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箸休め 「2人で焼き肉行くと本物の恋人」。関西の古い言い伝えです

伊緒さんのお嫁ご飯
ガイムさんによる写真ACからの写真
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 わたしが内地(本州)で暮らすようになって悲しかったこと。

 ”ザンギ”が通じなかったこと。

 カップ焼きそばにスープがついていないこと。

 スーパーにジンギスカンが売っていないこと。
 
 ほかにも細かいことはいろいろとありましたけど、この3点については本当に悲しく思ったものでした。
 ザンギについては外ではなるべく”からあげ”というようにして、ひとりのときにザンギザンギと唱えていました。
 カップ焼きそばのスープなしは、別のスープを用意して対応していました。
 しかし、ジンギスカンが気軽に手に入らないというのだけはどうしようもなく、ある種のショックだったのです。
 わたしの故郷では味付きのジンギスカンがパックになって普通に売られており、価格も安くいつでも食べることができました。
 なので内地に越してきてから、
「さてと、今晩はジンギスカンでもするべか」
 と、スーパーやお肉屋さんを何軒覗いてもとうとう見つからなかったときは、冗談ではなく少し泣きました。
 わたしだってたまには里ごころがつくこともあるのです。
 羊のお肉はあっさりとしてやわらかく、それはそれはおいしいものです。
 ジンギスカンが苦手、という声をよく耳にしますが、お話を伺うと大昔に食べて慣れない匂いにとまどった記憶があるか、単純な食わず嫌いかのどちらかが多いようです。
 食文化というのは以外に保守的で、かつデリケートな問題なので頭ごなしに否定されるととても悲しくなってしまいます。
 それはなにも羊さんのお肉に限ったことではないでしょう。
 牛肉を食べることが新しい文化だった明治のはじめ、
「牛なんか食べたらツノが生える」
 と本気で拒絶した人も少なくなかったといいます。
 わたしはこれを笑い話とは思いません。
 食べ慣れないものへの抵抗感は、持っている人にとっては重大な問題なのです。
 わたしにも他の土地や国の食べもので「えぇっ!?」と思うものがありますが、なるべく顔に出さないのが礼儀ではないかと思っています。
 逆にわたしにとってはいわゆる”焼き肉”が珍しかったのでした。
 もう説明するまでもありませんが、一般に焼き肉というと牛肉を焼きながらタレで食べるお料理のことで、内地ではごちそうの代名詞のひとつだとうかがっています。
 焼き肉の定義を「お肉を焼いて食べるもの」とするならば、わたしの故郷ではジンギスカンこそがまさしくそれで、幼いわたしはほかの選択肢があることすら思いつかなかったのです。
 いわゆる”一択”というやつです。
 伝統的に「牛さんはバターやチーズをつくるためにミルクをいただく動物さん」であり、肉牛の飼育があまり進んでいなかったことも原因のひとつでしょう。
 かくしてわたしは、牛肉の焼き肉を口にしたことは一度もなかったのです。
 わたしは食べものに対して好奇心旺盛な食いしんぼうなので、ぜひ食べてみたいものだとおもって焼き肉屋さんの近辺をうろうろした時期があったのですが、高いんですねぇ、焼き肉って。
 ついつい「ジンギスカンなら何人前食べられる」というジンギス換算を行ってしまいます。
 わたしの概算だと焼き肉一人前のお値段で、3人がお腹いっぱいジンギスカンを食べることができるはずです。
 いわゆる”通常の3倍”というやつです。
 
