わたしにとって関西の食べ物はめずらしく、またとってもおいしいものばかりでした。
よく東北地方は味付けが濃い目で、関西の料理は薄くて物足りなく感じる、などといわれます。
わたしも当初はそのあっさり加減に少し面くらいましたが、なれてくるにしたがって、単なる薄味というわけではないことがわかるようになってきました。
しっかりとお出汁をひいて旨みを凝縮し、素材そのものの味を引き出す知恵はさすがの歴史を感じさせます。
おいしい関西料理はあまたあるのですが、麺類だいすきなわたしがすごく気に入ったもののひとつに「うどん」があります。
透き通ったスープは最後まで飲み干せるほど口当たりがよく、それでいて、舌の根がきゅっと縮まるような強い旨みを秘めています。
白くてふっくらした太い麺はとてもやわらかく、少し具合がよくないときでもするするとおなかに入るやさしさです。
夫が育った関西の地で暮らすようになって、わたしは街でみかけるうどん屋さんの多さにびっくりしました。
ちゃんとした食事としても、また小腹を満たす気軽な食べ物としても、うどんがとっても愛されているのを感じます。
最近では讃岐うどんのように、コシの強いしこしこした麺も人気のようですが、夫いわく「昔ながらの」やわらかい(関西弁だと”やらかい”)のがわたしは好きです。
一方で、蕎麦屋さんの姿があんまり目立たない、ということも発見でした。
わたしが育った北海道では麺類といえばラーメン屋さんか蕎麦屋さんで、結婚後しばらく暮らしていた関東地方でもやはり蕎麦のお店が多かったように思います。
ざっくりいうとちょうど関東と関西では蕎麦屋さんとうどん屋さんの比率が逆転しているかのようです。
ひとくちにうどん・蕎麦といってもそのスタイルは千差万別で、麺のタイプからつゆの味付け、合わせる具材によって無数のバリエーションを楽しませてくれます。
それにたとえ同じ具材をのっけてもうどんと蕎麦では異なる名前になったり、味わいが全然違ってくるというのもおもしろい現象です。
たとえば甘炊きのあぶらあげがのっかった、わたしの大好きな「きつねうどん」。
このあぶらあげを蕎麦にのっけたものを、みなさんの地域ではなんと呼んでらっしゃるでしょうか。
関東だと「きつねそば」で通じるのですが、関西ではなんとこれを「たぬき」と呼ぶのです。
うどんと対をなす蕎麦なので、きつねと対をなすたぬき、という意味だそうですが、当初わたしは混乱してしまいました。
関東で「たぬき」といえばうどんでも蕎麦でも、天かすがのったもののことを指します。
ところが関西では、あぶらあげののった蕎麦のことだけをたぬきというのです。
したがって「たぬきうどん」というのは存在せず、引っ越してきた当初のわたしを大いに惑わせたのでした。
そのことを知らなかったわたしは関西のうどん屋さんに一人で入ったとき、天かすのせのうどんが食べたくて、
「たぬきうどんをください!」
と元気よく注文し、お店の人にふしぎそうな顔をされた経験があります。
それこそ、化かされたような気分だったのかもしれませんね。
もうひとつ忘れてはならないメニューに、「天ぷらうどん・蕎麦」があります。
ただでさえ豪勢な、天ぷらという完成されたお料理をのっけるのですから、おいしくないはずはありません。
運動エネルギーは、質量および速度の二乗に比例する。
おいしいものに、おいしいものを組み合わせると、もっとおいしくなる。
古代ギリシャの哲人方も、深い思索の末にたどり着いたという世界の真理なのです。
「しかしおめえ、そいつぁ天ぷらの旨さじゃねえか」
と、一方では顔をしかめる玄人の方もおられます。
「単なるオーバースペックでしょう」
すちゃっ、とメガネの位置を直しながら一笑に付す有識者の声も聞こえます。
ですが、ええい、だまらっしゃい!
素敵ではありませんか。おうどんやお蕎麦にででん、と天ぷらがのったその勇姿!
