歴史ライターのお仕事をしている伊緒さんは、完全在宅ではなく時おり取引先の編集プロダクションなどに出向しなくてはならない。
打ち合わせとか、企画会議とかいろいろあるのだけど、たいがい夜遅くなるのでぼくの休日と重なったときはつまらない。
これまではさみしく彼女の帰りを待ちわびて、ドアの向こうに伊緒さんの気配がするやいなや、短いシッポを振り回して一目散に駆け寄っていくというのがお決まりだった。
だが、これからのぼくは違う。
たまにはどこかおいしいお店に招待して、ぼくが伊緒さんを喜ばせてあげるのだ。
そこでごろんごろんと寝そべりながらグルメ情報サイトを見回っていると、まああるわあるわ、おいしそうなお店の数々!
本格石釜焼き”ピッツァ”が自慢
(”ピザ”ではない!)
南プロヴァンスの風、フランス家庭料理
(でもセレブっぽい!)
ヌーヴェル・シノワの旗手が贈る、新時代の満漢全席
(コトバがもうわからない!)
新鮮すぎてごめんなさい!北海の幸てんこ盛り
(あやまらなくてもいいのに!)
等々、何やらもうものすごいキャッチコピーとともに、扇情的な料理の数々がそれこそ「どじゃーん!」といった具合に掲載されている。
そうして実際に食べた人のコメントがたくさんたくさん寄せられており、
「マジでヤバイ」
「コスパ抜群」
「記念日デートに最適」
等々、だいたいぼくと互角レベルのボキャブラリーによる最大限の賛辞が並んでいて、見飽きることがない。
ふふーん、こんなお店に連れて行ったら伊緒さんは喜んでくれるかな?
ははあ、こういうジャンルは食べたことないなあ。伊緒さんはぼくに惚れ直してくれるかな?
等々、ひとしきり想像を膨らませて楽しんでいたのだけど、ぼくはハタと気が付いた。
――コレすべて、えらいのはコックさん。
そう、ステキなお店にエスコートするのは男のセンスと経済力なのかもしれないけれど、料理で喜ばせてくれるのは作ってくれた人の力だ。
それがわるいわけではないのだけど、何かがひっかかってしまった。
じゃあ、どうすれば・・・、と頭を抱えたその時、
「よく気が付いたネ、ボーイ」
と、男の声が降ってきた。
驚いて顔を上げると、そこにはこんがりと陽に焼けた濃ゆい顔立ちの中年男が、真っ白なタンクトップ姿で革張りのソファーに横たわり、優雅にカクテルをたしなんでいた。
ぼくは反射的に、手近にあったマゴノテを掴んで男に向けて振り下ろした。
だって不審者ですもの。うちに革張りのソファーなんてないですし。
しかし男はカクテルのストローでふわりとマゴノテを受け流し、体勢を崩したぼくの口に素早くチェリーを押し込んだ。
うぐっ。甘い。
「誰ですか!あなたは!」
チェリーを食べながらぼくが問いただす。
「誰だとはごあいさつだネ。見覚えがあるはずだろう?ハァン?」
あるはずあるか。それにむかつく。
なんとなく不衛生な感じのちょび髭もカンにさわる。
「君自身だヨ、ボーイ。私は未来の君だ」
ええっ。すごいいやだ!
満面にいやな感じを出したにもかかわらず、未来のぼくだと名乗る男は悠々としゃべり続ける。
「ボーイは思ったのだろう? 彼女を喜ばせるのに外食だけでいいのかと。ではもう、答えは決まっているじゃないカ」
手作りしちゃいなヨ!と、未来のぼくは両手とも”キツネ”の形にしてドヤァ!という顔をした。
うわあ。
「拙くてもいい。真心込めたひと皿で、自分の力で彼女を喜ばせるんだ。私なんか2日にいっぺんは料理するヨ!もちろんイオも大喜びサ」
・・・イオ?イオって・・・ああ、伊緒さんのことかあああああああっ!!
おまえが呼び捨てにするなああああああああっ!!!
と、叫んだところで目が覚めた。
ぼくは居間に転がったままヨダレをたらして居眠りしており、口にはなぜかチェリーの後味がべったりと張り付いている。
ヘンな夢を見たものだ。でも、夢の中の男が言った、
「拙くてもいい。真心込めたひと皿で」
という言葉がはっきりとアタマに残っていた。
ぼくは飛び起きると、冷蔵庫の食材をチェックして、それから素早く着替えた。
あのヘンな男の言うとおりだ。ヘタでもいいから手作りの料理で伊緒さんをねぎらおう!
