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【紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート】第5章 和歌山城の凶妖たちと、特務文化遺産審議会

紀伊 零神宮のあやかし文化財レポート
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裏雑賀の青年

「代理…ですか。あ、ほんまや。書いたあるわ。えーと…?」
「鈴木です。鈴木、しゅう。裏雑賀の当代は先ごろ急遽入院しまして」
「なんと、それは難儀でしたな。どうかお大事にしはってください。おおきに、ほなお掛けになって」

鈴木と名乗った青年を、わたしはずいぶんじっと見ていたのだろう。
彼が座り直すときにふと視線がかち合い、目だけでふっと微笑んできた。

はっと気づいたときには恥ずかしくなってしまって、あわてて視線をそらしたけどへんな人と思われたかもしれない。

「――それでは、今回の会合を始めましょか。まず、何よりも今般多発してる結界の弱体化についてやね」

オサカベさんの後を受けて、トクブン課長の徳川頼江と名乗った老夫人が切り出した。
このことは以前から聞いていたけど、やはり紀伊全体のこととして問題意識をもたれていたのだ。

「よろしいか」

真先に挙手したのは、先ほどユラさんたちに声をかけてきた龍厳和尚だ。

「はい、裏高野さんどうぞ」

のっそりと巨体を立ち上げ、あたりをぐるりと睥睨したのち、ドスの利いた声で語りだした。

「……高野が廃れた中世以来、ここまで紀伊の結界が弱まったんは初めてやと思うとる。先ごろの陵山古墳での大鬼、黒河道での大蛇、いずれもこの数百年は報告されとらん異常事態や。おそらく、何者かが意図的に結界を破る手引をしとるとしか思われへん」

会場がざわりとどよめいた。
結界を、誰かが意図的に弱めている……?

「しかし、大事なんはそれを止めることや。それが結界守の務めやさかい。せやけど、紀伊の鬼門いう重要なとこを任されとるゼロ神宮さん。はっきり言うて当代では力が足らんのと違うか。しかも結界守の補助を、素人に毛ぇ生えた程度の一般人に任せて命の危険にさらしとるいうやないか。わしが許せんのはそこじゃ。何があっても、素人さんを巻き込むんは結界守としてあってはならん。ゼロ神宮がでけんのなら、わしらがやる。裏高野の行人ぎょうにん兵団総掛かりで、結界に悪さするモノを吊るし上げたる!」

しゃべりながら龍厳和尚は徐々に激昂し、むしろ鬼のような形相になってきた。
でも、でも、感じが悪いという第一印象に比べて、結界守として一般の人を危険にさらさないという信念は真っ直ぐ伝わってきた。
そういえば“素人さんを巻き込むんは結界守としてあってはならん”と言ったとき、わたしを含めてスーツ姿の何人かに目を走らせていた。
この中にも、わたしと同じような事情であやかし文化財パトロールに関わっている人がいるのかもしれない。

「あー、それについては僕から改めて説明させてもらいますう」

オサカベさんが龍厳さんをなだめ、わたしとあと何人かを紹介して、この件に関わった経緯を説明しだした。
やはり「魂の匂いを覚えられた」と以前に言っていた通り、偶発的に怪異と関わってしまったことで身辺警護の必要が生じ、保護措置としての面も強かったようだ。

しかし龍厳さんは一歩も譲らず、まったくの独壇場となってますます怒りを顕にしていた。
話が堂々巡りとなってきたとき絶妙のタイミングで、徳川課長がぱんぱんと手を叩いた。

「よし、この件は後にしましょか。いったん一服しよらよ。紅茶もコーヒーもあるし、私お抹茶点てるさかいな」

にこやかにそう言い、会議は一時休憩となったのだった。

「――はあぁ……。けっこうな、お点前でした」

たぶん人生で初めて使う台詞だけど、ごく自然にそう口をついて出た。
頼江課長が目の前で見せてくれた鮮やかなお点前、そしてこの緊張をときほぐすやわらかな抹茶の味わい。
温度と濃度というシンプルな問題は、計算されつくした最適解であることを意識させないほどの自然な心地よさだ。

