「ねえねえ晃くん!関西では煮物のこと”タイタン”って呼ぶってほんとう?」
伊緒さんが目をキラキラさせて質問してくる。
じつに曇りなきまなこだ。
だが、曇りなきがゆえにこれは少々面倒な問題でもある。
伊緒さんが想像している”タイタン”というのはつまり、土星の衛星だったり”チタン”の語源だったりする古代ギリシアの神々のことだろう。
タイタン、つまりティターンはオリュンポス十二神に先立つ古代の巨神一族であり、その末子クロノスの子が全能神ゼウスとされている。
やがてゼウスらとクロノスらは王権をめぐって、全宇宙をゆるがす大戦を勃発させる。
オリュンポスとティターン、それぞれの神々によるこの戦いは”ティタノマキア”と呼ばれ、敗れたティターン神族は奈落そのものを表す神である”タルタロス”に封印されるのだった……。
「ギリシア神話って、ほんとに中二心にひびくねえ!」
伊緒さんが感心して、ぼくの長い話に耳を傾けている。
関西弁でいうタイタンについての説明は、これでだいたい三分の一くらいだ。
このくだりを「不要」とばっさり切り捨てる有識者もいるようだけど、なんかカッコイイではないか、”ティタノマキア”とか。
煮物を関西で”タイタン”というのは、つまり”炊いたん”のことだ。
「炊いたもの」「炊いたやつ」くらいの意味なのだけど、これが他地域の人にはとても特徴的に聞こえるらしい。
「~したもの」を「~したん」と略すのは関西弁でよくある言い回しで、そのまま名詞的に使うことができる。
でも「大根の炊いたん」とか「おからの炊いたん」とか言うのは便宜上のことであって、地元民にとっては正式な料理名という意識は希薄だと思う。
その呼び名だけがひとり歩きしてしまって、他地域の人には関西方言の料理名と印象づいてしまったのだろう。
ちなみに、同じ関西地方でも”おばんざい”と呼ばれる京都のおかず類に「炊いたん」と呼ぶものが多いようなイメージをぼくは抱いている。
そういえば関西弁では「~たん」を文脈でも多用しているみたいだ。
たとえば、
「伊緒さん、もう歯あ磨いてもうたん?おみかん凍らしたん買うたあるんやけど。あれ、もう寝たん?」
てな具合に。
ちょっと大げさだけど、こういう感じが伊緒さんにとってはすごく面白いらしい。
ふだんあまり方言を使わないぼくから、なんとかして関西弁を引き出そうと、伊緒さんはちょくちょく大胆なボケを敢行することがある。
「あ!お電話や!もしもし」
と、シャワーヘッドを耳にあてる。
「このアプリ入れてええ?」
と、板こんにゃくをタップする。
いずれも伝統的な手法ながら、たいへん核心をついたボケ方なので関西育ちのさがで反射的にツッコンでしまうのだ。
「って、シャワーヘッドですやん!寝耳に水やがな!」
「って、板こんにゃくですやん!真の全画面やがな!」
などと我ながら渾身のつっこみが炸裂する。
そして伊緒さんは必ずドヤァ!と満足そうな顔をするのだ。
なんとなく、負けたような気にはなる。
「でも、伊緒さんのお国の方言もおもしろいのありますよね」
全国どこでもそうなのだと思うけど、同じ日本語とは思えないほど個性あふれる方言があるものだ。
たとえば、ぼくと伊緒さんが違う味のアイスキャンディーを食べていたとき。
ぺろぺろとしばらくはおいしそうに自分のを味わっていた伊緒さんが、じぃーっとこちらを見つめて、
「ねえ、ばくりっこしよう」
と、おっしゃった。
ぼくは頭のなかで素早く「爆りっこ」「縛りっこ」「曝りっこ」等々、思いつく限りの変換を試したがさっぱり該当しそうな字がわからない。
後で教えてもらったことには、ばくるというのは「交換する」という意味で、馬や牛の仲買人を指す「博労(ばくろう)」が語源になっているという。
