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第三十四椀 皮がパリパリ「チキンステーキ」。”小悪魔風”がヒケツです

小説
サカパさんによる写真ACからの写真
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 男の子もお年頃を迎えると、いっちょまえに女の子の好みなんかがおぼろげに芽生えてきちゃったりして、たいへんなことになる。
 気になる女の子についつい意地悪してしまう、という男の子もいるかと思うけど、言うまでもなく逆効果だ。
 そういうことに気付くのは、迂闊にもだいぶんと大人になってからという場合も多いようで、意中の女性に対するアプローチというのはなかなか悩ましい問題なのだ。
 ぼくの友人に、とにかく女性はほめるべきだという信念の男がいた。
 服をほめる、髪型をほめる、声をほめる、気になる女性がいると浅はかにもおよそ思いつく限りのことをほめていた。
 でもそういうのは明らかに見透かされるし、あんまりしつこいとかえって不快感を与えてしまうこともあるようだ。
 最初は社交辞令もあって、一応は喜んでみせてくれる人でも、だんだんと反応が冷たくなっていく様子は側で見ていていたたまれなかった。
 それが友情だと思って何度かご注進したことがあるけれど、いっかな聞く耳をもたなかった。
 そればかりか、そいつはもう決定的にほめ方の表現が下手だった。
 形容が古くさいというか、女性がそう言われて嬉しいはずがないというか、とにかくことごとく的を外しているように感じられた。
 ある時、そいつが当時ご執心だった女性が、少しラメの入った光沢のあるスカートを履いていた。
 さっそくそれに目をつけて、いかによく似合っているかほめそやした後、
「高僧の袈裟のような」
 と言ってしまった。
 そいつは二度と彼女に口をきいてもらえず、ショックのあまり出家を望んで本当に永平寺に電話したりしていた。
 愛すべきその男はその後、幸せなお見合い結婚をして今や三児の父親となっている。
 人のことをとやかく言っているけれど、ぼくにはそいつほどの積極性も勇気もなく、気になる女性がいても自分から話しかけるなんてできなかった。
 伊緒さんと仲良くなれたのもまったくの偶然で、初めて面識をもったときには、きれいだけど厚い壁のある人、という印象だったほどだ。
 事実、彼女は淡々と仕事をこなして、抑揚のない声で必要なことだけを話し、さっと帰るという毎日を送っていた。
 ドヤァ!どじゃーん!
 という、現在のお茶目キャラからすると嘘みたいだけど、たぶん彼女なりにすごく気を張って生きていた時期だったんだと思う。
 その時、伊緒さんはライターとして、ぼくは校正者として同じ会社に派遣就業していた。
 ある日のお昼、ぼくはいつものように一人オフィスに残って本を読んでいた。
 ランチをとると眠くなって集中力が落ちるから、というのは強がりで、あんまりお金もないし続きが気になって仕方ない小説もあるしでそうしていたのだ。
 部署のほかのひとたちは外に食事に出払っていて誰もいない。
 そこに息せき切って原稿をもってきたのが伊緒さんだった。
「あの、お休み中すみません!この原稿チェックを至急、校正の方にと……あっ」
 顔を上げたぼくと目が合って、伊緒さんが驚いたのはほかでもない。
 なぜならそのとき読んでいたシーンがとってもよくて、ぼくはものすっごい泣いていたのだ。
 目の前の男が本に感動して泣いている、ということをほどなく理解した伊緒さんは、その時ほっと胸をなでおろして、ふわっと笑ったのだった。
 それがきっかけになって彼女と話をするようになり、本やマンガの貸し借りをしてはその感想で盛り上がるようになっていった。
 伊緒さんはすごくもてる人で、ひっきりなしに男性社員から飲み会のお誘いがあったけれど、すべて断っているようだった。
 ぼくの周りの人たちは、そんな彼女のつれない様子を「小悪魔っぽい」と評していた。
 でもぼくは、伊緒さんのような人を小悪魔と呼ぶのは、なにかちょっと違うんじゃないかなあ、と思っていた。
 たしかに、彼女は飲み会という名のあからさまな合コンや、下心丸出しの個人的なデートの誘いはきっぱり断っていた。
 でも、仕事はきっちりとこなして、誰に対しても分け隔てなく丁寧な姿勢で接する裏表のない人だった。
 ”小悪魔”というのは伊緒さん自身ではなくて、お誘いを断られた人の羞恥や無念が鏡のように反射して出てきた言葉なんだろうと、いまになってそう思う。
 
