、ということに相なった。
大根、こんにゃく、ちくわ、じゃがいも、たまご、厚揚げ……、この辺りまではまあ、順当だ。
でも、ぼくがタコを見つけて手に取ったとき、
「わあ!タコ入れるの!?」
と、伊緒さんが目をキラキラさせて食い付いてきた。
ああ、始まったな。カルチャーギャップが。
ぼくにはタコ入りのおでんは馴染み深いが、伊緒さんには珍しかったようだ。
「じゃあ、マフラーも入れていい?」
伊緒さんが嬉しそうに言うことに、今度は僕が戸惑う番だった。
「マフラー、とは、これいかに」
ぼくの疑問に伊緒さんがにこにこしながら、練り物コーナーの一角を指差した。
ああ、マフラーって「さつまあげ」のことなんですね。
ほほう、にゃるほど。
こんな調子で二人とも、ツブ貝がない、牛スジがない、とはしゃぎながらスーパーを一巡しておでん種を物色した。
「そうそう、あとは付けダレの問題ね!」
伊緒さんが大事なことを忘れていたとばかりに、ピタリと足を止めた。
「晃くんとこは、おでんに何付けて食べるの?」
そうですね、練辛子ですかねえ。ぼくはあんまり使いませんけど。
と言ったら、あんのじょうびっくりした顔で、
「えっ、お味噌とか付けないの」
と、またまた嬉しそうに聞いてくる。
ふふん、このパターンにもだいぶ慣れてきたぞ。
伊緒さんの故郷では、おでんを味噌風味の付けダレで食べるスタイルもあるそうだ。
もっとも地域にもよるので、彼女にとっても馴染んだ味ではないとのことだけど、やっぱり言ってみたかったのだという。
なまらかわいい。
「おでんって、田楽に御所言葉の”お”をつけたものなんですって。だからほんとはお味噌味が元祖なのね」
おお、伊緒さん昔ばなしが始まったぞ。
ちょっと久しぶりだ。
今日スタンダードな醤油風味の出汁のおでんは、関東大震災の折りの炊き出しで各地に広まったという説があるそうだ。
いまでも関西地方ではおでんのことを「関東煮(かんとだき)」と呼んでおり、そのルーツを感じさせるよすがとなっている。
「ねえ。でも、わたしたちお互いに食べたいもの入れていったら、新型のおでんができるね」
伊緒さんはぼくたちが食べたことのない、ちくわぶを手にしながら楽しそうにそう言った。
たしかに、これなら北と西のハイブリッドおでんになりそうだ。
違う土地の者同士が結婚すると、こういう面白いことが起きるのか。
次はいったい、どんなカルチャーショックが待ち受けているのか楽しみにしながら、とりあえずはおでんにソーセージを入れてもいいものか迷っている。
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