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第7膳 ねこまんまは人間用でお願いします!子ニャーが家にやってきた

小説
tnaaさんによる写真ACからの写真
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 最近伊緒さんの様子がなんかおかしい。
 一日に何度か、ちょこちょことお家の外に出ていくのだけど、その出方がすごくあやしい。
 まずはキョロキョロと辺りの様子をうかがい、危険がないかとか敵がいないかとかをよおく確認する。
 そして廊下の角から角へと「ささささささっ」と忍び足で移動する。
 いや、しているつもりなのだけど、実際には「てけてけてけてけ」とヘンな音がするのでいやでもぼくの耳に届いてくる。
 伊緒さんはそんなに運動が得意ではないのだ。
 かわいいので陰ながら温かな目で見守っているけど、途中ですっ転んだりしないかが気がかりで仕方ない。
 しかもポケットが不自然なかたちに膨らんで、冷蔵庫のミルクの減りがいつもより早いようでもある。
 ぱたぱたぱた、とサンダルをつっかけて伊緒さんが向かうのは、2軒隣の空き家のあたりだ。
 古い日本家屋で、草が生えこんだ広い庭はまるで秘密基地のようだ。
 空き家とはいえ、もちろん人んちだろうから勝手に敷地に入るのははばかられる。
 はばかられるので伊緒さんは、ことさらに警戒しつつ「てけてけてけっ」と素早く庭に忍び込む。
 なぜこれらの動きが分かるかというと、ぼくたちが住んでいるお家は傾斜地にあって、庭の端っこに立てば茂みの隙間から一部始終が見えるからだ。
 でも、見えるのは伊緒さんが庭に忍びこむまでで、そっから先は耳を澄ませて音声だけを頼りにしなくてはならない。
 こっそり隠密行動をしている伊緒さんを、物陰からじぃーっと見守るぼく。
 そしてそんなぼくをさらに誰かが狙いすまして……という妄想にハッ!となって、機敏に後ろを振り返ったりする。
 なにしてるんだぼくは。
 がさごそがさごそ、と正しい物音が聞こえてくるので、空き家のほうに再び注意を向ける。
 すべての音がこちらに届くわけではないけど、断片的な伊緒さんの声をいくつか拾ってみよう。

「おーしおしおし」
「おなかすいたしょー?」
「めんこいにゃー」
「にゃにゃにゃにゃ!」

 これらの状況証拠から、ぼくはひとつの結論を導き出した。
 伊緒さんは、”あの生き物”に心を捉えられている……!

 ”あの生き物”と人類との因縁は、長く根深い。
 古代エジプトでは神々の一柱として崇められ、奈良時代の日本には遣唐使の帰還とともに海を渡ってきたという。
 さらに近年では、古墳時代の須恵器から”にくきゅう”の痕跡が発見され、考古学界をざわめかせている。

 その生物の名は、ネコ。
 学名は「フェリス・シルヴェストリス・カトゥス」。
 四足歩行の群れない小型肉食獣だが、ニンゲンがいないところでは普通に2本足で歩いていた、という報告が後を絶たない。
 その行き過ぎた愛くるしさはもはや暴力といっても過言ではなく、ネコ好きな人は我を忘れてその魅力のとりことなるのだ。
 伊緒さんがネコ好きなのは薄々察してはいた(うれしいと”ニャアァアァァァァ”と鳴くし)。
 でも子どもの頃はアパート住まいでペットを飼える環境ではなかったそうで、なおのことお家にネコがいる生活に憧れていたようだ。

 きっと近くの空き家でノラネコさんが赤ちゃんを生んで、子猫の鳴き声につられて伊緒さんがのぞきに行くようになったのだろう。
 それにしても、産後すぐの親ネコがニンゲンの接近を許すとは珍しい。
 きっと伊緒さんはネコの仲間だと思われているのだろう。
 でも、親ネコは出産後しばらくすると安全のため、子猫たちを連れて何度か引っ越しすることが知られている。
 伊緒さんとネコさんたちとのお別れは、自然に訪れるだろう。
 そんな予測の通り、やがてネコさんは引っ越していったようだった。
 それというのも、いつものように様子を見に行った伊緒さんが、ほどなくしょんぼりしてとぼとぼと帰ってきたからだ。
 きっと巣はもうもぬけの殻だったのだろう。
 でも、それから2日ののちのことーー。