わたしにとってはいい大人になったいまでも、はわはわ感あふれる豪華料理の筆頭格なのでございます。
でも、どちらかというと世間さまは天ぷらうどんには寛大で、通の方は天ぷら蕎麦への風当たりが強いように感じるのですが、気のせいなのでしょうか。
まだ結婚する前、関東でOLをしていた頃、古いお蕎麦屋さんに迷い込んだことがありました。
そのときのわたしはなんでだったか飢餓状態で、ようやくご飯にありつける喜びにあふれて天ぷら蕎麦を注文したのです。
ところが一息ついて店内を見渡すと、なにやら尋常ではない趣きです。
これはえらいところに入ってしまった、と思いましたがもうたのんでしまった天蕎麦です。
場違いな感じにおどおどしていたところ、ドガラッと引き戸が開いて、もう見るからに「玄人」っぽい感じの怖そうなおじいさんがご来店されたのです。
「焼きのりと酒!せいろ二枚!」
ガラガラ声で怒鳴るように注文して、どっかと椅子に腰掛けます。
ほどなくお酒の徳利と焼きのりが運ばれてきましたが、なんだか見たこともないような木の箱に入っています。
あとで知ったことには、木箱のなかには炭火が熾っていて、のりのパリパリ感を保つ仕組みになっているそうです。
「焙炉(ほいろ)」という道具とのことですが、めちゃくちゃいかしてます。
おじいさんは手酌で注いだお酒をちゅーっ、とあおり、わさび醤油をちょいっとつけたのりをわっしゃわっしゃと食べ、またちゅーっ、とお猪口のお酒を飲み干します。
その様子があんまりおいしそうで、ついつい横目でちろちろと観察してしまいました。
するとおじいさんは急にぎょろりとこちらを向き、わたしは慌てて目をそらしました。
ふう。
折りよく天ぷら蕎麦とせいろが運ばれてきて、わたしはよろこんで自分の食事に集中することにしたのです。
……が。
そのおじいさんのせいろの食べっぷりが、それはもうお見ごとでした。
お箸ですいっと蕎麦をつまみあげ、ほんのちょびっとつゆにつけ、ぞぞぞぞちゅるんっ、とほとんど噛まずにすすり込んだのです。
ああ、これ、某グルメ漫画で読んだことある。
わたしは初めて本物の蕎麦通の食べ方をまのあたりにし、すっかり圧倒されたのでした。
ほんとかどうか未だによくわかりませんが、お蕎麦はあまり噛みしめず、喉ごしでその香りを味わうものとされています。
うかつなことにその頃は一回目の新蕎麦、つまり「夏新」の時期だったのです。
きっとその香りを楽しみに来られたのでしょう。
おじいさんの食事はあっという間におわってしまいました。
そりゃあ、飲んでるんですもの。早いはずです。
席を立ったおじいさんは一貫して怒ったような顔で、お箸を手に呆然としているわたしにつかつかと近づいてきました。
ひいぃっ、ごめんなさい、天蕎麦なんて頼んで!でも、これが好きなのです!
と、心の中で叫んで身をすくめたわたしに、
「のり好きかい」
ガラガラ声のまま、おじいさんが問いかけてきました。
思わぬ質問にわたしは、
「ふぁいっ」
と気の抜けた返事をしてしまいました。
おじいさんは片眉を上げてふん、と頷き、
「勘定!」
と帳場に怒鳴ってお釣りが出ないようにお代を払い、来たときと同じ大股で悠々とお店を出ていきました。
呆けていたのもつかの間、大事なお蕎麦がのびてしまっては大変だと、ハッと気づいて箸をとりなおしました。
しかし時計を見るとあれから一分ほどしかたっていません。
いやはや不思議体験をさせてもらったものだとおもしろく思っていると、女将さんがすました顔で近寄ってきて、
「さきほどのお客様からですよ」
と、わたしの目の前にことん、とお皿を置きました。
なんだろうと目をやると、なんと「のりの天ぷら」が三枚、湯気をたてているではありませんか。
びっくりして口をぱくぱくさせるわたしに女将さんはニッ、と笑い、会釈だけしてさあーっと帳場に戻ってしまいました。
……わお。
このときのことが忘れられず、おうどんのときもお蕎麦のときも、のりの天ぷらがあれば必ずほしくなってしまいます。
でも、蕎麦屋さんだけはいまだに少しこわいなあ、と思うわたしなのでした。
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