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【紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート】終章 那智決戦、果無山のあやかし達と不死の霊泉

小説
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裏那智飛瀧

あれは――“那智の滝”だわ……。

ゆうに100mは超えようかという垂直の断崖に、巨大な白い瀑布が轟音を立てている。
その長大な落水は空中で霧となって吹き付け、わたしの頬に無数の粒子が降り注いできた。

シララさんに導かれて結界の裂け目を通り抜けたわたしたちは、新宮城から那智山中へと移動したのだ。
が、もちろんここも現実の空間ではない。
うつし世とかくり世の境界に位置する、あわいたる世界。

そして、眼下の広場では神職のような白衣びゃくえ姿の男たちが激しく太刀を振るっていた。

「裏熊野神人じにんたち…!」

オサカベさんがそう呼んだ人たちが戦っているのは、以前紀北の高速道に出現したのと同じ、おびただしい数の「一つ蹈鞴」。
だが、人の背丈ほどのそれらはいずれも、錆びた小さな梵鐘のようなものを纏っている。

さらには、女の姿の妖異も数体見受けられた。
こちらは一見素朴な着物姿の若い娘のようだけれど、皆手に手に日本刀を携えて裏熊野神人らと真っ向から斬り結んでいる。
そしてあろうことか、そのうちの一体が大きく牙を剥き、神人の首筋へと咬み付いた。
牙を立てられた男は見る間に血の気を失い、まるで骨と皮だけになったかのように萎んでゆく。

助けなきゃ!
そう思った瞬間、すぐ横で弓弦の共鳴する音が響き、唸りをあげて飛んだ矢が女の妖異の頭を射抜いた。

果無山はてなしやまの“肉吸い”たちや…!なんでこんなところに…?」

オサカベさんが続けて二の矢・三の矢を放ち、乱戦にわずかな隙を生み出していく。
這って離脱していく男を仲間が助け起こしたが、裏熊野神人たちはあやかしとの攻防で劣勢に立たされているようだ。

「行こう!」

ユラさんが叫び、2大精霊が獣の姿に変じて跳躍した。わたしもシララさんもそれに続き、白刃の入り乱れる舞台へと躍り込んだ。
オサカベさんはそのまま援護射撃を続け、あやかし達も攻撃の手を緩めた。

「ゼロ神宮さん……!」

ユラさんに気付いた神人たちがどよめき、わたしたちを守るように一箇所へと固まってきた。

「蹈鞴と肉吸いらが無限に湧いてきて、結界を塞ぐ間ぁがありません!」
「わかりました。あやかしの相手は私らがやります。裏熊野さん方は結界張り直すのんに集中してください。オサカベの射線を塞がんように動いて。護法さん、あかり先生のこと頼みます。それと……」

てきぱきと指示していたユラさんが言いよどみ、その視線の先にはシララさんがいた。
が、彼女はすっと前に出てきて、膠着状態で対峙したあやかしの群れに向けて声をかけた。

「いるのでしょう?“肉吸い”の長。顔をお見せなさい」

すると、刀を手にした赤い着物の娘が進み出てきた。
普通の人間にしか見えないが、口元は神人のものと思しき血でべったりと濡れている。

「白良さん。やはり、裏切りましたね……。しゅうさんの、言った通りです。ヒトを裏切って、あやかしも裏切って……。だから、これだから、ヒトは信用できません……」

おどおどした様子ながら、一語一語区切るようにはっきり喋る娘は、燃えるような怨嗟の眼をシララさんに向けていた。

「わたしが聞いていた話とはずいぶん違うじゃないの。あなたたち、“一ツ蹈鞴の本体”を蘇生しようとしているわね?しゅうはどこ?直接問うのがいいみたいね」

キッ、と睨み据えたシララさんに対して娘はびくっと身体を震わせ、

「知りません……。知りません……」

と呟きながらあやかし達の群れへと隠れてしまった。

と、その時。

那智の滝が鳴動し、山全体が震えた。
地鳴りのような音が足元のはるか下から響いてきて、瀑布を成す大量の水が徐々にその勢いを弱めていく。

やがて完全に瀧の水流が止まり、その下の断崖が露わになった。
そしてその縦長の裂け目には赤黒く巨大な、禍々しい肉の塊が封じ込められていた。

「一ツ…蹈鞴……!」

誰かが唸るようにその名を口にする。
大きい。とてつもなく、大きい。
高速道で最後に戦った蹈鞴も大きかったけど、それとは比べ物にならない規模だ。

「あれを解き放とうというのね。がっかりだわ、しゅう。そんなことしたって、天地は救われはしない」

シララさんが吐き捨てるようにそう言った直後、蹈鞴本体である肉の塊に、すうっと横方向の裂け目が入った。
みるみる開かれてゆく肉襞の奥には、灰色に濁った巨大な眼球が嵌っている。
続けて裂けたその下は、太古の生物の肋骨を思わせる無数の牙を備えた顎門あぎとだった。
蹈鞴は耳をつんざく金属音で咆哮し、結界の内壁に歪みを生じるほどの衝撃が響き渡った。

刑部ぎょうぶ様っ!」

ユラさんがオサカベさんを振り返り、叫んだ。
長弓を手に険しい表情を見せているのは、最初に一ツ蹈鞴を封じた伝説の益荒男ますらお、“狩場刑部左衛門かりばぎょうぶざえもん”。

〈間合いが遠い!滝壺の手前まで、道を開いてたもれ!〉
「受けたもう!」

ユラさんが、シララさんが、そして裏熊野神人らが一斉に散った。

刑部ぎょうぶが蹈鞴封印の射を放てる場所への、血路を開くために。

〈当代、わらわの魂ももはや磨り減った。此度が最後であろう。能う限り、奥義を振るう。眞白……七代の剣も目に焼き付け、すべて己がものとせよ!〉
「はい、六代様!」

ユラさんとシララさんに目掛けて、あやかしたちが殺到していく。特にシララさんは肉吸いの長に“裏切り者”と謗られ、その周りを一人囲まれてしまった。

裏熊野神人たちはその間に太刀を振るいながら結界の裂け目を塞ぎにかかり、あやかしの増援を止めようとしている。
ユラさんにもわたしにもそれぞれ蹈鞴の分身が群がり、3人と2頭が一緒に戦うことはできない。
わたしはあの時のように檜扇の霊刃を振り、コロちゃんマロくんとともに迫りくる妖異を迎え撃った。

ユラさんも長刀を閃かせながら、包囲されたシララさんのことを気にかけている。
が、シララさんの身体に宿った七代目が、あの静かな声で言い放った。

〈当代の由良よ。お師様の御所望じゃ。我からはこの技をご覧に入れよう〉

そして七代目は左右の空間を割き、そこから大小二振りの刀を抜いて両手に握った。
両刀を下段におろすと、冷たく宣告するかのように技の名を言霊にのせる。

土乗水どじょうすい――〉

二刀・“密厳淨土みつごんじょうど

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