ここに酔っぱらって帰宅するサラリーマンがいたとします。
おそらく接待か何かだったのでしょう。
一応はお仕事の範疇であり、気は遣ったのでしょうが悪いお酒ではなかったようです。
その証拠に、千鳥足ながらも実に機嫌よく、歌なんか口ずさんじゃったりしています。
歳の頃は40代後半、お家にはあまり会話もなくなってしまった奥さんと、難しい年頃の娘さんがいます。
しかし彼の足取りはあくまで軽いのです。
誠心誠意の接待が功を奏して、大きな商談がまとまる糸口を掴むことができたためです。
これによって、社内での彼への評価は一転することが約束されました。
「昇進」の2文字も心地よく脳裏に去来します。
いつもなら敷居が高く感じる、飲んでの帰宅ですが、今夜は誇らしく”ピンポン”を鳴らせるでしょう。
はい、ここで問題です。
酔って上機嫌で帰宅した山田(仮名)係長の、その瞬間の姿について詳しく論じなさい。
古今の事例を踏まえつつ、近年の社会情勢に配慮した回答を期待します。
なんのことだかさっぱり分かりませんねえ。
でも、とりあえずこの設問に対して素直に答えるとしたら、ぼくならこんなことをイメージします。
まず、山田係長は大きな達成感とお酒の酔いのせいで、スーツはだいぶんとくつろげているかと思います。
もしかするとワイシャツの片方だけびよん、と腰からはみ出しているかもしれません。
昨今では車を運転する人はノンアルコールを徹底しているので、こちら側にも先方にもシラフ要員がいた可能性も高いでしょう。
なおかつ、若い人のお酒離れによって全体でわっ、と飲んでむやみに一体感を煽ることも少なくなりました。
勢い、第一線の戦闘員として山田係長は率先垂範、先方さまのお酒の相手を務めたのではないでしょうか。
ひらたく言えば飲みすぎて、かなりフラフラしているのかもしれません。
そしてお約束どおりに、頭にはネクタイを巻いているに違いありません。
ところでどうして、酔っぱらいがネクタイを頭に巻くというイメージが出来上がったのでしょう。
ぼく自身はそういった出で立ちの人をこれまで目にしたことはないのですが、試しに”酔っぱらい””イラスト”のキーワードで検索してみると見事に頭ネクタイのおじさんが表示されるのです。
なぜ、ネクタイ鉢巻きなのか。
今後の研究課題としておきましょう。
お話を戻します。
山田係長はそれでも、家庭をもった男の本能で自宅を目指します。
奥さんとはあまり会話がなくなったというのは先述した通りですが、既婚男性が自分のことをもっとも認めてほしい人物は、実は妻なのです。
奥さんにほめてほしい、「あなた、本当にがんばってるのね」と一言でも声をかけてもらえたなら、もう死ぬまでがんばれる、というのが男なのです(異論もあるかもしれませんが)。
そこで、今宵あげた手柄の誇らしさと、遅くなってごめんね的な心情から、間違いなく手土産を持ち帰るでしょう。
ここで先ほど検索した「酔っぱらいのイラスト」をもう一度見てみましょう。
どうですか。手に何か持っていませんか。
そう、それこそがお土産です。
しかもなにやら折り詰め的なサムシングを、わざわざ紐でくくってそれを手からブラ下げるという、形式化した作法があるようにも見受けられます。
そういったものの中身はたいがい焼き鳥とか寿司折りとか、酒肴を出すお店で夜遅くにでもテイクアウトできるもの、というのが順当でしょう。
昔の小説やエッセイなどに目を通すと、夜遅くほろ酔いで帰ってきたお父さんが寝ている子どもたちを起こして、お土産の寿司折りをむりやり食べさせるという微笑ましいシーンに出会ったりします。
向田邦子だったかな……。
とにかく、頭にネクタイ巻いて(巻かないと思うけど)へべれけで帰宅しても、やっぱり心のかなりの部分を家族のことが占めているという証拠だと思うのです。このお土産のイメージは。
さて、そういうわけでほとんどシラフで帰宅するぼくも、伊緒さんにお土産を持って帰るのが楽しかったりするので今日はそんなお話です。
ぼくの勤める会社は、社史とか自分史とかをつくる小さな出版社だ。
編集もするし、直接お客さんのもとを訪ねて原稿の受渡しをしたりお話を聞いたりもする。
なので、半分は営業さん的な感じでよく出向先から直帰、というパターンになる。
知らない町からお家に帰るのもなんだか不思議でおもしろく、そんな日はその土地で買ったものを伊緒さんへのお土産にしたくなるのだ。
今日訪れた町では、駅を出た瞬間から甘いバターの香りに心を奪われていた。
帰りがけに、目星をつけていた一軒の洋菓子屋さんを覗いてみる。
宝石箱のような、というのはあまりにも月並みな表現だとは思う。
けれど、キラキラした色とりどりのお菓子たちが目に飛び込んできて、一瞬言葉を失うほどの美しさだ。
あまたあるお菓子のなかのひとつと、カチッと目が合った(気がした)。
これだ。これです。
ほどなくぼくは、伊緒さんへのお土産を抱えてほくほくと家路についたのでした。
「おかえりなさい、晃くん」
いつものようにぱたぱたぱたと可愛らしい足音をさせて、伊緒さんが出迎えてくれる。
「ただいま。はい、これお土産です」
なにげなく渡す風を装いつつも、気に入ってくれるかなあ、お好みに合うかなあ、と心配になってしまうのはいつものことだ。
でも、
「わあ!うれしい!ありがとう!」
と、全開で喜んでくれると、面映ゆくもすごくうれしい。
「ねえねえ、ちょっとだけ見てみてもいい?」
と、伊緒さんが箱のすき間からほんの少しだけ中身をのぞいてみる。
「きゃーっ」と「ニャーッ」の中間みたいな歓声をあげて、もう一度喜んでみせてくれる。
すごくうれしい。
伊緒さんが夕食を少なめにしたのは、お菓子腹を残しておくためだ。
彼女へのお土産なのだけど、一緒に食べようと言ってくれるのでご相伴にあずかることにした。
紅茶を淹れて、お菓子の箱を完全に開く。
中身は紅色もあざやかな苺のタルトだ。
伊緒さんの歓声が今度ははっきり「ニャーッ」と聞こえた。
お菓子屋さんでこのタルトと”目が合った”のには理由がある。
お茶碗くらいの直径の、小さなホールだったのだ。
珍しいサイズだけど、伊緒さんひとりなら明日までのおやつにちょうどいいだろうし、切り分けるのも楽しいかな、と思ったのだった。
包丁をめいっぱい引いて慎重に切るよう心がけたけれど、タルト生地がしっかりしていたので崩れることなくカットできた。
生地の中身は濃いクリーム色と薄い黄色の2層になっていて、つやつやのゼラチンをまとった苺の断面もみずみずしい。
改めて手を合わせ、タルトにフォークを入れて一口ほおばった伊緒さんが、
「~~~っ!!」
と、声にならない声で喜んでくれている。
もう実にうれしい。
2層のクリームの正体はカスタードとレアチーズだった。
あまずっぱくフレッシュな苺と、ぷるんとしたゼラチンが一緒にからまってすごく爽やかな口あたりだ。
さくさくのタルト生地もバターがよくきいて、楽しいアクセントになっている。
伊緒さんはもふもふとタルトを味わって、とっても幸せそうだ。
じつは見ているぼくが幸せだったりして、ああよかったなあ、としみじみ思う。
また何か、すてきなものをみつけたらお土産に持ってきますからね、伊緒さん。
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