ぼくは飛ぶような足取りで、まっすぐ近所のスーパーへと向かった。
ココン、コンコン、カリカリカリ。
いま帰ったよ、という合図を聞く側になるのは久しぶりだ。
ぼくはやはり短いシッポをぶん回しながらドアを開け、伊緒さんを出迎えた。
「おかえりなさい、伊緒さん」
「ただいま、晃くん。あれえ、なんかへんな感じね」
いつもとは逆のあいさつに笑いながら、伊緒さんが玄関に入ってくる。
普段見慣れないメイクとスーツ姿で、知らない大人の女性のようだ。
「すぐご飯つくるから・・・って、わあ!」
まったく珍しいことに、テーブルにはご飯の支度ができているため、伊緒さんはびっくりしてくれたようだ。
「さあさあ、手を洗って着替えてメイクを落としてくだされい」
と、一貫しない語尾でぼくが不慣れなセリフを口にすると、伊緒さんは満面の笑みで「はい!」と元気よく返事をして着替えに向かった。
その間にナベをあっためて、レンチンの用意をして、ホットプレートの電源をオンにした。
「なになに?鉄板焼きにしてくれたの?」
ぼくのよく知ってる顔になって戻ってきた伊緒さんが、芯から嬉しそうにテーブルを見渡している。
とりあえず座ってもらって、ぼくは「ふっふっふ」と伊緒さんのまねをしながらすかさず一皿めを運んだ。
大ぶりなカップにたっぷり注いだミネストローネだ。
「嬉しい!外けっこう寒かったの」
両手でカップを包み込むようにして伊緒さんはスープを口にして、
「おいしい・・・!」
と、猫のように目を細めた。
よかった。気に入ってくれたみたいだ。
「とってもいいおダシが出てるね!」
二口、三口と味わいながら伊緒さんが褒めてくれる。
「はい、実は次の料理の食材を湯通ししたときに出たスープでこしらえたんです。意外なぐらい味がしっかりして、ぼくもびっくりしました」
と、ホットプレートの脇に据えたお皿の中身を指し示した。
じゃがいも、ソーセージ、ブロッコリー、トマト、いずれも小さめの一口大にカットしてある。
実はミネストローネの具もだいたい似たようなもので、違いといえばたっぷりたまねぎを使っていることくらいだ。
そうこうしているうちにホットプレートは十分に温まり、電子レンジも音を立てて、仕込んだ食材の準備ができたことを知らせてくれる。
ぼくはレンジから取り出したものをおもむろにホットプレートの中央に据え、
「どじゃーん!」
と、前から言ってみたかったことを言ってみた。
「え?これ・・・ふわあっ!」
伊緒さんが目を丸くして驚いてくれる。
ホットプレートにのっけたのは、ホールのままの小ぶりなカマンベールチーズだ。
ただし、上のほうを丸くくりぬいてあり、なかにはクリーミーなチーズがとろとろとゆらめいている。
「バゲットもあります。好きなものをディップして、チーズフォンデュといきましょう」
チーズに粗挽き黒コショウをぱらぱら振りながらぼくが宣言すると、伊緒さんがもう一度歓声をあげた。
ホールのカマンベールをフォンデュにするというアイディアは、前に何かの雑誌でみたことがあったのだ。
白い外皮がそのまま器になり、チーズ本体もやわらかいのでのばす必要もない。
バーベキューや鉄板焼きのときに試してみたいと思っていたのだけど、伊緒さんが大喜びしてくれる様子をみるのがこんなに気持ちいいとは思わなかった。
長い串にソーセージを刺し、とろとろのチーズをくるくる巻き取って、ぱくんと頬張った伊緒さんの幸せそうな顔を見ていると胸がいっぱいになってしまった。
好きな人に喜んでもらうっていうことは、やっぱりそれ以上にこっちが嬉しいんだとよく分かった。
「晃くん、とってもおいしいわ。ありがとう!」
「そうですか、よかったです」
ちょっと照れてしまって彼女から目をそらした視線のその先に、こんがり陽に焼けた未来のぼくが親指をグッと突き出し、バチーン、と片目をつむるヴィジョンがはっきり見えた。
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