お抹茶がこんなにいいものとは、まったく思いもよらなかった。
お茶、習ってみようかな……。

「和歌山はなあ、表千家が多いんよ。まあ、そないにおいしそうに飲んでくれはってよかったよ」

にこにこしながら頼江課長が礼を返してくれる。
“徳川”と名乗っただけあって、やはり紀伊の殿様のご子孫なのだろう。
品があって凛としていて、それでいて近所のおばちゃんみたいな気さくさ。
わたし、さっそくこの人が好きだ。

「せや、あっちのテーブルにもお菓子ありますんえ」

とすすめてくれたので、わーいとか言いながら遠慮なくそちらへ向かった。
別に何をしたわけでもないのだけれど、なんともこの雰囲気にストレスを感じていたのか、甘いものがやたらとおいしい。

ユラさんとコロちゃんマロくんはひとつのテーブルに固まっていて、よくみると他の結界守たちも互いに言葉を交わすでもなく、それぞれに散らばっている。

みんなにも持ってってあーげよっ、と菓子鉢を据えたテーブルに至ると、ふいにあの人と鉢合わせた。

「あっ……。鈴木、さん」

それは裏雑賀の代理、鈴木秀と名乗った青年だった。

「ああ、先ほどは」

明るい声でそう返し、にこっと微笑みかける。
目尻にぎゅっとしわが寄って、爽やかさの中になんとも親しみを感じるような愛嬌がある。

「なんか、甘いものすごいおいしくないですか?」

長身をちょっと屈めるようにしてこっそり小声でそう言う様子がおかしくて、わたしは思わず声を立てて笑ってしまった。

「わかります!ストレス…感じてるのかもしれませんね」
「よかった。僕だけじゃなくって。あの、貴女は……」
「雑賀と申します。雑賀、あかりです」

歴史科の教師として北海道から赴任してきたこと、生まれ育ちは札幌だけど先祖が紀伊の人だということなどをかいつまんで説明する。

「そうでしたか…!僕の先祖もね、かつては”雑賀”を名乗った時期があったんですよ。そうかあ、北海道から……。僕達は、遠い親戚のようなものですね」

彼は感に堪えかねたようにそう言い、わたしもなんだか不思議な気持ちになってくる。

一瞬で打ち解けたわたしは他愛もない話で盛り上がりつつ、思い立ってさっきから気になっていたことを聞いてみた。

「ところで鈴木さん。結界守のみなさんって、みんなお互いあんまりお話しないんですね」

すると彼は一瞬困ったような顔をしたけど、すぐにはっきりと答えてくれた。

「そう…ですね。聞くところによると、あえてそうしてるみたいですよ」
「あえて…?」
「うん。結界守はほら、あやかしと戦うことがあるから。万が一取り憑かれて自我を失って、そのままだったら……討伐対象になるから」

はっとした。
そうか、そういう事態はきっと過去に何度もあったんだ。
そしてそうなった場合は、他の結界守が討ち果たす任務を帯びるんだ……。

結界守たちが背負う、過酷な運命に痛ましい思いを抱いたその時――。

突如、カンカンカンカン!カンカンカンカン!と火事の半鐘のような音が鳴り響き、次いで低くサイレンの唸りが聞こえてきた。

「妖気の異常を感知。妖気の異常を感知。城内に何モノかが侵入した模様」

校内放送のようなアナウンスが流れ、場内はにわかに騒然となる。

「えっ!?ユラさ――」

声を出しかけた時、まるで突風に扇がれたかのようにシャンデリアの蝋燭が一斉に消えてしまった。
闇が訪れるその刹那、天井から陸続とシャッターのようなものが降りてきて、広間は細かく封鎖されていく。

そして、暗がりのほうぼうから、次々に悲鳴が上がっていった。

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