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第四十三椀 うれしはずかし愛妻弁当。人生の先輩が語る結婚生活の極意とは?

小説
FineGraphicsさんによる写真ACからの写真
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 会社では外回りに出ることも多く、お昼ごはんはほとんど外で食べている。
 とは言っても、いつも決まった時間に食べられるとは限らないし、節約のためにもついつい簡単に済ませてしまうことが多い。
 ランチは働く者にとって大きな楽しみであり、お昼時ともなればどのお店も勤め人でいっぱいになる。
 定食や丼もののチェーン店からファーストフード店はもちろん、夜がメインの料理屋さんでも日替わりランチなんかを用意していて、安くておいしいものがあふれている。
 だけど、ぼくは何だかお昼時の込み具合が苦手で、パンとかおにぎりを買って河川敷や神社の境内などの、静かなところでゆっくり食べるほうが好きだ。
「ぼっち飯」というのだろうけれど、一人が好きで誰かと顔を合わせたくないから、というわけではない。
 年代はさまざまだけど、自分と同じような社会人が一時気を抜いて、限られた時間に集中して食事をとる空間。
 そこにぎゅうぎゅうに詰め込まれてしまうと、嫌がうえにも他の人の態度や会話を見聞きすることになる。
 ずーっとスマホをいじりながら飲むようにして食事を平らげる人、最初から最後まで延々と会社への不満を吐き続けるグループ、声高に男性社員の品評会をするOLたち……等々、どの街でもどのお店でも似たような光景に出くわすのだ。
 それが悪いわけではない。
 でも、気分のいいものでもない。
 なまじっか自分にも身に覚えがあって、共感できてしまうあたりがなんとも居心地がよくないのだ。
 仲間同士で誰かや何かへの不満や悪口を吐露し合って、何食わぬ顔でまた仕事に戻る。
 ぼくもきっと、まったく同じだ。
 それが嫌ということもあり、パンとかおにぎりとかのお世話になっている。
 
