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【紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート】終章 那智決戦、果無山のあやかし達と不死の霊泉

小説
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密厳淨土

ぎゅんっ、と七代目が身体を旋回させた。
時計の針のように大太刀が一回転し、全方位の妖異の足元を薙ぎ払う。
一方の小太刀は飛び掛かってきた蹈鞴たちを、被った梵鐘ごとすべて空中で両断していた。

凄まじい、一切の死角がない技だ。
さしものあやかし達もたじろいだように後ずさり、その先への道がわずかに開かれた。
間髪入れず六代・七代が走り、わたしと2大精霊もその後に続く。

が、即座に態勢を立て直した蹈鞴の群れが再び壁となって立ち塞がり、今度はわたしたち全員を大きく囲むように布陣してきた。
どうやら数体の肉吸いと、“長”と呼ばれた娘が連携して的確な指揮を行っているようだ。
これまで、あやかしが組織だった行動をしたのは見たことがなかった。
刀を振るう肉吸いといい、いずれも時代が流れて変化を生じているのだろうか。

〈数が多い……!〉
〈お師様、“あれ”はご存知か〉
〈ふん。当代の宗家より学んだわ。あかり、胡簶、鞠麿!――伏せおれ!〉

とっさにわたしたちが身を低くした直後、六代目は七代目と背中合わせになって、二人は刀を肩に担ぐような八相の構えをとった。

そこから切っ先はさらに天に向けて高々と突き上げられ、キリキリと螺子を巻くように互いの上半身を絞り込んでゆく。

木乗土もくじょうど――〉

師弟の声が、完全に重なった。

〈“八尋神籬やひろのひもろぎ”!〉
〈“八尋神籬はちじんしんり”!〉

高く掲げられた刀が片手で大きく斜めに振り下ろされ、二人の繰り出す超広範囲の袈裟斬りが並み居る蹈鞴を斬り裂いてゆく。
わたしの頭のすぐ上を、太刀鳴りの風が鋭く吹き過ぎていった。

〈お師様、奥義の読みが異なりますな。どこで変わったのやら……〉
〈もうよかろう。いまさら〉

この一太刀で、ついに道が開けた。

〈各々方、かたじけのう!〉

周囲の敵を矢で射ながら機会を見定めていた刑部が、駿馬のように射場へと一直線に走ってゆく。
あら方が両断された蹈鞴に代わり、ついに肉吸いたちが白刃を振り上げて斬りかかってきた。

〈お師様、此奴ら……!〉
〈むうっ……!〉

歴代最強のあやかし狩りと称された六代目と、その愛弟子である七代目の剣技を前に、肉吸いたちは一歩も引かず果敢に攻めてきている。
わたしは2大精霊に守られながら檜扇の霊刃でなんとか身を守っていたけれど、この太刀筋はもしや――。

〈おのれら、どこで無陣流を!〉

七代目が叫び、両側から打ち込まれた太刀を二刀で弾き返した。
その瞬間、”長”と呼ばれた娘が音もなく間合いを詰め、七代目に襲いかかった。

水剋火すいこくか――“澪標みおつくし”」

ぎゅるんっと片腕を伸ばし、肉吸いの長が変則的な軌道の突きを放った。
辛くも小太刀でそれを防いだ七代目だったが、数瞬遅れて首元からうっすら血が滲み出した。
白衣の襟元が、みるみるうちに紅く染まっていく。

「――おいし、そう……」

肉吸いの長はべろりと舌舐めずりをし、再び刀を構えた。

が、このわずかな間に形部は射場へと至り、矢筒から抜き出した霊矢を番えていた。

〈形部!〉
〈いまのうちじゃ!〉

師弟の声に後押しされるように、頭上高々と構えた長弓を呼吸とともに打ち起こしてゆく形部左衛門。
その鏃は、いましも復活しようと身悶える巨大な蹈鞴本体の眼玉を狙っていた。

〈オン――アミリタ、テイセイ カラ………〉

と、封印の矢がまさに放たれようかという直前、滝壺直上の岩場がわずかに揺らめくのを感じた。

「オサカベさん!だめ!」

無意識にわたしが叫んだとき、岩場のあたりで何かがチカッと光った。
その直後、轟音とともに放たれた一発の弾丸が弓を断ち、矢を砕き、オサカベさんの身体を貫いた。

そのまま後ろへと吹き飛ばされた彼に、わたしは悲鳴をあげて駆け寄った。
仰向けに叩き付けられたオサカベさんはすでに気を失っており、肩口から大量の血が流れ出している。

「あかりん、止血を!」
「周りは守るから!」

コロちゃんとマロくんが爪を振るい、あやかしたちを近づけないよう護ってくれる。
わたしは無我夢中でシャツの袖を割き、オサカベさんの傷に押し当てた。

六代目と七代目は肉吸いたちと剣を交え、一対多数で劣勢を強いられている。
と、必死でオサカベさんの止血をしているわたしの手元に、すっと影が差した。
思わず見上げるとまったく気が付かないうちに、一人の男が眼前の岩場に佇んでいる。

黒袴の和装に、手には煙の立つ火縄銃。

「――卑怯だと思いますか?でもね、刑部左衛門も騙し討ちで蹈鞴を封じたのですよ。最後の一矢を隠し持ってね」

鈴木、しゅう――。
和歌山城で、高速道で、結界守たちを襲撃してきた一ツ蹈鞴講の首魁……。

結界の裂け目から現れた彼を認めた肉吸いたちは一斉に剣を引き、秀を中心にひとところに集まった。

「もうおやめなさい、歴代の由良たち。紀伊最凶のあやかしが間もなく蘇る。これを封じる手立ては、もう貴女たちにはありません。見てみようではないですか、この脅威にヒトがどう立ち向かうのかを」

淡々と秀が語る。
オサカベさんが倒れ、霊弓ももう使えない。
断崖の蹈鞴は咆哮しながら、その身を岩の呪縛から解き放とうと悶え続けている。

〈……座して物見するわけにはまいらぬ〉
〈わらわとて、かような化物は好かぬわ〉

あやかし狩りの師弟が、ジャキッと剣尖を秀へと向けた。
二人はあくまで戦うつもりだ。
と、秀の横に肉吸いの長が立ち、不思議そうな顔を向けて口を開いた。

「あなたたち、ヒトは。どうして、そんなに、抗うの…?自分たちどうしで、あんなに、殺し合うのに。わたしたちが、あなたたちを少し食べるの、そんなに気に食わない……?」

心からの素朴な疑問――。
そうしたふうに、肉吸いは問うた。
これは近露で封印された河童、ゴウラが発した問いとも通じている。
ヒトを襲うあやかしからヒトを守ること。
その一方で、同じヒト同士が根絶やしになるまで殺し合うこと。
これは人間を一つの種として捉えたとき、どうしても理解できない矛盾した行動なのだ。
でも。それでも。

「ごめんなさい、肉吸いの長。今すぐ答えを示すことはできません。けど、目の前の危機に対するため、私たちは戦います。あなたがたが生きるためにヒトを襲うなら、私たちは生き残るため、この剣を振るう」

六代目に代わって、ユラさんが声を発した。
これがユラさん自身の、紀伊の結界守としてのシンプルな本心なのだ。

肉吸いの長はそれを聞くと、すうっと目を細めて一歩退いた。

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