今夜は特別オープンのbar暦に招待を受けている。
日数だけでいえばあれからそんなに経っているわけではないのに、めちゃくちゃ久しぶりな気がしてなにやら緊張してしまう。
普段は神社のカフェとして営業しているこのお店も、とっぷり日が暮れた後の姿は別の顔だ。
カリンコリンっとベルの音を立ててドアを押し開く。
「いらっしゃいませ」
涼やかな声音で迎えてくれるのは、ネクタイにウエストコートの女性バーテンダー。
もう、この人のこの姿を、このお店で見るとそれだけで安心してしまう。
長い髪はきっちりアップにまとめて、流した左の前髪をヘアピンで留めているのはユラさんいわく”正装”だそうだ。
「おまかせで?」
「おまかせで!」
ユラさんの問いかけに元気よく答え、カウンターチェアに腰掛ける。
すっぽりおしりがおさまるこの心地よさは、きっと自分に合った殻をみつけてもぐりこむヤドカリの気持ちに似ているに違いない。
オリオン座をきゅうっと細長くしたような形をした独特のメジャーカップを指の間に挟み、ユラさんはいくつかの液体を銀色の容器に注いでいく。
2つに分かれた蓋のようなものを被せて、それが初めてシェイカーであることに気付いた。
ユラさんは細い指でそれを優雅に保持して胸の前に構え、シュッシュッシュッと上下斜めに突き出すようにシェイクした。
めちゃくちゃかっこいい。
「どうぞ。私のシグネチャー、“雷切”です」
カクテルグラスで供してくれたそれは、ラムベースの代表格ともいえるダイキリのバリエーションだった。
かのヘミングウェイもこれを愛し、彼のためにお砂糖ではなくグレープフルーツジュースを使ったフローズンタイプのスペシャリテが考案されたという。
ユラさんのレシピはもちろん、日本酒を使っている。それにライムジュースとシュガーシロップ。
材料はシンプルなのに、その組み合わせでまったく違う飲みものになるのは本当に魔法のようだ。
署名を意味する“シグネチャー”が、バーテンダーにとっての十八番であることを初めて知った。
ああ…おいしい……!
「ねえユラさん、あの時なんで西の…和歌山市の方から頼江課長たちと一緒に来たんですか?」
今となっては重要じゃない質問かもだけど、高野山近くの裏天野で修行していた彼女が、ずうっと西の和歌山市方面から来た部隊とともに現れたのが不思議だったのだ。
「うん、修行の仕上げに山に入ったんやけど、葛城修験の行場を逆ルートで巡ったんよ。最後はほら、海側に行き着くさかい。そこでトクブンの人が待ってて、そのまま現場に向かったの」
そうだったんだ。文字通り、息つく間もなく来てくれたんだ。
「ところで、あかり先生にもトクブンから連絡あったん?」
ユラさんの問いかけに、わたしは頷いた。
裏高野の七口、和歌山城の間、そして今回の梵鐘事件。
紀伊の結界を弱めて怪異を発生させている一ツ蹈鞴講という組織の暗躍に対し、結界守たちは広域に連携して霊的な防備の強化を約した。
それは紀伊各地にある“鎮壇”すべてを再地鎮するという計画で、当地の結界守とともにその祭式を担う任務がゼロ神宮に課せられたのだ。
そのためにユラさんは、これから紀伊全域を巡る旅に出なくてはならない。
そして、そのサポートについてわたしにも打診があった。
「あかり先生、その……。私としてはやっぱり危険に巻き込みたくないんやけど、それは先生の意思を尊重する。けど、学校の授業もあるやろから、そっちも心配で……」
「大丈夫ですよ。夏休みには授業ないもの。非常勤だから、なんとその間収入なくなるんですよ」
一瞬呆気にとられたユラさんは苦笑いののち、ふっと目元をやわらげた。
「……そう。ほな、ご飯と寝るとこ用意するさかい。一緒に行ってくれはる?」
その言葉に、わたしは元気よく「受けたもう!」と応えた。
「よし。じゃあもうすぐ伊緒さんと旦那さんの晃平さん来はる頃やね。また長いことお店のこと伊緒さんにお願いさあなあかんさかい。しっかりご馳走しよらよ。けど先生はほどほどやで。酒癖悪いさかい」
ぺろっと舌を出したユラさんに、わたしは頬をふくらませつつ雷切のおかわりを所望した。
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