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第五十四椀 ほっこり郷土料理「茶粥」。伊緒さんも落ち込むことがあるのです

小説
cheetahさんによる写真ACからの写真
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 ちょっと落ち込んだせいか、めずらしくカゼをひきました。
 わたしは在宅で歴史関係の記事を書くライターをしていますが、お家にいるばかりではなくて、ときおり取引先の方と対面しなくてはなりません。
 企画会議であったり、打合せであったり、内容はさまざまですが気が重いときもあるのです。
 わたしが関わっているお仕事では通常、編集プロダクションなどが請け負う場合はチームで動くのがセオリーです。
 編集者・ライター・校正校閲者が一組になって、そのいくつものセルをディレクターが統括します。
 ディレクターはプロジェクト単位で異なることが多いのですが、なかにはどうしても反りが合わない人もいて、そんなときがたいへんです。
 相性のいい・わるいという問題はどんな職場でもおなじだと思いますが、最初から高圧的だったり、チャラチャラした感じだったり、そんな人がわたしは大の苦手なのです。
 とってもおもしろそうなある企画でお声がかかり、喜んで打ち合わせに出向いたところそういうタイプの人が待ち受けていました。
 開口一番、わたしのこれまでの署名記事の批評を始めて、
「君は”歴女”って以外にとりたててポイントもないし」
 と、怒ったように繰り返していました。
 また、遠まわしにいくらでも優秀なライターがほかにいることを強調して、
「やらせてください」
 とわたしに懇願させたいのかな、と勘ぐってしまうような振る舞いでした。
 わたしのようなフリーランスのライターは、よほどの力がないかぎり相対的に弱い立場です。
 大きな仕事がほしいし、成功すればそれが名刺代わりになってさらに大きな仕事が舞い込みます。
 だから最初にガツンと出て、ライターに対して主導権を握ろうとするこの人のようなディレクターもなかにはいるのです。
 でも、向こうから呼んでおいてそういう態度は失礼です。
 つまりははなっから対等のパートナーだなんて、つゆほども思っていないということですから。
 それならどうぞ、優秀なほかのライターさんを探してください。
 わたしはそう言って席を立ち、さっさと帰ることにしました。
「ニャンちくしょう。ニャンちくしょう」
 と声に出しながらずんずん歩いていると、くやしくてちょっと涙が出てきます。
 わたしの文章に至らない点があれば直します。
 歴女、と呼ばれることにもたいして抵抗はありません。
「なんとかガール」とか「かんとか女」といえばわかりやすく親しみやすい面もあるからです。
 でも、やっぱり自分に力がないからなめてかかられるのでしょう。
 こちらの話も聞かずに最初から高圧的に出られるのも我慢なりませんが、自身の勉強不足と実力不足も情けなく思うのでした。
「”歴女”って以外にとりたててポイントがない、かあ」
 さっき言われたことを口に出して反芻してみると、また少し涙が出てきました。

 お家に帰ってご飯のしたくをして、夫を出迎えて、一緒に食事をして……、そうしているうちにモヤモヤしたいやな気分も忘れていきました。
 ですが、よほどこたえたのか翌朝目が覚めると頭がぼんわりとして、どうやらカゼをひいてしまったようでした。
 これしきのことでニャンちくしょう、と起き上がるためにもぞもぞしていると、ひたいにそっと冷たいものが触れました。
「やっぱり。微熱あるみたいですね」
 それはやさしい夫の手でした。
「ゆうべからちょっと元気なかったから。具合わるいんじゃないかと思ってました。ゆっくり寝ててください。今日は代休なので一日いますから」
 ぜったいうそだと思いましたが、今日は甘えることにしました。
 なんだかんだ落ち込んでいたせいで、ちょっと心が弱くなっていたのです。
「おなか具合は?おかゆとか食べられそうですか?」
 わたしはかぼそく、うん、とうなずきました。なんかうれしい。
 彼は笑ってわたしのおでこに濡れタオルをのっけてくれて、ぱたぱたと台所に向かいました。
 ことんことん、と何かを取り出したり、じゃっじゃっ、とお米を研いだりする音が聞こえて、なんだか安心します。
 こういう音を聞くのはいつ以来かなあ、とぼんやり感慨にひたりました。
 もし、もしも、わたしに赤ちゃんができてつわりなんかでしんどいときは、今日みたいに彼がご飯のしたくをしてくれるのかな。
 おふとんのなかでそんな想像をするのは、とても甘美な時間でした。
 いつの間にかうつらうつらして、ふと目が覚めると彼が枕元に小さな土鍋をもってきてくれたところでした。
 小鍋立てとか、雑炊とかでよく使うお気に入りの一人用土鍋です。
「ちょっとでも食べられたらいいんですけど……」
 彼が鍋のふたをとると、なぜかふわあっ、とこうばしい香りが立ち込めました。
 湯気にかくれてよく見えませんが、中身もすこし茶色っぽくて、白がゆではないようです。
「ぼくの故郷に伝わる”茶粥”にしてみました」
 なんと、それは番茶で炊くおかゆだったのです。
 すこしずつふうふう冷まして、ちぎり梅と一緒に彼がわたしの口に運んでくれた茶粥は、熱っぽい身にもとってもおいしいものでした。
 番茶を煮出して生のお米からことこと炊いたおかゆは甘く、お茶のすこしスモーキーな香りがなんともいえません。
 夏は冷やして食べてもおいしいんですよ、と彼から聞いて、ぜひ食べたいものだと思いました。
 おかげで急に元気が出てきて、こんなことではだめだ、もっとがんばろう、という意欲が湧いてきます。
 でも、今日一日だけは、彼に甘えたままでいようと決めています。

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