 結婚してすぐ、伊緒さんは、
「お弁当をつくろうか?」
 と、言ってくれた。
 飛び上がるほど嬉しかったのだけど、これこれこういうわけで所定の場所・所定の時間に食べられないことを説明した。
「じゃあ、時間は不規則になっても、ちゃんとしたものを食べなきゃだめよ。お菓子パンだけとか、揚げ物ばっかりとかよくないからね!」
 と、釘を刺されてギクッとしたけど、ぼくのことを心配してくれているのがありがたかった。
 すごく”お嫁さん感”が身にしみて、ちょっと照れてしまったのを覚えている。
 でも、現実にはやっぱり簡単にお昼を済ませてしまうことが多くて、ほどなく伊緒さんにもばれてしまうのだった。
 ぼくはあんまり仕事のことは話さないし、伊緒さんも会社のことをあれこれ聞いてきたりはしない。
 でも、
「きょうのお昼ごはんはなに食べたの?」
 と、無邪気な風を装って確認することだけは怠らなかった。
「焼き魚定食です」
 とか、
「軽めに盛り蕎麦にしました」
 なんて、彼女を心配させないように上手いことを言えばいいのに、
「う、あの……小麦の、その……グルテン的な」
 と、しどろもどろになってしまうのだった。
「まあ……。だめよ」
 と、最初は困ったような顔をしていた伊緒さんも、同じやりとりが何度か続いてとうとう怖い顔をするようになった。
 ぼくは彼女に怖い顔をされると、なんともたまらない気持ちになってしまう。
 本気で怒るほど案じてくれているからだ。
「晃くん。そこに座ってください」
 ある日もお昼がグルテンだったことを正直に自白すると、伊緒さんがおもむろにそう言った。
 ぼくはうなだれて、おとなしく正座した。
 伊緒さんはすうっ、と大きく息を吸い込むと、厳かな調子で語りだした。
「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました」
 ……ん?むかしばなし……?
 いや、黙ってうかがいましょう。
「農耕を生業としていたおじいさんは、おばあさんが用意してくれる昼食を楽しみに、日々の作業に精を出していました。ところが、おばあさんは作業の進捗を細かくチェックしており、ノルマに到達するまでは昼食を支給しないことにしていたのです」
 伊緒さんがスッ、と目を細めた。
 すごく怒ってるみたいだ。
 ぼくはごくりとつばを飲み込み、続きを待つ。
「ある日のこと、おばあさんは作業がノルマに達したにも関わらず、もう一畝耕すまでと昼食を遅らせました。おじいさんはそれでも頑張って畑を耕しましたが、過労がたたってなんと倒れてしまいます。後悔したおばあさんは嘆きのあまり”とと、すまね”と鳴く鳥に姿を変えて……うっ……ひぐっ」
 見ると伊緒さんが両の目からぽろぽろと、大粒の涙を流している。
 ひぐっ、ひぐっ、としゃくりあげながら、
「おじいさんもおばあさんもかわいそう!」
 と、とうとう本格的に泣き出してしまった。
 途中からなんの話かよく分からなくなってきたのは、たぶん彼女もそうなのだろう。
 でも思いは十分に伝わって、ぼくは伊緒さんをなだめながら色々なことを約束した。
 そんなこんなで、できうる限り栄養バランスに配慮した昼食をとること、そしてお昼に会社にいることがわかっている日はお弁当をもたせてもらうこととなった。
 ぼくは朝はかなり早めに会社に行くことにしており、伊緒さんに早朝からわざわざお弁当を支度してもらうのを申し訳なく思っていた。
 昨夜の残りで……と言っても、夕食はおいしくてだいたい食べきってしまう。
 結果、お弁当用のおかずをつくってもらうことになるのだけど、
「わたしもたべるもん」
 と、こともなげに用意してくれている。
 これはやっぱり、ものすごくうれしいことだった。
 伊緒さん手づくりのお弁当を広げるのは、会社の屋上と決めていた。
 明るくて風が通って、とっても気持ちがいい。
 今日は内勤だったので、伊緒さんがもたせてくれたお弁当を手にいそいそと屋上に上がる。
 わくわくして包みを解き、そっと蓋を開ける。
 たまご焼き、ブリの照り焼き、かまぼこ、多めの煮染め。
「一部、江戸時代の幕の内をイメージしました」
 ちょっと照れたような伊緒さんのコメントが思い出される。
 端っこにタコさんウインナーを仕込んでくれたのは、もちろん彼女の茶目っけだ。
 さてさていただきましょう、と手を合わせかけたとき、人の気配がして振り向いた。
「秋山くんでしたか。珍しいね」
 経理の宮野さんだ。
 もうすぐ定年と聞いているけど、若々しくてぼくら下っぱにもいつも丁寧に接してくれる人だ。
 手にはお弁当の包みを提げている。
「いつもこちらで召し上がるんですか」
 よっこらしょ、とぼくの向かいに腰掛けた宮野さんに聞いてみる。
「ええ、お日さまの光を浴びないとね」
 包みを解いてお弁当を開きながら、宮野さんがにこにこと答える。
 人の食事をじろじろ見るのは失礼かと思いながらも、ちらりと見えたお弁当の中身に感嘆してしまう。
 整然とおかずが詰められて、色とりどりなことから手が込んだものだとひと目で分かる。
「愛妻弁当、ですよね。毎日ですか」
 感じ入ってつい聞いてしまう。
「そう。愛妻、という設定の女性が毎日つくってくれます」
 ユーモアたっぷりに宮野さんが返して、こう言い添えた。
「かれこれ35年間ね」
 なんと……!
 人生の大先輩方に、畏敬の念すら覚える思いだ。
「夫婦がずっと仲良く過ごす秘訣って、なんでしょうか」
 なぜかぼくは、思わずそんなことを聞いてしまっていた。
 宮野さんは少し考えるような仕草をして、
「ちょっと結婚してもらったくらいで、自分の女になったと思い上がらないこと、ですかね」
 と言って小気味よく笑った。
「秋山くんは奥さんに愛されてるね。お弁当を見れば分かります」
 ふいに宮野さんにそう言われて、ぼくはとっさに言葉が出なかった。
 ごめんね、さっき後ろから見ちゃいました、とおどける宮野さんと一緒に笑ってうやむやになったけど、心にふんわりとさっきの言葉がこだましている。

 そっかあ。
 愛されてるんだあ。 

 次の内勤はいつだったかなと、もうそんなことを思ってしまうのだった。

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