ほかには、
捨てる=なげる
ひっかく=かっちゃく
くすぐったい=もちょこい
ちょっと=ぺっこ
鍵をかける=じょっぴんかる
などが、伊緒さんの駆使する方言の一例だ。
かつて彼女はこのほとんどを標準語だと信じており、頻繁に聞くことができたものだ。
ある時を境に方言だと悟り、すっかり使わなくなったことをぼくは残念に思っている。
方言かわいいのに。
「そうかあ。じゃあ、晩ごはんには”サムシング炊いたん”を出しましょう。乞うご期待」
タイタンの説明に満足した伊緒さんは、ぱたぱたと台所へと向かっていった。
ああ、なに炊いてくれはんねやろか。
ことこと、ぼわわん、とお料理の楽しげな音が立ち、やがて煮物ならではのなんとも郷愁を誘う香りが漂ってきた。
旨みが詰まっているであろう出汁の香り、醤油とみりんの甘辛い香り、どうしてこうも煮物の香りは懐かしいのだろう。
そして、やさしい手でそれをつくってくれている人の、やわらかな気配。
ぼくにとって、ものすごく幸せなひとときだ。
「はいさい。したっけ、ごはんやでー」
北から南までの方言をまんべんなく混ぜて、伊緒さんが完成した料理を運んできてくれる。
ことん、と食卓に置かれたお皿の中身をのぞき込んで、ぼくは歓声を上げた。
「はい。”厚揚げの炊いたん”だよ!」
ドヤァ!と伊緒さんが胸を張る。
直後に、
「炊いたん、って発音合ってる?」
と心配したりしていたので、力強く頷いてあげる。
炊いたん、は「大胆」でなく「タイタン」の発音でOKです。伊緒さん。
ぼくはこの厚揚げという食べものが大好きだ。
若い頃には正直言って見向きもしなかったのだけど、大人になったある日突然、そのおいしさに開眼した。
お豆腐を薄くして揚げたものがよくいう油揚げ、ブロック状のまま揚げたのが厚揚げ、というシンプルな違いだけど、両者の食感はかなり異なっている。
油揚げはふかふか・しこしこな歯ざわりで、厚揚げは表面こそきゅっと引き締まっているものの、中身はお豆腐のしっとり感を保ったままでいる。
おでんでは定番の具材で、精進風の炒め物でお肉代わりに使われることもあるようだ。
たっぷりとツユを含んで炊きあがった厚揚げのジューシーさは格別で、本当に存在感のある食べ物だと思う。
厚揚げといえば、小説作品にものすごくおいしそうな料理が出てきたのを思いだす。
司馬遼太郎の不朽の名作『竜馬がゆく』で、海援隊時代の陸奥陽之助(のちの宗光)について印象的なシーンが描かれている。
龍馬に目をかけられているのをいいことに、仲間の反感もなんのそので遊び歩いては朝帰りを繰り返す陽之助。
ある朝、食事中の龍馬とばったり出会ってバツの悪い陽之助は、龍馬が食べようとしていた厚揚げの煮物をおどけてせがむのだ。
しかし龍馬はぱくりとその厚揚げを食べてしまい、陽之助の行状をなじるのではなく、彼に対して「期待している」とエールを送る。
この一言で奮起した陽之助は、やがて「カミソリ大臣」とまで呼ばれる辣腕の外交官へと成長していくのだ。
このエピソードのおかげで、ぼくは厚揚げがより一層好きになってしまった。
伊緒さんがつくってくれた厚揚げの炊いたんは、絶妙な甘辛さにダシがきゅっときいた、ぼくの大好きな味だった。
遠い異郷の地からやってきてお嫁さんになってくれた伊緒さん。
彼女が知らないはずの、ぼくの故郷の味を再現してくれるなんて、とっても不思議な感慨を覚えてしまう。
伊緒さんお手製の”炊いたん”が、もはやぼくにとっての家庭の味になっているんだと、いつまでもしみじみと感じ入っていた。
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