里へと下りるバスを待つ間、わたしはまたあの太鼓橋の上にいた。
たった7日。でも、確実にわたしの人生を変えた7日。
言葉にして表すのが容易ではない様々な思いも、やがて自分の中で整理できる日が来るという確信がある。
後ろの気配に、やっぱりという思いで振り返ると、ちとせさんが初めて会ったときのようにスマホで自撮りをしている。
でも、画面に写るその顔は、なにやら晴れやかだった。
「鏡はね、もうやめたの。今のわたしには、これがいちばん便利だわ」
いい時代ね、と言ってくるんと回ったちとせさん。
7日ぶりに雨はあがり、今日は傘を携えていない。
「……長い、長い時を過ごしてこられたのですね」
八百比丘尼――。
人魚の肉を口にし、老いることをゆるされないまま八百年の時を重ねた少女の伝説。
若狭でその長い生涯を閉じたとも伝えられるが、千年の時を越えていまなおここに微笑んでいる。
「……悲しいことばかりが続いて、悲しくて、悲しくて。けれどもっとずっと時がたてば……そのすべては、美しい思い出になる」
ちとせさんはそう言って、楽しそうに笑った。
「ね、よかったら写真。一緒に写って。大丈夫よ、勝手にSNSに上げたりしないから」
わたしはスマホを使いこなす八百比丘尼に面食らいながら、丹生都比売神社の鳥居と楼門をバックに2人で写真を撮った。
自分で言うのもなんだけど、2人ともいい感じに撮れたと思う。
「あかりさんは、どこか初代に似ている気がするわ」
ふいに呟いたその言葉にびっくりする。
「初代?初代って、最初のユラさんってことですか?その時のこと覚えてらっしゃる!?」
わたしの動揺を面白がるように、ちとせさんはまたあの悪戯っぽい微笑みを浮かべた。
「うーん、細かいことは忘れちゃった。だって……昔むかしのことだもの」
さあさあ、もうバスが来るわ。これを逃すと帰れなくなるわよ。
そう言って、ちとせさんはそっとわたしの背中を押し、太鼓橋の上から見送ってくれた。
「ちとせさん!また……会えますよね?」
振り返ってそう尋ねたわたしに彼女は黙って微笑み、古い映画の貴婦人のようにふわりと小腰を屈めてみせた。
そしてくるりと踵を返し、神社の方へ向けてゆっくりと橋を下りていく。
「そろり、そろりと、まいろう」
節をつけて歌うように、鈴の音のような声が遠ざかっていった。
停留所に着くとバスはすでにアイドリングしていた。
そして、そこには清月師範と奥さん、そして清苑さんが見送りに来てくれていた。
師範は右腕に包帯を巻き、三角巾で吊っている。
あれだけの人知を超えた剣に、相当なダメージを受けていたのだ。
でも、5本ある奥義すべてを六代目に伝授するのだという。
そのために、道場には五領の甲冑が安置されていたのだ。
師範の回復とさらなる鍛錬のため、ユラさんはもうしばらく天野に残って修行せねばならないという。
「あかりちゃん。これ、よかったら使ちゃってほしんよ」奥さんが持たせてくれた包みには、真新しい白の道着。
黒い糸で“無陣流 雑賀”と刺繍が施されている。
そして、一柄の檜扇が。
「うちの母親が若い頃、巫女さんやってたときのもんや。あやかしからのお守りの、足しになったらええんやけど」
胸がいっぱいになったわたしは、奥さんに抱きついてわんわん声を上げて泣いた。
バスの中から、間もなく出発のアナウンスが聞こえた。
「前言った通り、24時間いつでもあの道場使ってください。これからも」
清苑さんが素っ気なさを装ってそう言い、最後に一言を添えた。
「雑賀さん。あんたが習った居合、あの技の名前は―――」
にこにこと見送る清月師範らに、わたしはバスのいちばん後ろの席から見えなくなるまで手を振り続けた。
バスはやがて下り坂に至り、天野の里の端を示す尾根が連なっている。
と、山の上に翻る白いものが視界に入った。
ユラさんだ。
樹々の間からこちらを見下ろす彼女は、木刀を体前斜めに掲げている。
たった7日の門弟だったわたしを、ユラさんは無陣流の礼で見送ってくれていた。
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