 さて、わたしの焼き肉初体験は、夫が結婚直前に連れて行ってくれたのでした。
 わたしは知識として、焼き肉が内地では特別なごちそうであること、特に関西地方の方の大好物であることを把握していました。
 そして、関西では
「二人きりで焼き肉に行って、ようやく本物の恋人どうし」
 という言い伝えがあることも掴んでいました。
 なんて素敵なんでしょう!
 お互いに背伸びをして、なるべくきれいなところ、かっこいいところだけを見せようとしていた恋愛初期。
 そしてそこから一歩踏み込んで、気のおけないパートナーとして差し向かいでお肉を炙ったはしから食べていく仲に……。
 脂が飛び散るでしょう。炎が燃え立ったり、煙がもくもくして全身おいしそうな匂いがつくでしょう。
 ニンニクもたくさん使うので、キスをすると秘伝のタレの味がするはずです。
 でも、それでいいのです。
 なぜなら二人は、あとは家族になるだけという段階だから。
 これは恋愛期間において、もっとも成熟して美しい瞬間ではないでしょうか。
 さすが関西の文化は奥が深いものだと、感心してしまいます。
 のちに夫となるその人も、もちろんそんな意味を込めてわたしに焼き肉を食べさせてくれたのだと思います。
 ですから彼が、
「今晩焼き肉でもどないですか」
 と、やや震え声で誘ってくれたとき、
「キタ」
 と思ったものでした。
 待ち合わせてお店に向かう道すがら、彼の緊張が伝わったわたしもだんだん神妙な気持ちになってきて、ふたりとも言葉少なに粛々と歩きました。
 食事というよりまるで討ち入りです。
 でも、初めての焼き肉屋さんはすごく楽しいところでした。
 テーブルの真ん中に炉のようなものが切ってあって、焼き網がのっかっています。
 お店の人が真っ赤な炭を継ぎ足してくれて、頬にほんわりと熱が伝わってきます。
 網の真上にはダクトがあって、よそのテーブルを見ると煙がぐんぐん吸い込まれていきます。
 うまくしたもんだ。
 そして、お肉の部位が実に多いことにも驚きです。
 彼もわたしも食べることが大好きですが、かなしいかなそんなにたくさんはお腹に入らないので、いろんなお肉をちょっとずつ盛り合わせにしたものを頼んでくれました。
 さらに驚いたのは、最初から最後までぜんぶ彼が焼いてくれて、わたしはひな鳥のようにお肉を待っているだけでよかったことです。
 彼女と焼き肉に行く世の男性がみんなそうなのか、それとも関西風の流儀なのかはわかりませんでしたが、これがめちゃくちゃうれしかったのです。
 牛肉そのものはもちろん何度も口にしたことがありますが、焼き肉というスタイルで感じられるお肉のパワーは圧倒的でした。
 脂が濃いというか強いというか、ガツンとパンチのきいた旨味に恍惚としてしまいます。
 なかでもわたしが気にいったのは”塩タン”です。
 ハムを固く引きしめたような食感と、くせがなくさっぱりした口当たりがなんともいえずおいしかったのです。
 それに、
「これは片面だけ焼いて、表は余熱で火を通しますからね」
 と言いながら、彼が塩タンを焦げないように、でもしっかり火が通るように焼いて、たっぷりの刻みネギが落ちないようにわたしのお皿にのせてくれたのです。
 炎の熱と、半分こした瓶ビールの酔いも手伝って、わたしはすっかりぽーっ、となりました。
 思えばこれほど安心して一緒にご飯を食べた人は、彼が初めてです。
 ああ、わたし絶対この人と結婚する。
 最初にそう確信したのもこのときでした。
 初めて食べさせてもらった焼き肉は、お互いの距離を決定的に縮める力も持っていたようです。
 ぽんぽんになったお腹を抱えてお店を出ると、ひんやりと気持ちのいい夜風が吹きわたっていきました。
 一対一での焼き肉という「一線を越えた」関係になったわたしたちは、不思議な連帯感でつながっていました。
 お店を出るときに、店員さんが匂い消しのミントキャンディをサービスしてくれたので、どのタイミングで口にすべきか考えていました。
 でもそれくらいでは、まだまだわたしの口は秘伝のタレの味がするでしょう。
 今度はわたしが言葉少なになってしまって、いつまでもぎゅうっ、とキャンディを握りしめていたものでした。

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