「すき焼き」といえば代表的な牛肉料理のひとつ、というイメージがあるけれど、本来はいろいろな肉でするものだったらしい。
豚肉とか鶏肉とか鴨肉とか、またはブリとかサバなんかの魚肉も使われたという。
東西の食肉文化の違いは概ね関東以北では豚肉を好み、関西方面では牛肉が珍重されることは以前にも触れた。
もちろんそれぞれの地域でどちらも使うのだけど、「すき焼きといえば豚肉」という土地もけっこうあるようだ。
伊緒さんの故郷ではそれがポピュラーだったそうで、関西では牛肉のすき焼きが一般的だということをずいぶん面白がったものだった。
そこで結婚当初、お互いが慣れ親しんだそれぞれのすき焼きを作りっこしてみよう!ということになった。
もちろん家庭料理なので、それが絶対に地域を代表するスタイルだというわけではないのは承知のうえだ。
伊緒さんが作ってくれた「すき焼き」は、豚しゃぶで使うような感じの豚肉を多めのタレで煮込んだものだった。
「肉なべ」といった風情がぴったりの料理で、たっぷりのたまねぎが印象的だ。
関東風の割り下よりもややあっさりした味わいで、溶き卵をからめていただくのは同じだけどこれがすごくおいしかった。
しかも最後にうどんでしめる、というのが伊緒さん家の流儀だったそうで、関西でいう「うどんすき」みたいだと思った。
くどくないのでいくらでも食べられ、いまのぼくにとってはこっちのほうが好みだ。
さて、今度はぼくが関西風すき焼きを披露する番だ。
家族で食卓を囲ったとぼしい記憶を手繰り寄せ、そういえば父がこんなんしとったなあ、というおぼろげなイメージを呼び起こす。
けっこう張り切って、まずは形からとばかりにわざわざ商店街のお肉屋さんですき焼き用の牛肉を包んでもらった。
これみよがしに包みをぶら下げて悠々と帰宅し、
「帰りましたでー」
と、伊緒さんにお肉を手渡す。
「むかしのお給料日みたい!」
古いマンガでしか見たことのないようなシチュエーションに、ふたりとも興奮ぎみだ。
関西ではどういうわけか、すき焼きの調理といえば「お父さんの仕事」なのだ。
食卓にカセットコンロを据えて、すき焼き鍋なんかないのでフライパンをのっける。
伊緒さんが下ごしらえしておいてくれたネギとか焼き豆腐とかしらたきとかの、王道的な具材の数々。
そしてちょっとだけいいめのお肉。
醤油と砂糖を準備して、熱したフライパンにじんわりと牛脂を溶かしていく。
「割り下はつかわないのね」
伊緒さんが興味しんしんといった感じでぼくの手元をのぞき込んでいる。
そう、関西風のすき焼きは醤油と砂糖で文字通り「焼く」のが特徴なのだ。
鍋肌に脂と熱が充分ゆきわたった頃を見計らって、ぼくはスプーンに山盛りのお砂糖をはらはらとフライパンに投入した。
熱い脂と触れ合ったその瞬間、お砂糖は香ばしいカラメルへと姿を変える。
即座にお肉を広げてその上に敷いていき、お砂糖をからめながら焼いていく。
えもいわれぬ蠱惑的な香りが立ち込めて、焼きながら生唾が湧いてきてしまう。
そして追い込むようにじょわあっ、と醤油を回しかけると、お肉とカラメルが錬金術のように溶け合って五感を挑発してくる。
あまりの刺激に、
「きゃあーっ!」
と伊緒さんが歓声をあげた。
専門店だとこのままお肉だけを賞味させてくれたりするらしいけれど、火を通しきらないうちに一度お皿に引き上げておく。
そしてお肉の脂と醤油とカラメルが混ざりあったソースで、野菜やとうふ、しらたきなどを煮ていくのだ。
全体がしんなりしたところでさっき引き上げたお肉を再投入して、味が足りなければ適宜、醤油とお砂糖、お酒などで調整する。
「はい、関西風すき焼きです!めしあがれ!」
再び歓声をあげた伊緒さんと一緒に、お肉を溶き卵にたっぷりとくぐらせて頬張った。
ああ、おいしい!
すき焼きってこんなにおいしかったっけ。
初めての味のはずだけど、伊緒さんも気に入ってくれたみたいだ。
「晃くん、とってもおいしいわ!お肉ももちろんだけど、おとうふもお野菜もお肉の旨みを吸い込んですごいボリューム!やっぱりこれが本格派なのね!」
彼女が喜んでくれたことにすっかり気をよくしたぼくだったけれど、けっこうコッテリしているためか思ったほどは食べられなかった。
たまにほどよい量を、というのがごちそうたるポイントかもしれない。
「晃くん。今度はこの味付けで、豚さんのお肉で食べてみたいな」
なにげない伊緒さんのリクエストだったけど、目からウロコだった。
それはいいかもしれない。
というわけで、さして日を置かずポークすき焼きを試してみることにした。
どの部位が適しているか分からなかったので、薄切りのバラ肉とモモ肉を用意しておいた。
手順は牛肉のときと一緒だけど、鍋から立ち上る脂の香りがなんだかサラッとしている感じがする。
わくわくしながら頬張ってみると、これまたこよなくおいしい。
モモ肉はあっさりしていてバラ肉はコクがあり、いくらでも食べられそうだ。
伊緒さんの好みにもストライクだったみたいで、ふたりでおなかいっぱい食べて締めのうどんまでたいらげてしまった。
「おいしかったあ!また、すき焼きしようね!」
伊緒さんが無邪気に笑う。ぼくもたいへん満足だ。
はちきれそうなおなかをさすりながら、こんなにおいしいのはやっぱり伊緒さんと一緒に食べるからだと、今さらながら気付かされる。
これからも、関西風のすき焼きをする時は醤油とお砂糖で、ぼくが味付け係をしよう。
「お父さんの仕事」が、ついにぼくにも出来たみたいだ。
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