やたらと何かをあげたくなってしまう人、というのが確かに存在している。
ちょっとしたお菓子だとか、旅行のおみやげだとか、ガチャガチャでかぶったフィギュアだとか、とにかく何かをプレゼントして喜ばせたくなるという人だ。
その点に関していえば、伊緒さんはまさしくそういった人種の典型だと思い知らされる。
ぼくも彼女と付き合う前には、さもたまたまポケットに入っていましたので差し上げましょう、という体を装って渡すために、常に何種類かのアメ玉を用意していた。
改めて文章にすると何となく待ち伏せ感が漂って気持ちわるいけど、関西地方では特におばちゃんたちのカバンにアメが常備されていることはつとに名高い。
たぶん伊緒さんが関西に行けば、出会ったすべてのおばちゃんから「アメちゃんやろか」と押し付けられて、即日アメ屋さんが開店できるほどの収穫になるのではないか。
伊緒さんの不可思議なご人徳は、行きつけの商店街や近在の農家さんなどの間でも十二分に発揮され、やれ売り切りのコロッケが余ったから持っていけ、やれ初物のソラマメをゆでたから食ってみろ、果ては親戚の地鶏卵で精をつけろ、といった感じでありとあらゆるものを頂くのだ。
まるで「笠地蔵」だとぼくはいつも思うのだけど、つまり色々あげたくなるくらいに伊緒さんがかわいいということだったのです。
はい。
「みてみて晃くん! こんなに立派なお大根!」
とったどーっ!! といった感じで伊緒さんが葉付きのおおきな大根を頭上に掲げて、帰宅したぼくを出迎えた。
「うわあ、どうしたんですかそれ!」
シュールでかわいい画に笑ってしまいながら、みずみずしく張りのある見事な大根をしげしげと眺めてしまう。
「あのねえ、おばあちゃんにもらったの!」
ぼくらが住んでいる辺りは駅前の繁華な界隈をはずれると、まだ少し畑や田んぼが残っていて、地元の市場に細々と卸したり自家消費用にしたりする野菜を作る農家さんがいる。
いままさに旬を迎えた大根を収穫している様子を伊緒さんがまじまじと見ていると、農家のおばあちゃんが畑から引っこ抜いたばかりの一本をひょい、と渡してくれたそうだ。
むう、やっぱり笠地蔵。
伊緒さんは大喜びして、立派な大根の姿をぼくに見せようと調理せずにいまかいまかと待ち構えていたのだ。
ああもう、かわいいなあ!
さて、もうそのままかじってもおいしいに決まっているであろう旬の大根を、伊緒さんはどんなふうに料理してくれるのだろう。
「ふふーん。たぶん晃くんも食べたことないと思うわ。楽しみにしててね!」
意味深なことを言って、伊緒さんは大きな大根の葉っぱを揺らしながら楽しそうに台所に入っていく。
食べたことのない大根料理・・・? ハテ。
台所からはすこん、すこん、と元気よく大根を切る気持ちのいい音が聞こえてきて、いやがうえにも期待が高まってしまう。
コーカサス地方が原産地とされるアブラナ科の植物である大根は、地域によって実にさまざまな品種があることでも知られている。
いわば「地ダイコン」ともよべるそれらの品種には、「ものすごく長いもの」や「ものすごく大きいもの」、そして「ものすごく辛いもの」等々、とにかく「ものすごく系」の特徴を示す個性派が群雄割拠していて、ものすごく楽しいのだ。
どうしてこんなに熱く語るのかというと、ぼくがものすごく大根に愛着があって大好きだからなのだけど、世の中からすれば「ダイコン」というのはややもすれば、もったりとダサめのイメージを持たれているのではないかと懸念している。
たとえばどうだろう。
「クレソン」→クールだ。
「ルッコラ」→おしゃれだ。
「パプリカ」→おお、いいではないか。
「ダイコン」→……どうだ?
ここでダイコンのことをあえて「タイタン」とか「バイソン」とかと同じ発音で読んでみると、ちょっとは洋風(?)な感じがしないでもないが、所詮は小手先の目くらましに過ぎ無い。
同様の理由で「デイクォーン」とか言ってみても絶対ダメ!
と、一人でやや錯乱していると、伊緒さんがほかほかと湯気のたつお皿を持って台所から出てきた。
「どうしたの?悩ましげな顔して」
「あ、いえ。なんでもありません」
まさか大根問題に心を痛めていたとは言えず、気を取り直して伊緒さんの料理に視線を移した。
「おおっ!ふろふき大根……、じゃない……!?」
そこにはまばゆいばかりの白さを誇る大根が輪切りになって盛られており、王道のふろふき大根かと思われた。
が、よく見るとその断面には何やら年輪のような模様が浮かびあがり、「ただものではない感」のオーラが立ち昇っているのだ。
あっ!「かつら剥き」だ!
ぼくは唐突に理解した。
輪切りの大根を厚めのかつら剥きにして、さらにそれをゆるく巻き直してあるのだ。
「伊緒さん、これはいったい…?」
初めて見る大根料理にワナワナと興奮しながら質問する。
「ふっふっふ。これはですねえ、江戸時代のレシピ本『大根百珍』に載っているお料理よ。その名も……”林巻き大根”!!」
りんまきだいこん…りんまきだいこん……りんまきだいこん………!
と、エコーがかかったように感じるところが中二病っぽいのだけど、まさか江戸料理とは。
なんか古代の技術を復元したみたいでアツい。
「さあ、引っ張るのはやめにして熱いうちにいただきましょう」
伊緒さんにうながされて、ぼくは大根に箸を入れた。
お皿には敷き味噌が施され、ゆずの香りが心地よく立ち昇ってくる。
かつら剥きの大根を巻き直しているので、いわばミルフィーユ状になっていることから火の通りがいいのだろう。
さっくりと割り取れた部分に味噌を付け、ふうふうと息を吹いてほおばった。
途端にゆず味噌の香りが鼻腔を抜け、幾層もの大根がはらりはらりと口の中で甘くほどけていくではないか。
これはおいしい!
手間はかかるだろうけど、普通のふろふき大根とはまた違う食感がすごく楽しい。
「大根百珍って本は江戸時代のベストセラーだったそうなの。いまではあんまりメジャーじゃないお料理もあるけど、どれも本当においしそうよ。林巻きは、3ミリ厚くらいのかつら剥きをゆるく巻き直して、お酒をふって蒸す、とあるわ。加熱時間が短くてすむから江戸時代には効率のいい調理法だったのね」
ふーん、なるほど。
たしかに、いまよりずっと厨房の設備も限られていたであろう江戸時代に、バリエーション豊かな料理を生み出してきた知恵と探究心には驚かされる。
おそるべし、大根百珍。
そういえば「大根役者」という言葉も、本来は大根のように無限の化け方ができる俳優を意味していたそうだ。
ああ、大根にあやかりたい。
伊緒さんは農家のおばあちゃんに、お礼のクッキーを焼くのだと張り切っている。
すずな、すずしろ……、ぼくも地味でもいいから滋味豊かな小説を書けるようにがんばろう。
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