「りんごをむいてあげましょう」
そう言ってわたしは、わりといそいそと支度を始めた。
この東堂医院は川のほとりにあり、病室からの眺めはとてもいい。
河川敷はすでに葉桜となっているけど、やわらかな緑がなんとも心をなごませてくれる。
院長の東堂慈庵先生は、わたしが陵山古墳で鬼に襲われた後、瀬乃神宮で手当をしてくれたお爺ちゃんだ。
なんでも、「ご用達」なのだそうだ。
「こういうシーンって、マンガででったい出てくるでなあ」
ベッドの上の由良さんが地の言葉全開でそう言い、わたしは思わず吹き出してしまう。
もちろんばかにしてるのではなくて、「ざ行」を「だ行」で発音するこの土地の方言がかわいらしかったから。
「でったい」が「ぜったい」の意味だとは、いまではすぐにわかる。
「そりゃあ、なんだか絵になりますものねえ。でも普通の病室だと、りんご切るのだめみたいですよ」
「せやろなあ。まあ、慈庵先生んとこやさかい、焼肉やるくらいやったらええんちゃう」
あまりの冗談に、わたしは今度こそ声を立てて笑った。
あの後、救援に来てくれた刑部さんと東堂医院の救急スタッフのおかげで、南紀重國を祀るご当主は一命を取り留めた。
妖刀の一件は伏せられたものの、あの凶漢たちの身柄は和歌山県警へと引き渡され、現在は警察病院で治療を受けているそうだ。
簡単な聞き取りでも、皆一旦屋敷を去った後の記憶がまったくないのだという。
わたしも本当なら事情聴取の対象のはずだけれど、「トクブンの刑部ですう」と、あの調子で刑部さんが間に入ると警察の人は敬礼して引き下がってしまった。
特務文化遺産課というのがどれくらいの力を持っているのかわからないけれど、飄々として掴みどころのない刑部さんが、さらに得体のしれない人物に感じてしまう。
けれど、「六代目様」と呼ばれた由良さんの前での、堂々とした立ち居振る舞いはまるでサムライかなにかのようだった。
ともかくも、あれだけ白刃が振るわれるという異常事態で誰も命を落とさなかったのは、不幸中の幸いとしか言えない。
「あかり先生、無事でよかったですう」
治療のために搬送されていくご当主を見送り、由良さんに付き添って救急車に同乗したわたしに、刑部さんが声をかけてきた。
もちろん、この人が助けに来てくれなかったら、さらなる惨事になっていただろう。
「由良さんの中にいてるんは、”ユラ”の名を継いできた歴代のあやかし狩り。その人たちの技と魂なんよ」
刑部さんが突然そう告げたけれど、さっきの光景を目のあたりにした後ではもう驚かなかった。
「六代目様」と言っていた理由、そして豹変した人格と口調、なにより凄まじい剣技――。
それらすべてが一つにつながった。
「ぼくの中にもいてるんやけど、一人だけでもほんまにしんどいです。そやのに、由良さんは何人預かってるんか……」
車内のストレッチャーに固定されている由良さんに目をやり、刑部さんは初めて少し哀しそうな顔をした。
わたしにとって、この人たちが背負っているもののほんの一端をみた、最初の出来事だった――。
「先生、りんごむくの上手やなあ」
「そうでしょう。実家にはりんごの木があったんですよ」
とりとめもないことを言いながら、いつもの由良さんとして目を覚ましてくれたことに心から安堵していた。
しゃくしゃくとりんごを頬張りながら、
「ちょっとずつ、私のこと話していくさかいよ」
と呟いた。
わたしが返事をしようと口を開きかけたとき、病室の外からぺたんぺたんとスリッパの音が聞こえ、ほどなくもしゃもしゃの頭をした刑部さんがビニール袋を掲げて入ってきた。
「由良さあん、りんご買うてったでえ……って、カブってもうた。ほな、あかり先生。ぼくにもむいたってよう」
由良さんがチッと舌打ちをし、わたしは遠慮なく、声を上げて笑った。
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