妖刀・影打南紀重國
ふいに、庭先のほうが騒がしくなった。
何人かが庭を踏み荒らすような音が聞こえ、離れの方角でざわめいている様子だ。
「あかん、無理に封印解く気いなんか!」
ご当主が険しい表情になった瞬間、ぞわりと背中に悪寒が這い登った。
屋敷全体がぐにゃあっと歪むような感覚の後、開け放たれていた障子や襖が、タンタンタンタン!と次々ひとりでに閉じられていく。
「あいつら、南紀さん盗りよったな」
さっきの男たちが戻ってきて、強引に南紀重國の封印を解いたようだ。
力づくで、刀を奪い去る気なのだ。
さっきまで穏やかだった屋敷の空気は、明らかに異常をきたしている。
何か重く、暗く、冷たい気配が、ズズッズズッと離れから迫ってきている。
次の瞬間、タアン!と障子が開け放たれ、手に手に抜き身の刀をぶら下げた男たちが入ってきた。
奥の一人は、南紀重國が封じられた細長い木箱を担いでいる。
「由良さん、先生、あぶない!」
男たちが何かを叫びながら抜き身を振り回して殺到し、ご当主がわたしたちをかばうように、畳に突き立てられていた刀たちの向こう側へ押しやった。
凶刃が届くかと思われた間一髪、畳に刺さった刀と刀の間にパリリッと紫電のようなものが走った。
抜き身を振り下ろした2名の男が、それに触れて感電したかのように痙攣し、どうっとその場に崩折れた。
ご当主は、この刀で結界を張っていたのだった。
「こっちや!」
ご当主が足元の刀を拾い、客間の反対側から走り出て縁側を抜け、別の部屋へと転がり込んだ。
外であるはずの景色はどろりとした黒い膜のようなもので覆われており、あの日の陵山古墳で鬼に襲われたときとまったく同じだ。
「南紀さんの封印が解けて、“間”になってしもたようやね」
由良さんが部屋の外を伺いながら、厳しい顔でそう呟いた。
うつし世とかくり世の境界、間。
結界に裂け目をつくらない限りここからは抜け出せず、あらゆる通信手段も届かないため助けを呼ぶこともできない――。
隣で、ご当主が腕を押さえてその場に膝をついた。
見るとシャツがぐっしょりと鮮血に染まっており、顔面が蒼白になっている。
さっきわたしたちをかばって、あの男たちに斬られのだ。
血を見たわたしは一瞬気が遠くなったけれど、
「しっかり!」
と叫んだ由良さんの声で正気に戻った。
ともかくも、止血をしなくてはならない。
ご当主は気丈に自身で布を見繕い、由良さんとわたしに手伝わせて創傷に巻き付け、苦しい息のもとこう言った。
「あと一人、南紀さんを担いだ男が残っとる。あれは、刀の魔力に魅入られて取り憑かれた人間の顔やった……。屋敷には他にも結界が張ってあるさかい、奴もわしらあも行けるとこは限られとる。ここから縁側通って土間に降りて、外へ出な間を抜ける裂け目はつくられへん。奴に出遭わんように行けたらええけど、もし鉢合わせたら……。戦わなあかん」
ご当主は持ってきた刀をぐっと握りしめ、しっかり由良さんとわたしを見つめた。
それに応えて、由良さんもわたしも力強く頷く。
わたしたち三人は、全身を耳にしてそろりそろりと縁側を渡っていった。
屋敷は不気味なほど静まり返り、おそろしいものが潜んでいるなどとは思えないほどだ。
傷をおしてご当主が先頭に立ち、両脇からわたしたちが付いてゆく。
当初の好々爺というイメージは一変し、黒拵えの刀を携えた姿は果断な老剣士そのものだった。
渡り廊下の突き当り、小さな木扉をすうっと開くと、そこは土間だった。
ひんやりと冷たく、濡れた土のような匂いがする。
向かって左側は土壁で、古いかまどや鍬などの農機具が置いてある。
右側は縁台のような上がりかまちになっており、座敷への間は木製の襖のようなもので立て切られていた。
そして、正面のいちばん向こう側に出入り口が見えている。
三人が顔を見合わせて頷き、一気に走り抜けようと踏み出しかけたその時――。
バアンッ!と右手の木襖を突き抜けて、何かが土間に激しく転がり落ちた。
悲鳴をあげた瞬間にわたしが見たのは、さっきご当主に斬りかかってきた二人の男たちだった。
物のように叩きつけられ、ぴくりとも動かないまま土間に折り重なっている。
そして、壊された木襖の裂け目から、獣のような息づかいとともにもう一人の男が侵入してきた。
手には飴色に変色した、白木のままの柄と鞘をもつ長刀。
影打・南紀重國――。
だが、男はすでに人の顔をしていなかった。
鬼灯の実のように赤く燃える目。狼のように耳まで避けたかと思うほど開けられた口からは、だらりと舌が垂れ下がっている。
男は拙いマリオネットでもあるかのような覚束なさで、刀の柄に手をかけた。
ガタガタと痙攣しながら、ぬらあっと刀身を抜き出していく。
いっそう強い妖気が立ち上り、血生臭いような匂いが鼻をついた。が、
「ご当主、借りるで」
そう言って由良さんがご当主の刀を手にし、凶漢の正面に立ち塞がった。
刀のことを何も知らないわたしは、その時になってようやく、由良さんが携えているのが南紀重國の半分ほどしかない長さであることに気が付いた。
リーチでいえば、絶望的に不利なのではないか。
そんな不安を見透かしたのか、由良さんはこちらを振り返ると、なんとにこっと笑みを向けてみせた。
「あかり先生、今度は必ず助ける。必ずや」
そう言うと小太刀を腰に差し、胸の前で何かの印を結び、朗々と歌うかのように声を発した。
「当代由良の名において請い願う。つるぎの御技、我に貸し与えたもう!――六代目様!!」
次の瞬間、刀を振りかぶった男が、弾かれたように由良さん目掛けて襲いかかってきた。
由良さんはやや俯いて、両手はだらりと垂らしたままだ。
斬られる――!
凶刃が彼女に届こうというその刹那、なぜか男の刃は空を斬り、その勢いでもんどり打って転がった。
由良さんは、氷の上をすべるような体捌きで、音もなく身を躱したのだった。
しかし、倒れた男を冷たく見下ろす彼女は、明らかにいつもの由良さんではなかった。
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