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第二十九椀 春の香りの「ふきのとう」。フキの葉の下には妖精がいます

小説
Hiro1960さんによる写真ACからの写真
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「ああ、ありました!芽を出してる。かわいい!」
「こっちにも!よく見るとけっこうあるのね」
 ふたりして大騒ぎしながら探しているのは、春の山菜の中でも一番はやく顔を出す「ふきのとう」だ。
 淡くやわらかな黄緑色をして、地面からぴょこっと出てきた様子は芽キャベツが落っこちているかのようにも見える。
 指先で摘み取った瞬間、春の息吹を凝縮したような強い香気が立ち上った。
 この香りこそが、山菜の醍醐味だ。
 前に伊緒さんに大根をくれた農家のおばあちゃんが、小山に近い休耕田にふきのとうが出始めたので、自由に採っていいと言ってくれた。
 あれから伊緒さんはお礼に手作りのお菓子を持っていったりして、すっかり懇意となっていたのだ。
 おばあちゃんの休耕田は、緩やかな傾斜の山裾に拓かれていて、農業機械が入れられないので世話をしきれなくなったのだという。
 でも、そこには野の花や山菜がたくさん生えるようになって、森と里との境界になっている。
 今朝方までの小雨降りの名残りでうっすらと霧が立ち、ふきのとうにも露の玉がまとわりついている。
 なんだかふしぎな世界に迷い込んでしまいそうで、伊緒さんの姿を目で追っては消えてしまっていないことに安堵していた。
「そういえば伊緒さんのお国に、フキの葉の下には妖精さんがいる、っていう言い伝えがありませんでしたっけ」
「ええ、コロポックルのことね」
 それはアイヌ民族の伝説で、かつてフキの葉の下や地面の穴に、コロポックルと呼ばれる小さな神さまのような人たちが暮らしていたのだという。
 その人たちは人間に道具の作り方やさまざまな知恵を授けてくれたのだけど、やがて人間側の無礼によって姿を消してしまった。
 でも、伊緒さんが育った土地ではいまでも、もしかするとコロポックルがいるかもしれないから、フキの生え込みに分け入る際には必ず挨拶するように躾けられるのだという。
 それで伊緒さんはふきのとうを採りに休耕田に入る前、
「失礼しますねー」
 と声をかけていたのか。
 とってもほほえましいお話だ。
 結構夢中になってふきのとうを探していたら、いつの間にか霧が深く立ち込めてきた。
 さっきまですぐそこに見えていた伊緒さんの姿も、もうぼんやりとしか分からない。
「そろそろ切り上げましょうか、視界もわるくなってきましたし」
 そう声をかけたけど聞こえなかったのか、返事がない。
 もう一度同じことを、少し大きな声で繰り返してみてもやっぱり返事がない。
「伊緒さん?」
 もしかして霧の中で迷ってしまったのだろうか。
 いや、むしろぼくの方が迷子という可能性もある。
 でも、休耕田の敷地はそんなに広いわけではなかったはずだ。
 とりあえず伊緒さんの名前を呼びながら、もと来た道と思しき方へと移動していった。
 しかし、行けども行けども見知った雰囲気の道へはたどり着けない。
 これはいよいよ迷ってしまったようだ。
 迂闊に動いたことを悔やんだけれど仕方がない。
 霧はさらに密度を増して、まるでミルクの海を漂っているかのようだ。
 文字通り手探りで前に進んでいると、なにかやわらかな葉っぱのようなものに手が触れた。
 目を転じると、淡い黄緑色をした大きな樹とおぼしき植物だった。
 霧で全体が見えないが、とりあえず何かの目印になるかもしれない。
 霧の向こうに目を凝らすと、同じような植物が点々と生えている様子がうすぼんやりと見てとれる。
 こんな時は来た道が分かるように、赤い紐なんかを幹に結び付けると聞いたことがあるけれど、もちろんそんなものはない。
 樹には申し訳ないけど、枝を拾って幹のやわらかそうなところに「1」と印をつけさせてもらった。
 その瞬間、濃いフキの香りが立ち上り、ハッと気を取り直す。
 歩みを進めながら次の樹には「2」、そしてその次には「3」と刻んで、時おり伊緒さんの名前を呼んでは耳を澄ませた。
 すごく時間が経ったような、そうでもないような変な感覚だ。
 これはいよいよ、霧が晴れるまでこれ以上動かない方がいいかなあ、と思い始めたとき、足元にちゃぷんと水の気配がした。
 驚いて見やると、川のほとりに立っているようだ。
 ……川?
