これはぼくが伊緒さんと結婚する直前のお話。
ぼくの両親は早くに亡くなったので、結婚の報告のため祖父母のもとへ、伊緒さんと一緒に行ったのだった。
父と母は、瀬戸内の小さな島でともに育った幼なじみだったそうだ。
それぞれの実家も目と鼻の先で、島の多くの男たちがそうであるように、どちらも鯛釣りをなりわいとする漁師の家だった。
そういうわけで僕の父は魚のさばき方がうまかったのだけど、漁師の跡継ぎになるのが嫌で島を出たのだという。
だからなのだろう、あんまり家族揃ってこの島に帰省するということはなかったように記憶している。
けれどぼくは、海の男らしい豪快なやさしさをもった二人の祖父や、それを支える気風のいい祖母たち、賑やかで楽しい親戚の人たちが大好きだった。
普段の生活ではほとんどの食事を一人でとっていた子ども時代、夏休みや冬休みの一時期だけでも、そんな祖父母のもとで過ごすのを心から楽しみにしていた。
その島をぼくは勝手に「鯛釣り島」と呼んでいた。
伊緒さんにとっては他人の家であることはもちろん、まったく違う土地の、風習も方言も異なる人たちなので気詰まりではないだろうかと心配したのだけど、見事なまでに杞憂だった。
伊緒さんは二人の祖父母とも親戚のおじさんおばさん、その子どもたちともあっという間に打ち解けて、まるでずっと鯛釣り島で育った子のようだった。
じいちゃんばあちゃんの声がすると思ったら「伊緒ちゃん、伊緒ちゃん」と呼んでおり、子どもたちの声がすると思ったら「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とじゃれついている。
伊緒さん大人気だ。
ぼくはほっとしつつも若干さみしい気持ちでニワトリにえさをやったり、ネコをかまってやったりして黄昏れていた。
「晃平がこんなにええ嫁さんもらうとはのう」
すっかり出来上がった二人の祖父が真っ赤な顔をして、さっきから100万回くらい同じことを繰り返している。
どういうわけか鯛釣り島の男たちは皆、浴びるように酒をのむ。
そうしてべろんべろんになって、幸せそうにずーっと同じ話をリピートするのだ。
でも伊緒さんのお国でも長老方はだいたいそんな感じなのだという。
ぼくたちの結婚を祝って用意してくれたご馳走は、もちろんじいちゃんたちが釣ってきた鯛がメインだった。
北国では珍しい魚だったので、伊緒さんは目を丸くして驚いていた。
それで余計にじいちゃんたちは喜んでしまい、いつもより早く深く酒精のとりこになってしまったのだ。
鯛は普通のお造りに加えて、皮付きの身にさっと湯をかけて氷で締めた皮造りが並んだ。
買えば高価な魚ではあるけれど、鯛釣り漁師にとっては自家消費用に十分な量を確保できる。
そこで贅沢にも、天ぷらやら塩焼きやらの加熱した料理にも使われ、挙句の果てには「鯛のアクアパッツァ」なるイタリアンで攻めてきたのには驚いた。
ばあちゃんたちも伊緒さんにいいところを見せたかったようだ。
酒飲みの常で、じいちゃんたちは料理よりもお銚子ばかりに手が伸びていった。
よっぽど嬉しかったのかもう一本、もう一本と追加していって、さすがに伊緒さんも心配して、
「おじいちゃん、もうちょっとお料理も食べて」
「ねえ、お酒の合間にお茶も飲もっか」
「お茶漬けとか食べない?」
などなど、しきりと声かけをしてくれている。
ぼくもばあちゃんたちも、じいちゃんたちの酒の飲み方はよく分かっているので、諦めてほったらかしにしているのだけど、さすがに伊緒さんはやさしい。
でもじいちゃんたちは、かわいい伊緒さんがしきりと世話を焼いてくれるのが嬉しくって、頑なに盃を置こうとしない。
伊緒さんは食卓に残ったお刺身やおつまみの皿をざっと見渡すと、そのいくつかを手に決然と立ち上がり、台所へと向かった。
何事かと思いながらぼくも伊緒さんの後を追う。
じいちゃんたちに捕まったら、また長くなるに決まってるし。
「おばあちゃん、ちょっとお台所借りてもいいですか?」
そう断って、伊緒さんはとんとんとん、と余りの食材を目の前に並べていった。
鯛のお刺身の残り、とろろ用長芋の残り、おつまみのカシューナッツの残り、さばいた後の鯛の骨。
お鍋に水を張って昆布を敷き、ガスコンロにぼわっと火を点ける。
魚グリルの炎は全開にして、鯛の骨を放り込む。
目ざとく見つけたフードプロセッサーを引っ張り出して、鯛のお刺身に長芋、片栗粉、おろしショウガと少しのお塩をぱっぱっぱ、と振ったかと思うとぐいーん!と回し始めた。
おお、初めての台所とは思えない身のこなしだ。
ばあちゃんたちも面白そうに伊緒さんの手際を拝見している。
沸騰直前のお鍋から昆布を引き上げ、焼き目のついた鯛の骨を投入する。
こまめにアクをとりながら加熱していくと、魚のいい香りが強く漂ってきた。上等な鯛エキスのスープだ。
その間に、フードプロセッサーで撹拌した鯛の練り物を取り出し、砕いたカシューナッツを混ぜこんでいく。
ほどよい大きさに丸めてラップに包み、電子レンジに放り込んだ。
でき上がったのはぷっくりした”鯛しんじょ”だ。
椀にしんじょを盛り、さっきのスープをそっと張る。
焼き物に添えていた木の芽を拝借して上に乗せ、仕上げに粗挽き黒コショウをぱっぱっと振った。
ごくり、と唾を飲む音はぼくのものだ。
すごくおいしそう。
椀をふたつお盆に載せて、伊緒さんが颯爽とじいちゃんたちの元へ運んでいく。
あまりの手際に、ばあちゃんたちが小さく拍手を送っていた。
この時のことは、後々まで語り草になっていたという。
じいちゃんたちと電話で話す度、伊緒ちゃんは元気か、あの椀物は本当にうまかった、と必ずそう言うのだ。
味噌汁は飯のため、吸い物は酒のため、なのだそうだ。
あの時、そう伊緒さんに教えてもらった。
鯛しんじょの椀にすっかり満足してしまったじいちゃんたちはそのまま大人しくなり、伊緒さんはばあちゃんたちや親戚の人たちの心を鷲づかみにしてしまった。
ぼくはものすごく誇らしい気持ちで、伊緒さんがそーっとぼくの分も用意してくれた椀をいただいたものだ。
しばらく帰っていないものだから、今度久しぶりにまた伊緒さんと鯛釣り島を訪れてみようと思う。
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