お家の近くにスーパー銭湯があって、時おり伊緒さんと浸かりにいくのを楽しみにしている。
どういうわけか銭湯では風呂上がりに必ず牛乳を飲みたくなって、それがひそかな喜びともなっている。
そこの牛乳は昔ながらの瓶詰めで、プラスチックのキャップではなくってレトロな紙製のフタが付いているのだ。
こんなものがよくまだあったな、と嬉しくなって、ついつい童心にかえってしまう。
牛乳瓶の紙のフタは、千枚通しみたいな針を突き刺して取ることが多いけど、あれはエレガントではないと思う。
紙の上層を半分ほど剥がして持ち手にし、ひねるようにするとポコッととることができる。
「なんだか学校給食を思い出しちゃいますねえ」
お風呂上がりでほこほこツヤツヤしている伊緒さんに、ややはしゃぎ気味にそう言うと、
「えっ、給食の牛乳は瓶だったの?」
と、びっくりされてしまった。
「あれ?伊緒さんの学校は瓶じゃなかったんですか」
「わたしのとこは三角パックだったなあ」
ははあ。
これが噂の給食ギャップというやつか。
せっかくだし面白いので、しばし取材を続けることにしよう。
休憩スペースのテーブルで伊緒さんにフルーツ牛乳をすすめながら、ぼくは本格的に聞き取りを行う構えを整えた。
札幌育ちの伊緒さんと、和歌山育ちのぼく。
はたしてその学校給食のギャップとは。
「じゃあ、”ミルメーク”は出ましたか」
「??ミルメーク?」
伊緒さんがきょとん、として聞き返す。
ぼくはひそかに彼女の「きょとん」とした顔が好きで、できるだけ多くのきょとんとする機会があればいいと願っている。
が、これは内緒だ。
”ミルメーク”とは牛乳にまぜるための調味液のことで、お弁当用のしょうゆ差しを大きくしたような容器に入っていた。
ぼくの学校ではコーヒー牛乳味といちごミルク味の二種類だけだったけど、もっといろんな味があるらしい。
「えーっ!なにそれ、いいなあ!」
どうやら伊緒さんはお目にかかったことはないようだ。
元来、牛乳が苦手な子でもおいしく飲めるようにと工夫されたものらしいから、酪農王国の北海道では必要なかったのだろうか。
謎だ。
ちなみに後で調べたところによると、関西地方でもミルメークを導入している学校は多くないそうで、ぼくのところがレアだったみたいだ。
「では次に、主食はパンでした?ごはんでした?」
「週にごはんが3回、パンと麺が1回ずつだったよ」
なぜかドヤァ!とした顔で伊緒さんがきっぱり答える。
へえぇ、ぼくのとこはごはんとパンが日替わりだった。
麺もたまに出たけど、あくまでスープやおかずの扱いで、主食になっていた記憶はない。
自治体によってこれだけ違うんだと、感心してしまう。
「特に好きだったメニューはありますか?」
給食の話題では何はともあれ、これを聞かねばなりますまい。
「やっぱりカレーかなあ。給食のカレーって、なんだかすごくおいしかった気がするわ」
おお、王道にして不動のNo.1人気メニューですね。
ぼくも給食がカレーの日はとってもうれしかったのをよく覚えている。
子どもが食べやすいように甘めに、そして一回に大量に仕込むことがおいしさの秘密だと聞いたことがあるけれど、きっと独自の隠し味などの工夫をしてくれていたに違いない。
「ほかには、揚げパンもたのしみだったなあ」
揚げパン!
これも先輩方が口を揃えて好物に挙げる給食メニューだ。
揚げたコッペパンに粉砂糖がまぶしてあって、それはメルヘンな雰囲気だったという。
でも、ぼくは給食で揚げパンが出たという記憶がほとんどない。
たしか”揚げパン”という名前のメニューは何度か出たはずなのだけど、伊緒さんがおっしゃるような感じのものではなかったのだった。
したがって、いまでもぼくにとっては憧れの食べ物のひとつではある。
「そうそう、それにお赤飯もうれしかったわ!なんだか特別な日に出してくれるのよね」
へえぇ、給食にお赤飯!それは素敵だ。
でもなにやら、お赤飯の内容がぼくの知っているものと噛み合わないような気がする。
「あまくって、大粒の金時豆がちょっと溶けかけた感じがおいしかったなあ」
伊緒さんがうっとり目を細め、今度はぼくがきょとんと首をかしげる。
金時豆、ですか……?
小豆ではなくって??
あらためて聞いてみると、なんと彼女のふるさとのお赤飯は、小豆の代わりに”甘納豆”を使った甘い味のものなのだという。
久しぶりの食文化ギャップへのおどろきだ。
これは始まりがはっきりしていて、札幌の学校法人の女性園長さんが、手間をかけずに子どもが喜ぶようなお赤飯を工夫したことに由来しているそうだ。
小豆から仕込む古式のお赤飯はとても時間がかかるので、おこわを食紅でピンクに着色して金時の甘納豆をまぶすという技を編み出したのだ。
昭和30年代から普及しだし、いまでは北海道のお赤飯といえばそのスタイルなのだという。
うーん、なるほど。
それはさぞかし子どもがよろこぶだろう。
「晃くんのすきな給食メニューはなんだったの?」
伊緒さんからの質問にしばしうーん、と唸って記憶をたぐり寄せる。
「あ!そういえば”カムカム”が好きでしたねえ」
「カムカム……??なんだべか」
おお、これも伊緒さんの学校にはなかったのですね。
カムカムとは別名を”かみかみ給食”ともいい、その名のとおりよく噛んで食べるメニューで、子どもたちの歯の健康を守ろうという主旨のものだった。
ぼくの学校では、ソフト大豆とイカげその二種類があった。
いま思い返してもシブいメニューだけど、ぼくは歯が丈夫なためかこのカムカムが大好きだった。
そのおかげかどうかは分からないけれど、大人になったいまも虫歯は一本もない。
「給食ひとつでも、こんなにお土地柄が出るのねえ」
フルーツ牛乳をくぴくぴと飲み干して、伊緒さんがしきりに感心している。
まったく、おっしゃるとおりだ。
これも食文化史の1ページを彩る話題となるだろう。
「でもいま思うと、給食ってほんとに子どものこと色々考えてつくってくれてたのね。食べてるときは、ヘンテコな組み合わせだなあって思ったりもしたけど、ちゃあんと意味があったんだわ」
うんうん、そうですよね。
たまたまお風呂上がりの牛乳から始まった話題だったけど、大事なテーマに発展しました。
もしこれから子どもが生まれて、学校に通うようになったら、やっぱり給食についての話をするのだろう。
でも、甘納豆のお赤飯とカムカムは、ぜひ家庭でも導入してほしいものだと思っている。
子どもに便乗して、ぼくもよろこんで食べさせてもらうのだろうなあ。
あなたが書くのに適した小説ジャンルは?小説執筆ジャンル適性診断
コメント