 どうしてこんなことを思い出したかというと、いま伊緒さんがつくってくれている晩ごはんのメニューに深く関わっている。
 じゅびじゅおわあーっ!
 という派手な焼き物の音と、ものすごくいい香りに誘われてふらふらと台所に行ってみると、不思議な光景が目に入った。
 フライパンで焼いているように見えるのは、なぜかナベ。
 そしてその前では、ナベのフタを盾のようにして身構えている伊緒さんの姿が。
「あ、晃くん!油がはねてあぶないから!はやくわたしの後ろに隠れて!」
 そう言って、むふー、むふー、と真剣に緊迫している。
 だがぼくも男だ。彼女ひとりを矢面に立たせるわけにはいかない。
 手近にあったほかのナベブタを手にしたぼくは、しっかりと伊緒さんの横に並んで、襲い来る油ハネに立ち向かう態勢を整えた。
「これは……!重装歩兵のファランクスみたいね」
 なにが伊緒さんの琴線に触れたのかよくわからなかったけれど、喜んでもらえたようで何よりだ。
 やや落ち着いたところでぼくは質問を切り出した。
「さて、どうしてナベを焼いてらっしゃるんでしょうか」
 伊緒さんは待ってましたとばかりに「ふっふっふ」と笑みを浮かべ、
「では接近してみましょう」
 と、ナベブタの盾を構えたままじりじりとコンロの方に近づいていった。
 油ハネを警戒しながら、そおーっとフライパンの中身を覗いてみると、ナベの下では何かの肉が焼かれているようだ。
 ナベは水で満たされており、これを重しにして肉をフライパンに押さえつけていることが分かった。
「はい!実はチキンステーキでした!」
 おお、決してナベを焼いてたわけではなかったんですね。
 重しをのせて焼くという方法は、皮の表面をぴっちりとフライパンに接触させて、パリパリに仕上げるための技だそうだ。
 鶏もも肉はフォークで皮にたくさん穴を開けておき、塩こしょうをしっかりとすり込んでおく。
 そうしてさらに、オリーブオイル·白ワイン·お酢·おろしニンニク·バジルペーストをまぜ合わせた調味液で、一晩マリネにするとのことだ。
 焼くときに肉の水気をちゃんと拭っておかないと、今回のようなファランクス状態になるから、読者のみなさんは気を付けてくださいネ!
 と、伊緒さんが言っているけどなんのことだろう。
 また、チキンにはフライパンにたまった油をこまめに回しかけながら焼く、というのもおいしく仕上げるコツだそうだ。
「まるまる一羽を開いてパリパリに焼く鳥料理を”ア·ラ·ディアボロ”、つまり”悪魔風”っていうの。できあがった姿が悪魔の顔みたいだっていう説もあるし、唐辛子で味付けした場合の辛さを悪魔的だっていう説もあるみたい」
 なるほどなるほど。
 では伊緒さんがつくってくれたチキンステーキは、鶏もも肉で食べやすく、唐辛子じゃなくて黒こしょうがピリリときいていることから”小悪魔風”とでもいいましょうか。
 あれ?小悪魔ってどこかで聞いたフレーズなような……。
 と思ったのが派遣時代の回想につながるのでした。
 伊緒さんの小悪魔風チキンステーキは、それはもう皮がパリパリして、隠し味のバジルがステキに香る絶品だった。
「ものすごくおいしいです!」
「そう、よかった」
 伊緒さんがいつものようににっこりと微笑んでくれる。
 ああ、やっぱり小悪魔じゃなくて天使さまだ。
 そう思った瞬間、ひときわピリリと黒こしょうの辛みが口の中で弾けた。

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