湯船に身を沈めると、ゆるゆると身体が溶け出していくかのようだ。
思わずうめき声をもらしそうになるけど、隣のユラさんは傷の痛みに耐えつつ湯に身を浸している。
ここは田辺市の“龍神村”。
海辺の田辺市街と高野山の中間くらい、大和との境に沿った山中の村だ。
その名の通り龍の神を祀る祠や神社があり、かつて大陰陽師・安倍晴明が訪れた伝説も残されている。
その痕跡は晴明神社や、彼があやかしを封じたという猫又の滝などが伝えている。
わたしたちがいま浸かっているのは、龍神温泉のひとつだ。
ここは温泉地としても名高く、とりわけ日本三大美人の湯のひとつに数えられている。
ゴウラと激しい格闘戦を繰り広げ近露の再地鎮を行ったユラさんに、古道守の玉置さんがこの温泉宿を手配してくれたのだ。
この地ならではの霊気がこもった温水は心身と霊力の回復に効果があり、かつてのあやかし狩り達も湯治に訪れたのだという。
「ユラさん、痛みますか……?」
じっと苦悶に耐えるような表情の彼女に、思わず言わずもがなのことを口にしてしまった。
北国育ちのわたしですらはっとするような白い肌にはほうぼうに青痣ができ、湯煙ごしにも無数の古傷が見てとれた。
初めて一緒にお風呂に入って、改めてこの人が命がけで戦ってきた歴史を目の当たりにしている。
「ん……痛かったけど楽になってった気がするわ」
ユラさんがようやく表情を緩め、そんなわけないとはわかっていてもちょっと安心してしまう。
「すごいアザになっちゃいましたね」
「あんかい見事に投げられたらなあ。すっかりにえて……あ、こっちの言葉でアザできるの”にえる”っていうんよ」
他愛もないことを言って笑ってくれるけれど、傷跡が目に入ると本当に痛ましい気持ちになる。
「受身もとる暇なかった。強かったなあ……」
ちょっと遠い目になって、ユラさんが呟く。
「はい。すっごい強かったです。それとあと、なんかカッコよかったです」
「ほんまやね。渋い河童さんやったね」
くすっと笑うユラさん。今度は心から笑ったことがわかった。
「私、ゴウラさまの聞かはったこと、ずっと考えやなあかんなって思ったん。あの人らからしたら、人間が一番恐ろしい“あやかし”そのものなんやなって。もしかしたら妹…白良も、あの鈴木秀も、それに思うところがあるんかもしらん」
香り高い檜でできた湯舟の縁にもたれ、ユラさんが語る。
わたしも、同じことを考えていた。
「これからも話しかけてみましょう。あやかし達に」
「うん。そうやね。みんながみんな聞いてくれるかわかれへんけど、ゴウラさまみたいな人もおるかもしれへんよね」
ユラさんは少し晴れやかな声でそう言うと、すらりとした手足をうーん、とお湯の中で伸ばした。
白い肌にうっすら桃色が差し、傷ついた身体は確実に甦ろうとしている。
「そや。あかり先生、せなか流そか」
「ファッ!?で、べべべ、だいじょうぶれす!」
ヘンな声を上げて決死で断ってしまった。
そんなのぜったい鼻血が出る。
ユラさんは狼狽するわたしをきょとんと不思議そうな目で見つめ、やがておかしそうに声を立てて笑った。
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