 雨が強く降っている日のことで、こりゃあ食材の買い出しにも行けないなあ、と思っていたとき。
 伊緒さんがふいに、何かの気配を察知した子鹿のようにぴんっ、と耳をそばだてた。
 ぼくの耳にも、なにやらか細い鳴き声のようなものが聞こえる。
 止める間もなく外に飛び出していった伊緒さんは、ほどなく全身びしょびしょに濡れて帰ってきた。
 驚いてとりあえずタオルを取りに行こうとしたぼくを引き止め、彼女は大事そうに胸に抱えていたものをそっと解き放った。
 手のひらに乗るような黄色いモコモコ。
 小指ほどのしっぽ。
 ピンクのへの字口。
 それは小さな小さな、茶トラの子猫だった。
 ビー玉みたいな目でふるふるとぼくを見上げて、
「にー」
 と、思いのほか力強い声でひと鳴きした。
 ふと見ると、伊緒さんも同じような目をしてふるふるとぼくを見つめている。
 一瞬のうちに事情を了解したぼくは、とりあえず伊緒さんに濡れた服を着替えるように言い含め、二階にある自分の部屋へと駆け上がった。
 そうかそうか、お母さんとはぐれてしまったんだな。
 ネコさんのお引越しでは、親が子を一匹ずつくわえて移動させるので、しばしば迷子が発生する。
 目が開いて、自力で動き回れるようになるとじっとしていないので、なおのことだろう。
 きっとこの子もそうだ。巣を移動して2日経つということは、危ないところだったのではないか。
「伊緒さん、これを」
 ぼくは息せききって部屋からひっつかんできた袋の中身を、彼女の前に広げた。
 ネコ用缶詰、ゼリータイプのネコのご飯、スープ状のネコのおやつ、小さめのネコ用ドライフード、等々。
 どちゃどちゃっと出てきたネコ用食べ物の数々に、髪を拭いていた伊緒さんが目を丸くした。
 あわせて茶トラの子ニャーも「にーにー」と鳴いた。
 深入りするまい、とは思っていたのだけど、気が付くとぼくはネコのご飯を買い込んでしまっていた。
 それというのも、子どもの頃、まさしくこのお家にネコがいたのだ。
 伊緒さんが保護した子ニャーと同じ茶トラで、コロという名前だった。
 とっても仲良しだったけど、ある日コロは姿を消してしまった。
 来る日も来る日もコロを待ったのに、とうとう帰ってくることはなかった。
 だから、さっき伊緒さんが子ニャーを抱きかかえてきたとき、ああ、コロがこのお家に戻ってきたんだと思ったのだった。
 子どもの姿になって、ひよひよふるふると戻ってきたんだと。
 心配された子ニャーの体調は、なんとか大丈夫そうだ。ゼリー状のフードをいたく気に入って、うにゃーふ、うにゃーふと言いながら夢中で食べている。
「これー、ゆっくり食べれー!」
 伊緒さんは喜んで、タオルで子ニャーの濡れた毛を拭いてあげながら、しきりに話しかけている。
 きっとお母さんネコにグルーミングしてもらっているような気分に違いない。
「ノミよけとか、混合ワクチンとか色々必要ですから、近いうちに一緒に動物病院につれていきましょう」
 つまりはこの子をうちで育てましょうという宣言を理解した伊緒さんは、はわはわはわと打ち震えて、ぎゅうっと子ニャーを抱きしめた。
 なんだか安心してしまうと、急におなかが空いてきた。でも食材はほとんどなくって、買い出しに行こうにも雨脚はますます強くなっている。
 ご飯だけは炊けていたので、保存食でもないかと戸棚を物色していると、パックの削り節を発見した。
 伊緒さんと思わず顔を見合わせて、もちろんねこまんまにしておいしくいただいた。
 お茶碗に熱々のご飯をよそい、お醤油をちょいちょい。その上にふわふわと削り節を振りかけ、あと少しお醤油をちょい。
 かつおのもつ、舌の根がきゅっと縮まるような旨味がなんだか妙に楽しくって、このねこまんまは出色のご馳走となった。
 子ニャーも自分のご飯をたいらげて、ぽんぽんのおなかですっかり満足そうだ。
 伊緒さんが庭から引っこ抜いてきた猫じゃらしでかまってあげると、大喜びして何度も何度も飛びついて遊んでいる。
 ぼくが仕事のため二階の部屋に上がった後も、しばらくはにーにーという鳴き声と伊緒さんの笑い声が聞こえていたけど、やがていつの間にか静かになった。
 どうしたのかな?と思ってそーっとのぞきに行くと、二人(?)はまったく同じポーズですやすやと気持ちよさそうに眠っている。
 おんなじような顔をして、子ニャーと大人ニャーの親子みたいだ。
 雨はまだ、強く降っている。
 もう一食くらいねこまんまでも、いいんじゃないだろうか。

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