 どう考えても、あの休耕田の近辺にはこんな大きな川なんてなかった。
 本格的に怖くなってきたその時、川の向こうから人声がしたような気がして、対岸に目をこらした。
 すると霧の合間に、うっすらと人影が佇んでいるのが認められた。
 伊緒さんだ。
「伊緒さん!」
 大きな声で呼んだけど、届いていないようだ。
 なおも声を張り上げようとしたとき、伊緒さんの向かいに誰か他の人がいるのに気が付いた。
 見たことのない、なにか民族衣装みたいなものをまとった男性と女性だ。
 男性は立派なひげを生やしており、女性は大きなリング状の耳飾りをしている。
 伊緒さんはその二人となにやら話し込んでいるようだったけど、ほどなくその人たちは立ち去る素振りをみせた。
 伊緒さんは二人に向かって手を合わせ、すり合わせるように左右に振ってから両の手のひらを上に向けた。
 まるで神さまに祈りを捧げているかのようだ。
 一瞬大きく晴れた霧の裂け目に、立ち去る二人の周りにはたくさんの子どもたちがまとわりついているのが見えた。
 子どもらはめいめいに、大きな大きなフキの葉を傘にして、楽しそうに走り去っていく。
 伊緒さんはその子たちに手を振り、見送っている。
 今度こそ見失わないように、もう一度伊緒さんを呼ぼうと一歩踏み出したとき、ぼくは誤って川の方に足を滑らせた。
 しまった、と思って身構えたけれど、気が付くとぼくは元の休耕田のあぜ道に立っており、霧もずいぶん薄くなっていた。
「晃くん、だいじょうぶ?そろそろ帰りましょうか」
 ふいにすぐ近くから伊緒さんの声がして、ものすごくびっくりすると同時にものすごく安心した。
 さっきのは、なんだったんだろう。
 疲れているのかな、と思うまでもなく、疲れるほどには仕事してないかと苦笑してしまう。
 ふきのとうを採らせてもらったお礼をおばあちゃんに言って、家路につく。
 伊緒さんは足取りも軽く、上機嫌だ。
 しかし、夢にしてはあまりにリアルな体験だった。
 不思議なことがあるものだ。
 ふきのとうは採ったらすぐに、アクがまわらないうちに調理するのがいい。
 伊緒さんはさっと洗って外皮を剥いたふきのとうを、軽くゆがいて刻み、味噌とみりんと砂糖で炒め合わせて「ふき味噌」をつくってくれた。
 あざやかな黄緑色がまざった甘い味噌は香り高く、ご飯のおかずにもお酒の肴にももってこいだ。
 もう一品は、王道の天ぷらにしてくれた。
 衣はごく薄くして、火を通しすぎないように高温でからりと揚げる。
 ちょんちょん、とお塩をつけてほおばると、爽やかな苦味と春の香りが鼻に抜けていく。
 いましか食べられない、季節そのものの味わいだ。
 おいしい、おいしい、と喜んで食べているうちに、ごく自然に伊緒さんへの質問が口をついて出た。
「伊緒さんはコロポックルに会ったことがありますか?」
 一瞬動きをとめて、じっとぼくを見つめた彼女は、「ふふふ」と笑って答えをはぐらかした。
「意外とすぐ近くにもいるかもしれないわよ」
 そう言って幸せそうにふきのとうの天ぷらを口に運ぶ。
 ぼくももう一つ箸でつまんだとき、薄い衣の向こうに何か文字のようなものがあるのに気が付いた。
 よく見ると、数字の「1」と刻まれている。
 ……あれ。
 お行儀わるくほかの天ぷらもひっくり返して見てみると、「2」や「3」もちゃんとある。
 これって……。
 さっき迷い込んだ場所でぼくがつけた目印……?
 そろそろと顔をあげると、伊緒さんがそっと人さし指を唇の前に立てて、目だけで笑いかけていた。

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